2011年 《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》 猫雑記
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ナム

トメちゃ・・・って誰かにゃ

Aug. 18, 2011
ナム
2011年8月18日 木曜日


暑い。

天気予報で「最低気温が29度」と聞いて、最高気温の間違いではないかと耳を疑った。






朝の5時頃、突然セミが鳴き始める。

そうか、セミも今までは寝ていたんだな。

私だけずっと起きていて仕事をしている。



夜行性のはずなのに、うちの猫たちはみんな夜寝ている。

昼間も殆ど寝ているけどね、ヤツら。






あと少しだけ涼しくなったら、昼間に連続して仕事が出来るだろう。

またPCが熱でやられてぶっ壊れては敵わないと思い、昼間に長時間続けて電源を入れておかないようにしているものだから、どうしても夜間に働く羽目になる。

予備のマシンまで2台一緒に壊れた時には、ホント、参った。




夏は色々と問題のタネを孕んでいて厭だ。



それでも今日は暑いだけで、湿度はそんなに高くない。

むしろ明日、雨が降るらしいのに最高気温33度って・・・蒸し暑くなるんじゃないかと、それが心配。




昨日、今日とゴマがあまり食べない。

口の中も痛いようだけど、どうも飲み込む時に喉を痛がっているような気がする。



かと言って、口を開けて見せてくれるようなゴマではない。

病院に連れて行けばどうだろう?

一度はそれも可能かもしれないけれど、診て貰ったところで出来る対処は解っている。





二人で色々と考え、相談し、悩みながら決めた。

薬剤を身体に入れるような治療は、もうしない事にしよう。

特にゴマにはアレルギーもある。

同じような体質のマーゴも、使い続けていた様々な薬剤がすっかり身体から抜けてから、やっと自発的に食べられるようになったし、モアも同様だ。



ゴマにも、ハイポだけで乗り切らせる。

今までにも増して大量投与し、炎症を抑えると共に免疫強化を図る。

そして根気強く半強制給餌を続け、ゴマのしたいようにさせる為の手助けをする。



ずっと前から決めていたじゃないか。

直ぐに気持ちがグラついて、その場凌ぎのケアをしては後悔するのだ。





病院で治せるものとそうでないものがある。

それは確かだ。

治療方法があるものと、対処療法しかないものとがある。

苦しみを取ってやれる対処もあれば、苦しみを徒に長引かせるだけではないと思える延命もある。

得られるものとマイナス部分とのバランスを計ってやれるのは飼い主しかいない。

誰かにその判断を仰ぐのは、飼い主としての責任を放棄しているに等しい。



また、外科的治療が必要な場合には、病院でしかそれは出来ない。

何度もそれで名医に助けて貰った。



たとえ対処療法だとしても、それをする事で助けられる命もある。

マーゴのステロイドが原因と思われる一時的な糖尿病だって、モニターしながらのインシュリン注射をしなければ、命が危うかった。



だから医学や病院を全否定しているのではない。

それどころか、8割方は信頼して依存しているのではないだろうか。



でも、敢えて対処療法に頼らず、生命力を信じ、免疫が落ちないよう、ストレスを増大させないように努め、小さな身体と飼い主の心をひとつにして踏ん張らなければならない局面もある。

それが今なのかどうかの見極めは難しいし、判断ミスだってあるかも知れない。

だけど、小さな身体から発せられている言葉無き声を聞き取り、何がその子にとっての幸せなのかを判断してやれるのは、飼い主しかいないのだ。

それは孤独で辛い判断だ。






治せないと本当は心の中で解っているのに病院に通うのは、飼い主の心のケアをして貰っているようなものだ。

それが必要で大事な時もあるだろうけど、今はその時ではない。

私達は、時間をかけて話し合い、そう結論した。






カワムラさんと同じ道を、ゴマも歩こうとしている。

そうだ、二人は同じ場所から来たんだっけね。




寝不足でハイになっているものだから、猫に話し掛けようとすると歌になって出て来る。

ミュージカルなんてもんじゃない、余りのバカバカしさに他人様にはとても聞かせられない。



その時その時、即興で既存の曲に歌詞をつけるだけなのだけど、書き留めておこうと思っているのに、PCの前に戻って来るとすっかり忘れている。

どんな歌を歌ったんだっけ?

ついさっきなのに、どうして綺麗さっぱり忘れてしまえるんだろう、この頭は。



鎮痛剤のせいばかりとは言えないよな。

ボケが始まっているんじゃないかな・・・と心配になる。

孫がいてもおかしくない歳だものな、そろそろ。





ダンディなこうちゃんも、出会った頃と比べるとジジイになった。

「俺、蚊に食われても気づかないんだよ、ジジイになったから」

「痒くないの?」

「それがあんまり痒くも無いんだよな、ジジイだから」

「ふ〜ん、痒くなければ結構な事じゃない、ジジイになるのも」



私なんか、まだ、蚊に刺されると物凄く腫れて痒いよ。

だからと言って、私が若いという意味ではない。

それどころか、肉体年齢は7歳上のこうちゃんを遥かに上回っているだろう。

そう・・・多分20歳くらいは。







昨日、しみじみと思った。

こうちゃんに突然死なかされたら、私はどうずれば良いのだ?

それはもういつもいつも思っている事だけど、昨日はちょっとしたきっかけがあって、更にその想いは強くなった。



考えても仕方のない事を考えるのは良くない。

ネガティブな想いは、何につけ良い影響を及ぼさない。



ささやかな希望をしっかりと抱き続け、今、この時を、この小さな幸せを噛みしめながら、心を無にしてやるべき事をやる。

その積み重ねが生きているという事だ。



それで良いのだ。

それしか無いのだ。




今更でお恥ずかしい限りだが、「くるねこ大和」さんの漫画にハマリ切っている。

既刊の7冊は、勿論読んだ。何度でも読んだ。

その後、漫画絵本の「やつがれと・・・」のシリーズ3冊は、買う前には迷ったけれど、買って良かったとしみじみ思う。





ネタバレさせてしまうけど、ネタがバレたところで価値が下がるような類のものではないので、書いてしまう。



「やつがれとチビ」では、チビに逝かれてしまったやつがれが墓の前で見せる背中が、余りにも悲しくて切なくて、何度読み返しても泣いてしまう。

チビ猫を育て、看取った経験のある人には解ると思う。

いたいけな小さな命が失われてしまうあの不条理、あの切なさ、不憫さ・・・悲しいなんて言葉じゃどうにもならない。

だけど優しい予告で、読者は救いの予感を持つ。

チビが可愛い事なんかもう当たり前過ぎるくらいで、野良猫の避妊を続けている立場としては不謹慎なんだけど、ミルク飲みの仔猫を手元で育てたい・・・なんて思ってしまう程、それはそれは可愛い。

鍼のセンセーが雨の日も風の日も日参してしまうのもむべなるかな・・・である。





「やつがれと甘夏」では、やつがれのバカがつくほどの純情さと、チビの生まれ変わりのようなチビ太の無邪気さ、愛くるしさ、そしてハッピーな結末に、やっと救われた想いがする。

これがあって初めて、「やつがれとチビ」を読み返す勇気が持てる。

チビ太もまた可愛い。

ちょっとブサ可愛い系な予感もさせるのだが、ブサ可愛いというのも、それはそれで堪らなく可愛い。





そして「やつがれと枕荒らし」での登場人物(人じゃなくて猫だけど)のキャラクターの練れている事、新しいキャラクターである「お松」ちゃんの、何とも可愛くていじらしい事。

私はこの小さなお松が、野良のオス猫2匹に育てられていた部分を読みながら、それだけで泣けて泣けて仕方なかった。

そして正体を隠して3年半ぶりに再会したおとっちゃんとおっかちゃんが、お松ちゃんの頭を撫でている時の、お松ちゃんの顔・・・可愛過ぎて、可愛いってだけで泣けてしまう。





おまっちゃんとおとっちゃん、おっかちゃんの旅から旅への野良時代の場面で思い出すのは、小さいゴマがどこからか連れて来られて捨てられたのか、ある日突然アカに連れられて私のエサ場に姿を見せた時の事だ。

ゴマはアカに守られながら、野良で大きくなって行った。

アカはゴマが食べるのを傍で見守り、自分はゴマが食べ終わってからでないと食べようとしなかった。



やがてゴマはアカの子を身籠り、台風の来る前夜、大雨の中で出産してしまった。

野良猫の保護はおろか、避妊だってした事の無かった私は、それで慌ててゴマと産まれたての仔猫たちを連れ帰ってこのサイトが始まり、ゴマが今私と共に暮らしている訳だけど・・・




あの時、野良に取り残されたアカの気持ちは、どんなだっただろう。

毎日、私が車を停めて会社に向かおうとすると、後追いを始めたアカ。

それまではエサ場で「バイバイ」していたのに、ゴマが居なくなってからは、私の後をどこまでも付いて来ようとして、私は辛い気持ちにさせた。



幸いにも、そう間をおかず仕事の相棒がアカを家に入れてくれたので、アカも私の心も救われたけれど、そうでなかったら、私は一生涯悔やみ続けたかも知れない。





まだ1歳にもならないアカが仔猫のゴマを拾って、肩を寄せて生きていたあの頃を思う度、涙腺が緩んでどうしようもない。

アカは家猫として幸せな最期を迎える事が出来た。

アカのような優しい猫に出会えて、ゴマも私も幸せだった。



そんな諸々を一瞬で甦らせてしまう、この絵本のほんの一部のエピソード。



もっと素敵な場面もたくさんある。猫たちのちょっとした表情やポーズ、台詞までがとても良く練れている。

シンプルに無駄を排し、必要最低限の表現でありながら、とても雄弁な漫画。



何度も何度も読み返し、全ての表情や台詞が頭にくっきり入っているのに、それでもまた読み返してしまう。

そういうパワーのある絵本です。

買って損の無い、今更感動している事をこんな場所で披歴してしまうのも躊躇われたけど、本当に素晴らしい絵本だと力一杯お勧めします。



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勿論、本編が素晴らしいからこその、この絵本でもある。



おまけに本編のエッセンスを凝縮しただけのような別冊なのにもかかわらず、「おばさんとトメ」に至っては、もう宝物のように大事に、しかし繰り返し読み続けている。

トメちゃの台詞なんか、日常会話に取り入れている位なのだ。

「やってみるにゃ」

「だろうにゃ」

何とまあ、こうちゃんまでが毎日使っているんだから・・・。





そして巻頭の、拾われたばかりのガリガリで小さなトメちゃが涙ぐみながら言う台詞がいきなり泣かせた。

「もっととおくに捨てにいくの?」






猫を捨てる人間なんか、年老いたら姥捨て山に捨てられて、寒さと飢えで死んじまえ。

・・・と言ってはいけないような事を言いたくなる。



せめて言っておこう。

猫を捨てるな、バカヤロー!
ナム

アタシの方が可愛いかもよ

Aug. 18, 2011
ナム

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これは第一巻の上
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泣くまいとは思うけど・・・


そして幸せな続編

おまっちゃん可愛い!

トメちゃん大好き

やっぱりその前に、こっちも
全巻しっかり押さえとかないと

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