モア
在りし日のモア
Oct. 21, 2011 |
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2011年10月21日 金曜日
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庭仕事に勤しんで気分転換するカワムラさんの命日 |
今日も爽やかな秋の一日。
カワムラさんの命日だ。
あれからもう3年・・・いや、まだ3年しか経っていないのか。
カワムラさんがいてくれたお陰で、私の人生がどれだけ豊かになっ事だろう。
有り難う、カワムラさん。
今もずっと感じているよ、カワムラさんの存在・・・そしてカワムラさんの大きな愛を。
今夜からは雨になるようなので、午前中に庭仕事をしてしまう事にした。
幸い、仕事は束の間、一段落している。
やるなら今日しかない。
古い土に再生用の土を混ぜて耕していると、ミミズがたくさん出て来た。
ミミズを傷つけないように気をつけて、耕し終わった大きいプランターに移してやると、柔かい土の中へと急いで潜って行った。このミミズを殺したくないから、殺虫剤などは使わないようにしている。
そうすると、コガネムシの幼虫に根をやられたり、ヨトウムシにバラの葉を一晩で全滅させられたりするのだけれど、まあ、それも仕方ないか。
園芸は先ず土づくりなんだな・・・と思うと、この土いじりが楽しくなってきているのが解る。
母に勧められて植えたインゲンは、とうに収穫を終え、枯れてしまったのを抜いておいたのだが、その大きめのプランターの土を再生すべく、しっかりと耕しておいた。
プランターは全部で5個。
そこにそれぞれ薬味ネギ、アシタバ、コリアンダーの苗などを植えてみた。
残ったプランターは2つ。
後は何を植えようか。
収穫が1回こっきりで終わってしまうものは寂しい。
では何が良いのだろう?
ゆっくり楽しんで悩もう。
去年ノースポールを植えて春まで楽しんだ鉢には、今年もノースポールを植える事にした。
1トレイで24個のポット苗が2100円だった。
安くて丈夫、しかもとても旺盛に育つ。
空いていた鉢に、大きな鉢には3つ程、小さい鉢には1つを植えて、24個のうち8つのポット苗が残った。
残りの苗は、今咲いている黄花コスモスがもうすぐ終わるだろうから、そこに植え替えよう。
ずっと外に居たい位、そとの空気は気持ち良かったけれど、ゴマやマーゴには時々食べさせてやらないといけないので、2時間ほど作業して家に入る。
マーゴに半強制給餌していると、モアの気配が感じられて辛い。
でもモアの身体はもう無いのだ。
モアがご飯をねだり、撫でで欲しいと鳴く事も無い。
それが寂しいような安心なような・・・もうモアは楽になってくれたんだと思う事にして、出来るだけ泣かないつもりつもりなのに、時々堰を切ったように涙が出て止められなくなる。
PCに向かって一人で泣いていると、こうちゃんが自分の仕事の手を止めてやって来て、後ろから肩を抱いてくれる。
そんな事で悲しみは紛れはしないのだけれど、こうちゃんの気持ちが嬉しい。
こうちゃんを筆頭とする大勢の大事な家族の為にも、私はまだしっかりして居たい。
モアを見習い、しぶとく生きるぞ、私は。
どんなに悲しかろうが三度三度ちゃんと食べているし、おやつも食べるし、お茶も淹れる。
仕事もしているし冗談も言う。
BSで映画も観るし、TVのニュースも見ているし、新聞にも目を通している。
いつもと全く変わりない日を過ごしている。
ただモアが居ないだけ。
涙はなかなか枯れないけれど、庭にも少しずつ手を入れて、また綺麗な冬の庭を目指そう。
モアのベッドからは、庭が良く見えるようにしていたんだ。
モアも外を見るのが好きだったものね。
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【赤毛のアン 〜アンの結婚〜】 |
18日と19日に前後編で分かれていた【アンの結婚】は、観るには観たのだけれど・・・
17日の月曜日に観た【アンの青春】の後編はとても面白かったと書いた。
ここまでにしておけば良かったのに、監督のケヴィン・サリバン。
彼が完全オリジナル脚本で作った、その更に続編となる【アンの結婚】は、少なくとも【赤毛のアン】の世界ではなかった。
もしアンがこんな人生を送っていたら・・・というサリバン氏の創作したお話で、アンはプリンス・エドワード島を飛び出し、ニューヨークや戦時下のヨーロッパをスリリングな展開の中で駆け回る。
そういう意味ではスケールは確かに大きいのだろうが、戦時下の出来事を描くのはまあ良いとしても、そのストーリーが突飛過ぎる。
いや、突飛と言うより、余りにも都合良く展開する上、手垢のついた内容ではないか。
観ていて一番違和感を覚えたのは「何だ、これは【ジュリア】の二番煎じではないか」という事だった。
地下組織に資金を運ぶ危険な役目を負わされるところや、戦火に紛れて行方が判らなくなってしまった友人の子供を探しても見つからず、夢を見ては飛び起きて夫に慰められるシーンなどは全く同じだ。
違っているのは、【アンの結婚】では第一次世界大戦、【ジュリア】では第二次世界大戦下であったのだが、まあ、そんな事は大した事ではない。
何とも後味の悪い【ジュリア】の結末とは違って、【アンの結婚】では一応、ハッピー・エンドの形をとっているところが流石【赤毛のアン】シリーズというべきか。
その辺りにしか【赤毛のアン】の雰囲気は無いのだし。
最初にアンがアヴォンリーの駅に一人でやって来た時と同じ場所に、同じようにして独りでベンチに腰かけていた、探し続けていた友人の息子。
赤ん坊の時に離れ離れになったのだから覚えている筈も無いと思うが、少し大きくなっていたその子供はニコニコ満面の笑みで駆け寄り、アンに抱きつく。
その子供が可愛いから許せてしまうけど、色々とご都合主義の偶然の出会いに満ちたストーリーに途中から鼻白んで来てしまい、観る気持ちが萎えてしまった。
モアの逝った日の夜でもあり、さんざん泣いた目は疲れて熱っぽく、そもそも意地悪な目で観ていたのかも知れないけれど、【赤毛のアン】のシリーズと思わないで観たとしても、二流のサスペンスとしか言いようが無く、全然面白くなかった。
この作品をお好きな方がこの日記をお読みになってご不快になられたら、お詫び申し上げます。
でも、これが私の正直な感想です。
用意周到に夜の時間を作り出し、ワクワク期待して観ていたシリーズだっただけに、3作目ではがっかりしてしまった。
こんな風に極端にドラマチックにする必要なんかないと思う。
【アヴォンリーへの道】といい【赤毛のアン】といい、何気ない日常の中で生きる普通の人々を描いているところが好きだと言う人は多いんじゃないだろうか。
大きな敵や激しいドラマなど存在せず、普段の日々の中で遭遇する小さな心のトゲや人の心の温かみ、普通の生活の中にこそ見出せる幸せや安らぎ・・・それが【アン】の物語の価値だった。
少なくとも私にとっては。
そういう意味で、この映画【アンの結婚】は、少しも【赤毛のアン】らしい世界ではなかったと言えるだろう。
こう言っては気の毒なのだが、アン役のミーガン・フォローズの老け具合が甚だしく、別人かと思う程に変わり果てており、たった数年でこんなにも中年になってしまうものかと驚いた。
これではまるで50代のようだ。
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【アンの青春】での、あのふっくらとした頬はどうしてしまったのだろう? |
最初の【赤毛のアン】が1986年製作、そしてこの【アンの結婚】が2000年・・・14年の歳月が経っているとは言え、ここまで代わってしまうものなのか・・・。
自分の老化は棚に上げて・・・でも良いのだ、私は女優ではないのだから。
それに私は30代の頃は、今と違って甚だしく若々しかったもんね。
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