アンダ
ども、花食いアンちゃんです
Nov. 23, 2011 |
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2011年11月23日 水曜日
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食べる事、作る事、何につけ母を想う |
快晴。
キジ丸を迎えに行く前に一仕事し、その後まだ時間に余裕があったので、野菜も干してしまう。
適宜カットした大根と4つ割りした白菜をザルに並べ、風通しと日当たりの良いベランダに干す。
今年は干し野菜用に100円ショップで大きめのザルを幾つか買い、フックで吊るせるように4か所ずつ麻ヒモを取り付けてスタンバイしておいたのだ。
ザルの縁の部分に麻ヒモを通すのは意外と大変だったけど、手作りする事に価値がある。
安上がりだし。
干し上がったら、煮ものにも漬物にも使える。
多分、大根はゴマ油で炒めてから煮含め、白菜はトロトロに煮てスープに仕立てるのだ。
楽しみ。
4月27日に母の家に、母の亡骸に会いに行った時、母のキッチンに、えのきとしめじを軽く干したものがあった。
それはほんの少量で、小柄な母がこの1年独り暮らしだった事を象徴しているかに見えて悲しかった。
妹が夕食を食べに立ち寄るのを、母はとても楽しみにしていた。
私と電話していても、妹の退社時間が近付くと、いつも「もう切るよ」と言った。「帰って来てご飯が出来ていないと可哀相だから」
私は「ちっとも可愛そうじゃないよ、幼稚園生じゃあるまいし」と心の中で思っていた。
でも、父が死んでしまった後の母には、妹の晩ご飯を作るのが一番の楽しみだったのだろう。
あれだけ行動的で趣味が多く、様々なボランティア活動をし、友人が多く、出掛ける機会も多かった母が、本当に心の頼りにしていたのは父と妹だったのだ。
家族の為に尽くす事が、母の一番の喜びだったのだろう。
私は父が反対したにも関わらず、母の強い後押しもあって東京の大学に行く事にして家を出た。
母は「パパと離婚してでもオマエに送金してやるから」とまで言った。
でもそんな必要は無く、父はちゃんと銀行の学資送金システムを使って、父の給与から送金してくれた。
みっちり帰省していた2ヶ月間の夏休み・春休み中にも、決まった日に振り込みがなされていたので、私は学生時代にアルバイトをする事も無く貯金が出来た。
学業は結構忙しかったし、自炊生活も大変だったので、それはとても有り難かった。
実家にいる休み中の生活費まで貰っておいて良いのかなあ・・・と心の中ではちょっと後ろめたい気持ちでいたのに、父は父で「オマエは卒業までの間、一度も追加で金をねだる事がなかったな。それは感心した」と褒めてくれた。
滅多に褒めない人だったので、意外な事で父に褒められて私は驚いた。
そうか、親には何かと金をせびるのが一般的な子供なのか。
でも父自身がそういう子ではなかった事も知っている。
遺伝子のなせる業だよ、パパ・・・どうしてあの時、そう言えなかったんだろう、ボケナスの私。
私は殆ど料理もした事の無い状態の18歳で独り暮らしを始め、否応なしに自炊を開始した訳だけど、妹は今年の春までずっと50年間、母の手料理を食べ続けて来られた。
その代わりに犠牲にして来たものも大きいと思うが、母のご飯を食べ続けて来られた事だけは羨ましいし、妹も幸せだったと自認しているだろう。
だけど今、妹には独りで晩ご飯を食べる日々が突然やって来た訳だ。
妹は友人がたくさんいてしょっちゅう一緒にご飯を食べに行ったりしているし、30年も付き合っている独身同士のボーイフレンドもいる(結婚しちまえば良いのに・・・と姉は思う)けれど、それでも週のうちの殆どは独りで作って独りで食べる事になる。
母の味に慣れてしまっていて、どこでどんな美味しいものを食べても直ぐに飽きてしまうと言う。
そして母の有り難味を痛感していると言っていた。
そんな時、どれだけ悲しいか、泣けてしまうか、電話のこちら側でも痛い程解る。
何でもそつなく出来る妹だとは知っているけれど、ご飯の時ほど自分の小ささを感じ、さぞ母が恋しかろう。
何十年も共に暮らしていなかった私ですら、何につけ母が恋しくて泣けるのだから。
私も外で食べられるものに飽食した後は、やっぱり家で自分で作る素朴な手料理が一番だと感じるようになった。
でもその手料理の味は、母が作って食べさせてくれていたものを無意識でなぞっている。
味噌汁の味噌は、今も母が使っていたものを、買って送って貰っている。それでないと、しみじみ「美味しいねえ」とは思えないのだから困ってしまう。
玉子焼きの味付けも、人様が作ったどんなものでも美味しく食べるし、自分でも色んな味付けで作ってみたけれど、やっぱり行きついた先は母の玉子焼きだった。
決してご飯は保温しておかず、それが何時であろうといつも家族に炊きたてを食べさせるところも、私のオリジナルじゃなくて母の想いやりであり心意気であったのだ。
でも本当に食べたいのは、自分で作る母の味ではなくて、母の作ってくれるご飯だ。
もう2度と叶わない事だと改めて思うと、しみじみと悲しい。
母はもういないんだと、折に触れては思い出し、この喪失感は死ぬまで消えないだろうと確信する。
母親とは、きっとそういうものなんだ。
母になる生き方を選ばなかった私は、そういう風に恋しがって貰う事も無いまま忘れ去られて行くのだ。
それを潔しといなければならない。
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キジ丸、退院 |
さてキジ丸。
病院にお迎えに行くと、クロちゃんの時のようにうんと怒っているかと思いきや、意外におとなしい。
家に連れ帰り、ケージに移すにもさほど苦労せず、周囲にわらわらと集まって来た物見高いリマやナム、ペリー、ルスなどと顔を突き合わせても威嚇もしない。
さぞかし先住猫への唸りが凄いだろうと予想していたのに、むしろおどおどしており、可哀相だけどそんなキジ丸の様子はいじらしくて可愛い。
但し、とても汚い。
汚いが、拭いてやる事も出来ない。
何たって触れないバリバリの野良なのだから。
みんなそうだったように、時間の経過と共に綺麗になって行くのを待つしかないのだ。
どんなに汚くても、保護したばかりのカワムラさん程には汚れてはいないな。
あれは機械油のような黒い油だった。
拭いても落ちなかったけれど、月日が経過するといつしか華麗になって行った。
本人がグルーミングして綺麗になって行くのも勿論だが、敷きものや毛布がどんどん汚れ、それをどんどん洗うのだ。
ゆっくり馴染んでくれれば良い。
私達にではなくても、この家で暮らす事にだけは。 |
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アンダ
お花、隠したね〜!
Nov. 23, 2011 |
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テルテル夫妻が、モアの為にお花を持って来て下さった。
モアの闘病時代をずっと知ってくれていて、生きて生きて生き抜きましたね・・・と言ってくれた。
有り難う、モアもトムも励まして貰いましたね。
それにしても、毎回アンちゃんに食べられないうちに撮影するのは一苦労だ。
アンちゃんだけけん制していると、草食系デブのジャムも狙っているし。 |
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モアへのお花
Nov. 23, 2011 |
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