ナム
大人ってフクザツよね
Aug. 7, 2012 |
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2012年8月7日 火曜日 |
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それにしても暑いですね。
「立秋」の今日も猛暑。
「二十四節気」を持ち出すのも趣があって良いのだけれど、実際に感じる季節とはかなりかけ離れている。
とりわけ、寒さの一番厳しい時の「立春」と、酷暑のさなかの「立秋」は、高原や山岳地方でない限り、甚だしく現実の季節とは違って感じられる。
そもそも「二十四節気」とは、2600年前の中国の黄河中・下流域の寒冷大陸的な気候に合わせて作られた言葉がそのまま使われて来たという事で、日本の気候とは感覚的なズレが生じても致し方ないようだ。
それでも長く生きていると、そういった古くからの季節の区切りや習慣にもいつしか馴染んでいて、他に何の節目も無く暮らしている身にとっては大切なものに思える。
どれだけ機械文明が進化しても、自然を大切に思う心に立ち返らせてくれる言葉や文化は、すたれて欲しくないと思う。
そして人間も自然の一部なのだという事を忘れないでいたい。
私が若かった頃、飢えた経験も無ければ戦争に行かされた事も無い若者達は、豊かさの中でどうにでも生きられたせいか、しっかりとした根っこを持たずに育った。
そして経験の伴わない脆い精神を彩る為のファッションのようにして、本当に意味など解っちゃいないアナーキズムや実存主義を鎧として着込んでみたり、それでいて私達こそが資本主義の産物の最たるものであった事には無自覚でいたんだ。
いまどきの厳しい世の中で生きて行かなければならない堅実な若者と比べたら、あの頃の若者は遥かに地に足が付いていない、戦後初めて知った物質的豊かさというぬるま湯の中で生まれ育ってしまった、恥かしい世代であったと思う。
だからむしろ大人になる為には、ちょっと苦労したと思うよ、みんなが大なり小なり。
物質的にではなく、精神的にね。
実はいまだ大人になりきれていないオジサン・オバサンもたくんいるかも知れないのだ、私も含め。
そんな宙ぶらりんの世代だって戸籍上は中年・初老となり、いっぱしの事を言っている。
毎年9月9日なると、「今日は重陽の節句だ」なんて風流ぶって書いているのだ。
あの頃、プログレッシヴ・ロックしか聴かず、モラトリアムの為にだけ進学し、将来の事など何も考えていなかった私でさえ。
規制の価値観などぶち壊してしまえ、私はそんなものでは評価されたくない・されないぞと突っ張っていたくせに、現実は厳しく、自分はそれほど大したモノじゃない事を機会ある毎に知って行く。
そしていつの間にか古くからの知恵や習慣の中に落ち着きや価値を見出しているのだ。
それを「日和った」とか「堕落」だと言うのかな、あの当時の若者の価値観では。
そんな単純ではない事を、大人は知っている。
私とて、いきなりコロッと変わった訳じゃない。
やはり長い歳月の中には、今に至る過程があるのだ。
何度も痛い思いをして、それでも決して「妥協」や「逃げ」ではない不変で普遍で不偏な、世の中の価値の最大公約数を知るようになるだけなんだろう。
いや、待てよ。
「妥協」って、そんなに悪い事だろうか?
「逃げるが勝ち」という場合だってあるのも確かだ。
オトナってフクザツ。
でも幸か不幸か、私はプロセスをケロッと忘れてしまう事が多い。
そんなに苦しくて痛かったっけ?
流石ニワトリ(酉)年、何でもかんでも直ぐに忘れる。
忘れたくないのは父と母の存在だけだ。
あまりにすっ飛ばしていた頃、お別れが来るなんて実感が無かったから忘れていられた時間は多かったけれど、失ってからの日々は、常に思っている。
大切に思い出したい。
「有り難う」
「ごめんなさい」
そこから改めて感じるものは、この2つしか無いとしても。
まあ、そんなこんなで私にも「立秋」はそれなりに感慨深いものがあり、このクソ暑いのに何が「立秋」だ・・・などと言う事にこそ違和感が感じられるようになってきた。
馴染むってこういう事なのかな。
きっと理屈じゃないんだろうな、馴染むって。
そして今日も昨日と同じ頃に、にわか雨があった。
昨日のような雷雨ではなかったので、ジャムも落ちついていた。
朝、昨日の豪雨で庭の鉢植えは充分湿っていたから、水を遣らずにおいたのだが、正解だった。
雨が上がって再び陽が出ると、蒸し暑くて堪らない。
しかし明日は、晴れても湿度が低くて涼しいのだと天気予報で言っていた。
まあ、やっぱり「立秋」過ぎたから?
いや、どうやら一時的な現象らしいから、またクソ暑くなるのだ。
んなにも早く暑さが去ってしまうと、それはそれで寂しい。
老い先短い年寄りにとってはね。
去年の今日、大阪から竹内さんが福島の被災猫の「ゆきちゃん」を、マサムネの里親さんのお宅にお届けに来たんだった。
里親さんの東北のご実家も津波で被災して、押し入れの中で飼い猫が溺死しているのを、お母様が後日発見した。
里親さんは、被災地の猫を1匹でも引き取りたいと考え、それならば竹内さんが被災地まで行って保護した猫を貰い受けたいと思ってくれたのだ。
あの時の猫「ゆきちゃん改めだいふくちゃん」と「マサムネ改めロクちゃん」の仲良し写真が届いた。
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左がだいふくちゃん、右がロクちゃん |
この写真を見て、あれ?「ぷうちゃん」と「むくちゃん」?と思ってしまった。
「だいふくちゃん」にそっくりな白猫「ぷうちゃん」は「大ちゃん」となり、「ロクちゃん」にそっくりな黒猫「むくちゃん」は「福ちゃん」となって、仲良しの2匹は「大福ブラザーズ」と呼ばれている。
なんだ~、どちらにも「大福」じゃん。
これが「大ちゃん」と「福ちゃん」の近影。
ちょっと小さいけれど、そっくりなのは判って戴けるかなあ? |
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しかも、どちらの里親さんも同じ姓なのだ。
何と言う偶然。
幸せな猫たちの姿を見る事が出来るのは、この上ない喜びだ。
生き延びる事すら困難な野良猫が圧倒的に多いだけに、幸せを掴んだ一握りの猫たちを見られる事は、ざまざまな意味で感慨深い。 |
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ナム
アタシはシンプルそのものよ
Aug. 7, 2012 |
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ナム
イオ小母ちゃんどう思う?
Aug. 7, 2012 |
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イオ
あ~ら、ナムちゃんとアタシ
Aug. 7, 2012 |
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イオ
そんなに歳変わんないのよ
Aug. 7, 2012 |
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イオ
少女のつもりでいるでしょ?
Aug. 7, 2012 |
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ナム
うっ、図星かも
Aug. 7, 2012 |
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保護された2004年に推定で11ヶ月だったナムよりも、生まれたのが2002年と判っているイオの方が、1歳は年上だ。
イオは野良のお母さんから生まれたとは言え、生まれたのは優しい人の家だったから、野良生活を知らない。
その点に於いてはジャムと同じで、お嬢様猫なのだ、イオは。
それにイオにはロンとハオという2匹の兄弟が居て、1年間は長崎の実家で一緒に育った。
キジトラと茶トラだったよね、ロンとハオは。
あの時、どうして3匹一緒に貰い受けなかったのかと、いつまでも悔やんだ。
1匹だけ引き離してしまって・・・。
でも流石のサビ猫、イオはペリーのお姉さんにして教育係として、その優秀さと逞しさを発揮してくれた。
イオには感謝している。
して貰うだけじゃなく、イオにも充分に報いてやらなくちゃいけない。
リマが甘えていると必ずやって来て、私を見上げる。
ブラッシングが大好きで、固太りした身体をゴロンゴロンとのたうち回らせて甘えるイオ。
綺麗なイオ。
ナムのように単純に突進して来て甘えられる性格では無いけれど、イオらしく控え目に、だけど毅然とした態度で甘えるイオが愛しくて仕方ない。
イオも、もう10歳。
若くはないけれど、ピカピカの毛に良く締まった身体で、健康そのものだ。
いつまでも元気でいて欲しい。
そしてイオの長崎の実家のお母さんも、ナムの愛知の実家のお母さんも、それぞれがその後も野良猫たちを保護している。
私もその後、自らの手で保護した野良猫たちを我が子としている。
みんな、あれからうんと増えましたね。
おっと、そんな呑気な事を言ってばかりではいられない。
またまた新たな仔猫を、どうしても見過ごす事が出来ずに保護しつつあるようなのだ。
せめて既に里親募集をしている仔猫たちからでも、良いご縁がありますよう。
お松ちゃんたちの里親募集、どうか宜しくお願いします。
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