チャイ
ま~たカメラなの?
Mar. 25, 2013 |
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2013年3月25日 月曜日 (禁煙214日目)
寒い。
あんなに暖かい日もあったのに、今日は一転して2月末の陽気だそうだ。
そう聞いたせいじゃないと思うけど、寒過ぎるよ、まったく。 |
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チャイ
いつまでもポーズなんか
Mar. 25, 2013 |
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チャイ
とってらんないよ~
Mar. 25, 2013 |
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チャイ
なんたってこんな日は・・・
Mar. 25, 2013 |
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チャイ
眠くて眠くて眠いのよ
Mar. 25, 2013 |
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一日中、煙るような雨が降り、とても寒かったので、裏の公園には花見客も来なかった。
静かで有り難い。
ここ数日、家族連れの花見客が騒がしかったせいか野鳥が餌場に寄り付かず、餌の減りがなんと約8割減。
そろそろ虫が出て来ているせいかな・・・と思ったが、まだそこまでではない。
庭の草木も虫食いが見られず、ほんの小さなケムシすら見つけられない。
もう暫くの間、野鳥に果物を提供しよう。
昨日、また市販の「野鳥の餌」を盛っておいたのだが、こちらは全く手が付いておらず。
頼むよ、ヒマワリの種だけでも食べてくれないかな。
今日は暗くて、猫たちももみんな寝てばかりだし、私も親知らずが痛むし・・・
そうだ、1本目の親知らずは、卒論前に抜いておかないと辛いからと、大学3年の夏休みに抜いたんだっけ。
そして痛み止めの睡眠薬が効き過ぎて、翌日もまだフラフラしていて、歯医者からの帰り道、自転車で転んで怪我をしたんだ。
そうだ、そうだ、あの時の事がイモヅル式に思い出される。
親知らずを抜いた当日の晩、痛み止めなのか睡眠薬なのか、怪しげな赤い薬包紙に包まれた粉を飲んで2階の寝室に上がろうとしたら、妹がひきとめたのだ。
リビングで怖い映画を観ていて、一人じゃ怖いからお姉ちゃん一緒にいてよ・・・と言うのだ。
私は薬を飲んだら歩けなくなってしまいそうだからダメだと言うと、2階まで連れて行ってあげるから・・・と妹は言う。
これからミイラか何か出て来て、そのクライマックスシーンを妹はどうしても観たかったらしい。
なのに一人では観ていられないのだ。
その後の事は全く記憶が無いので、間もなく眠ってしまったのだろう。
妹はまだ10代の頃は力持ちだったので、意識が朦朧としている私を抱えて階段を上ったのだろうか。
その翌朝、自転車で転んだのだ。
顔から転んで歯を折らなくて良かった。
自転車で顔から転んで歯を折ったのは、亡き母だ。
それはそれでそこそこ大変な怪我だったけれど、車に轢かれたり撥ねられたりした大怪我でなくて良かった。
そしたらもう、あの時にお別れだったかも知れないのだ。
因みに、私の田舎では、歯を「折る」などとは言わない。
歯を「おっかく」と言うのだ。
今だって妹と話していると、「歯をおっかいたんさね~」という言い方をする。
誰も歯をおっかいてなどいないのだが、たとえ話ね。
母はまだ若く、自転車を飛ばしていた。
滅多に車の通りが無い裏道で、しかも昭和40年代の事。
曲がり角を勢い良くノー・ブレーキで曲がり(これは母が悪い)、曲るとそこはいきなり坂な下り道なのだが、向うから車が来たのか、そこで急ブレーキを前輪に掛けたものだから、慣性の力は母を前に飛ばした。
小さくて軽い母は、良く飛んだ事だろう。
高校生だったかな、あの時私は。
家に帰ると母が顔を冷やして寝ており、妹が「お姉ちゃん、ママが・・・」と泣いていた。
妹は泣き虫で、直ぐに泣く子供だったのだ。
叱られても直ぐに泣いて「ごめんなさい」と言うから、妹は大人たちにとって可愛い子供だったのだろう。
私にとっても可愛い小さい妹だったのだから。
その妹が、父と母の葬式を立派に済ませるような大人になり、人前では決して泣かないのだそうだ。
父の葬式にも母の葬式にも、妹は涙を見せなかったと言う。
小さくて泣き虫だった妹は、自力で父の家を建て直し(自分で大工仕事をしたという意味では無い)、素敵な仏壇に買い替え、おまけに骨董の家具や調度品で仏壇回りを飾ったのだそうだ。
昨夜、電話で話していてそれを知った。
幾つもの骨董家具を購入して何ヶ月もしてから、この姉に話してくれたのだ。
なんだなんだ、パパそっくりじゃん、そのやり方は。
ふうん、中国か韓国の骨董品だね、きっと。
幾らしたの?とは身内でも絶対に聞かないけれど、きっと今の私の金銭感覚では凄く高価な物だろうと思う。
妹の言い方からしても、高価なものだと感じた。
妹が欲しい物を、妹が真面目に働いて稼いだ金で買うのに、姉に何の不服があるだろう。
そういう事に、肉親だからといって遠慮せずに口出しをするから、身内の喧嘩は激しいのだ。
たとえ親子でも、子供が自立してからは、自分の価値観を押し付けない・・・父と母は私にそうしてくれていたような気がするし、妹もいつも温かい目で姉の波乱の人生を見守ってくれていた。
だからお姉やんも口出しはしないよ、アンタが何を買おうと。
でも、印鑑や壺は売りつけられないでね。
もう直ぐお誕生日だから、お姉やんからは赤頭巾ちゃんの絵のついたマグカップを贈るよ。
可愛いんだよ、それ。
50代の妹に、赤頭巾ちゃんのマグカップ・・・それで良いのか、私達。
私もミュウが死んだ後、毎週、50本も100本も、九州の高地の農家からバラを取り寄せて貰って飾っていた。
2003年10月の日記から持って来てみたけど、画像が暗過ぎるかな。
これなら少しマシかな。
あんな事は、今ではもう勿体なくて出来ない。
だけど、あの時はやらないではいられなかった。
ミュウは私達に殆ど手を掛けさせずに逝ってしまって、そんなミュウの為に何か犠牲を払わずにはいられなかったのかも知れない。
それでも、今とは格段に頭数が違う。
だから贅沢が出来たのだ。
身上をつぶすような散財をしない限り、少し位贅沢をする時期があっても良いだろう。
無駄こそが文化、なくても済むけどあったら豊かな気持ちになれる、あったら嬉しい・・・それが贅沢。
ミュウのお陰で、生花に贅沢する経験を持てた。
有り難う、ミュウちゃん。
妹はこれからの人生を、たった一人の身内の私と、父母の菩提を弔う為に生きて行くような気がして仕方ない。
しかし、それで自分の楽しみ・幸せを犠牲にしているという事では無いはずだ。
自分好みの生き方の中に、父母の仏間を立派に整える事も含まれるのだ。
という訳で、妹に父母やお寺や行事は一切合財任せっきりにして、姉は猫たちに時間と金を使わせて貰うね。
その代わり、この事だけはしっかりやるよ。
夜になると雨が少し強くなるが、まだ桜は散らないだろう。
満開になったばかりだもの。 |
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今日の桜
Mar. 25, 2013 |
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今日のネクタリン
Mar. 25, 2013 |
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ニワトリの壁飾り
Mar. 25, 2013 |
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地味で目立たないニワトリの飾りは、飾った頃は覚えていたけど、この数カ月、すっかり存在を忘れていた。
その下にある吊り鉢に毎日背伸びして水をやるくせに、ちょっと上のニワトリを見ていない。
ニワトリは私のシンボルじゃないか。
酉年なんだから。
てな事で、久し振りで撮ってやった。
うん、地味だけどいいね。
背景が白いともっと良いけど、今更もう無理だ。
白くペンキを塗る事は出来るけれど、1箇所だけ真っ白にする事はバランスを考慮して出来ないし、ペンキはしょっちゅう塗り直さないと汚くなる。
やはり、このままが良いのだ。
惜しいね~。
これはお昼ご飯だ。
地味な画像でスミマセン。 |
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なめこと豆腐の味噌汁
Mar. 25, 2013 |
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炊きたてご飯
Mar. 25, 2013 |
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五目卵焼き
Mar. 25, 2013 |
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これでお昼ごはん
Mar. 25, 2013 |
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寒いから、味噌汁が食べたかった。
ご飯を炊いて、卵焼きを作って、味噌汁を作って・・・と、朝ご飯みたいなお昼になった。
でも、我が家の朝食は、まだバター消費目的もあり・・・いや、それはむしろ幸せな課題なのだが・・・パンと大量のバターにたっぷりのミルクコーヒーという、簡素で高カロリーな朝食だ。
このバターの呪縛から抜け出さない事には、私のコレステロール値は改まらないだろう。
なんたって、バター1箱が3回の朝食で終わるのだ。
幾ら二人とは言え、これは食べ過ぎ。
今あるバターが食べ終わったら、和風の朝食にしようかと思う。
しかし禁煙と同じで、今直ぐに始められない人は、結局いつまで経っても始められないのだ。
「禁バター外来」でも無い限り、バターを「食べる」美味しさからは抜けられないだろうな。
冷たくて白くてミルキーな、脂臭くないバター。
カルピスバターなんか目じゃない。
そのバターを塊で切り取ってパンに乗せ、口の中で溶かして食べるのだ。
パンはバターを乗せる為の「台」だな、いわば。
しかし「台」ではあっても、クラッカーよりはパンの方が私には好ましい。
クラッカーは私の感覚では、「台」は「台」でもおやつかオードブル用の「台」なんだ。
もう少し食欲や食べることへの執着が無くなってくれれば、クラッカーと野菜スープくらいで充分なんだけどな、夜は。
まだまだ脂への執着は捨てられそうもない。
だからコレステロール値が高いんだ、まったく。
今日だってお昼が待ち切れなくて、その前にチョコレートやらポテチやら食べてしまって、まったくもう・・・ |
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