2014年3月27日 木曜日 (禁煙578日目)
一日お天気が悪い。
肌寒くて、これでは桜の開花はまたお預けかも知れない。
霧雨の中、久し振りで「元盛」さんに行ってサンマー麺を食べた。
肌寒かったので、熱々の麺が美味しい。
この前、いつ食べに行ったか思い出せない位、ずーっと行っていなかった。
もっと頻繁に来ようと、店を出る時にはいつも思う。
安くて、早くて、そして美味しい店なんだもの。
なのについ足が遠退いてしまうのは、どうしてだろう。
そもそもが、歳をとって外食を好まなくなっているせいもあるんだろうな。
だけど自分で3食全て作るのもしんどい。
忙しくて時間も勿体ない。
やっぱり「元盛」をもっと利用させて貰おう。
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ジャム ジャムはパパ尊敬してるよ
Mar. 27, 2014
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ジャム だってジャムのパパだもん
Mar. 27, 2014
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ジャム ねえ、パパ~!
Mar. 27, 2014
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ジャム パパってばパパ~!
Mar. 27, 2014
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今日たまたまつけていたテレビで、何かの番組のナレーションが気になった。
仕事に追われて、夜中まで帰宅出来ない父親の事を、「家庭を犠牲にして」と表現していたのだ。
それを聞いて、こうちゃんと私、殆ど同時に「どこが家庭をぎせいにしているんだ?」と口にしていた。
妻や子の為に、自分の人生を犠牲にして働いていると言うなら解るが、真面目に働いて、ラッシュの電車で長時間掛けて通い、付かれて深夜に帰宅する父親が子供を風呂に入れたり遊び相手になってやれなかったとしても、そのどこが「家庭を犠牲にして」いるのか、私には理解出来ない。
「家庭を犠牲にして」いると言えるのは、たとえば、週乳は家に入れず愛人宅に入り浸り家に寄りつかないとか、家も売り払って愛人に貢いでしまうとか、そういうケースではなかろうか。
平日、仕事に追われて一家団欒とは無縁だったとしても、それを「家庭を顧みず」とか「家庭を犠牲にして」などと評してしまう事は、社会が女性化・幼児化している証拠だと私は思う。
「家庭を犠牲にする」などという表現は、よほどの事でなければ言えない。
簡単に極端な表現をし過ぎるよ、マスコミ媒体は。
それを真似たり、影響され、慣れてしまい、良く考えもしないで聞いた風な事を言うようになる事は避けたい。
家族の為に頑張っている父親たちに、母親が率先して感謝し尊敬して見せないと、子供は不幸だという事を、母親たちは知るべきだ。
父親を尊敬できない子供は不幸だけど、それは母親に責任がある場合が多いのだから。
子供が父親を軽んじるのは、母親がそうしているせいである事が多いのだ。
と私は思う。
勿論、何事にも例外はあるでしょうが。 |
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