2014年5月17日 土曜日 (禁煙629日目)
のっけからこんな事書きたくないけど、フレアもゴマもクロちゃんもチャイも、いつ死んでもおかしくないだろう。
毎日が綱渡り、薄氷を踏む思いだ。
今日も生きて、一杯訳の解らない我が儘を言ったね、ゴマ。
何でもゴマの言う事を聞くよ。
15年前、毎日ゴマに後追いされても家猫にしてやれなかった情けない私だから。
必死で産み育てた娘たちをみんな里子に出してしまった非情な私だから。
そして仲良しアメショー家族に強引に加えて、遠慮させてストレスを感じさせてしまった私だからね。
もう何だって胡麻の言うなりだよ、ママは。
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ゴマ ベロが出てるですって?
May. 17, 2014
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ゴマ いいのよ、ほっといてよ
May. 17, 2014
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犬歯が欠けているから、ベロが出てしまう。
小さいペロ。
小さい顔、小さい手足、小さい身体。
しかし今のゴマは態度はデカい。
いいぞ、ゴマもその調子だよ。
朝ドラを観ていて感じた違和感。
それは、ヒロイン「はな」の母親は、娘が卒業したら田舎に戻って来ると信じていたという事だ。
一家は貧しい小作で、はなの妹は女工として売られた位に厳しい暮らしだと言うのに、10年間も西洋式の教育を受けたはなを田舎に帰らせたところで、何をさせるつもりだったのだろう。
結局、母親の想いを感じ、迷っていた心は帰郷する方向に傾いてしまった。
出版社が採用すると言ってくれたのに、なんと勿体ない。
小学校で代用教員の口があるようだけど、そんなんじゃ先は思いやられる。
ほら、何年か前にやっていた朝ドラでも、ヒロインが田舎の公立小学校の女性教師になった。
あれは確かもう少し時代が後だったけれど、随分と女性軽視されていたよね。
まあ、私が心配しなくても、このヒロインはやがて素晴らしい仕事をするようになるのだが。
だけど娘を東京のミッションスクールへと編入させる為に奔走した父親の先見の明と、優しくて働き者だけどこの母親の親としての覚悟の違いは、どうなんだろうと思った今週だった。
別に東京が全てだと思っちゃいない。
だけどあの時代、田舎の村で女性が職業を持つのは厳しいだろう。
38年前、私が東京の大学に行きたいと言っても、父は若い女の子が東京で一人暮らしする事にも、特に学問が好きでもなさそうな娘が大学進学する事にも反対だった。
それは今の私ならば、まことに尤もな意見だと思える。
しかし母は、たとえ勘当されてでも東京に行きな、仕送りくらいママが何としてでもてやるから・・・と言って共に父を説得してくれた。
あの時、母は何を考えていたんだろう。
母は私なんかより遥かに才気溢れる女性で、尚且つ、怠けるのが大好きな私の実の母親とは思えない位、努力家でもあった。
才能があって、しかも負けず嫌い、そして努力をしたら、もう鬼に金棒だ。
結婚後は退職し、嫁として、母として生きる事が優先だったものの、子育てしながらでも自分の人生に様々な目標を見出し、それをちゃんと達成し続けていた。
家事と介護を立派にこなしながら。
でも本来、母は家庭に納まっているような女性では無かったと思う。
だけど母は自分の運命を受け入れて、その中で最大限の力を発揮していたと思う。
常に自己肯定的で前向きな人だった・・・と娘に思わせる人だった。
内面の葛藤があったのかどうかは全然解らない。
殆ど後ろ向きな事を言わなかったから。
母は5人姉妹の真ん中に生まれ育った。
長女はバイオリンをやっていて、上野の音楽学校に入学が決まっていた。
しかし空襲が激しくなって、とても東京になどやれないと反対され、泣く泣く諦めて地元の学校に行ったそうだ。
長女にそういう道を選んだからには、その妹たちも全員、東京の学校へは行かせないというのが、父親、つまり私の祖父の方針だったそうだ。
それこそ70年も昔の話で、今とは父親の権力の低度も違っただろう。
後年、私が紙媒体の仕事をし始めた時、母の母親、つまり私の祖母は私に言った事がある。
「マサコ(母の名)は新聞記者にさせようと思ってたんだ。それが、カズエちゃんがこんな仕事をするようになるなんて、偶然だねえ」
母は自分の失敗や挫折を語る人では無かった。
ざっと見た限りでは、母の人生に挫折や失敗があったようには見えないけれど、母は母なりに他人の計り知れない挫折感や悩みがあったかも知れない。
それが感じられない位、前向きと言うか、ええかっこしいと言うか、隙を見せるのが嫌いと言うか。
兎に角、私から見たら大した事ではないような事でも、母のプライドを損なうかも知れない事を母が口にする事は無かった。
それはもう徹底していた。
だから想像の域を出ないのだけれど、母は自分が家や昔の価値観に縛られていたようには、私を縛り付けたくなかったのではないだろうか。
娘の可能性を伸ばしてやりたい、それは娘が自覚して望む以上に、娘の将来に明るい希望や選択肢をたくさん用意してやりたいと願う母親だった事は確かだ。
だから志があっても間に合わない事が無いように、教育でも習い事でもあらゆる機会を与えてくれていた。
根性無しの私が、それを生かし切れなかっただけなのだ。
勿体なかったし、申し訳ない。
悔いたところで今更もう遅い。
父の言う通りに親の家から嫁に行くような娘にはなれず、さっさと東京に出て来てしまった事が果たして正解だったかどうかは解らない。
だけど出て来ていなかったら、紆余曲折を経て後にこうちゃんと出会う事もなかっただろうから、まあ、これが私の運命だったのだ。
大成はしなかったけれど、幸せだからいいよ。
不幸なのは、大切なものと死に別れる事だけ。
貧しいけれど、それで決定的に不幸とは言えない程度の貧乏だから、ま、これが私に相応しい一生なんだ。
今更何を悔いたって仕方ない。
与えられた条件下で、出来る事をやるだけだ。
食いながら、もとい、悔いながら死なずに済む程度には頑張ろう。
まあそこそこ頑張ったよ・・・と自分を納得させられたら、それで「恩の字」だろう。
それでさえ、私にとっては高みの理想かも知れないのだ。
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五目キンピラ May. 17, 2014
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新ゴボウと人参、コンニャク、キクラゲ、チクワで5品、それで五目キンピラとした。
いや~、キクラゲって美味しいね。
味なんか無いけど、歯応えが良いせいかな、キクラゲが一番美味しく感じる。
炒り豆腐にも、豚骨ラーメンの具にも、中華の炒めものにも絶対に欠かしたくない素材だ。
キンピラは簡単で使い回しが効く。
温め直しの際に酢を投入し、炊きたてのご飯に混ぜ込んで即席の五目寿司にも変身出来る。
ゴマ油を効かせれば、中華風の五目寿司だ。
その際、贅沢に鶏肉や椎茸、タケノコなんぞ追加で入れても良いけど、わざわざ入れなくたって充分美味しい。
是非、切らさずに作っておきたい、まさに「常備菜」の筆頭だな。 |
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