2014年7月12日 土曜日 (禁煙685日目)
昨日も今日も猛暑で、梅雨が明けたかのようだ。
熱中症で倒れる人続々らしいから、充分気をつけたい。
なんたって水分を摂るのが苦手だからな、子供の頃から。
長時間眠りこんでしまうゴマなども、水分が不足すると毒素が高まって気持ち悪くなるから、可哀相なようだけど起こしてでも飲ませないといれない。
老猫が、寝ていたと思ったらムクッと起きてゲッゲッゲッ・・・とえづく光景を見た事ある人も多いでしょう。
それにしても老猫の比率の高さ・・・いや、若い猫が居ないと言っても間違いじゃない我が家。
充分に目を配っていないと、小さな変化に気づかないようではいけない。
サイトの表紙では仔猫の頃の画像を使っているけれど、メラたちトリコロール隊だって既に老猫なのだ。
その3匹のうち、ビルは既に鬼籍に入ってしまったし。
|
プティ 最近、仲良しが出来たのよ
Jul. 12, 2014
|
|
プティ ビル死んじゃったからさ・・・
Jul. 12, 2014
|
|
プティ それは誰かって?
Jul. 12, 2014
|
|
プティ 明日ここで解るよ、きっと
Jul. 12, 2014
|
オカマ喋りさせてるけど、プティはオスです。
しかも「小さい」という意味のフランス語ではありませんよ、うちのプティは。
知ってる人は知っている、インドネシア語からつけた名前でしたね、うちのトリコロール隊3匹の名前は。
そしてプティの予告通り、明日の日記でプティ君の仲良しさんをご覧いただきましょう。
ひっぱる程の内容ではないけど、1日で何もかも書くには時間が足りない、スペースが長くなり過ぎる、ネタが勿体ない。
先日ご披露した、テリーヌの入っていた陶器で作った猫毛のピンクッション(当日の画像はこれです)。
また作ろうと宣言した通り、またしても作りました。
但し、蓋の閉まる透明なビンではなくて、ボロ隠しの出来る不透明な陶製容器にしました。
100円ショップで木綿糸を買った時、丁度お誂え向きの物があったので。
手前の丸い方が、新作です。
|
|
新作・猫毛の針山 Jul. 12, 2014 |
溜めてあった猫の抜け毛は、これで一旦全て使い切ってしまった。
毎日毎日、掃除に手を焼き、悩まされ続けている猫の抜け毛だけど、こんな利用価値があったとは素晴らしい。
針仕事を毎日やる私にとっては最高の使い道だ。
しかも今回の側地も、再利用品と言うか、30年以上も放置してあったパッチワークのパーツなのだ。
タックを入れて作ったクッション状のパーツを繋ぎ合せて作る、ポコポコしたパッチワークをご存知の方もおられるでしょう。
それをやってみたくて先ず1個だけ作ったんだけど、当時の私は直ぐに飽きてしまった。
何かの手順が私の好みに合わなかったのだと思う。
でも、それが何なのか、あの頃よりも我慢強くなった私には思い出せない。
中に詰めてあった綿を出して、猫毛をギュゥギュウに詰め込んだ。
ガラの毛も、テトの毛も、イオの毛、ルス・リマの毛、シロちゃんの毛も混じっている。
たっぷりと詰めて、丸い陶器にギュッと押しこんだ。
そして待ち針を散りばめる。
本当は無地の布の方が良かったんだけど、ま、廃物利用出来て良かったじゃん、30年来使えずに取って置いたものが利用価値を発揮するなんて最高じゃん・・・と自分に言い聞かせる。
うん、何だったらもっと待ち針を一杯刺せば、布の柄なんか見えなくなるし。
そもそもこの小花柄の生地は、私が生まれて初めてパッチワークというものをした時に買った、生地なんか買い求めたのも生まれて初めてという、記念すべき生地の残り物だった。
40年以上前、まだ当時の世の中には今と違ってパッチワークの本など存在せず、趣味にしている人だってあまり居なかった。
インテリア雑誌や映画の中で見るパッチワークに憧れて、自己流でただのツギハギから始めたパッチワークだった。
それは無事にベッドカバーにまで仕上げられて、今でも物置になっているシングルベッドに掛っている。
当時はキルト芯なども、アクリル綿なども売られておらず、脱脂綿を薄く伸ばして芯として、そしてチクチク、チクチク、毎日キルティングしたのだった。
そのキルティングをしたアパートの部屋を思い出す。
大学2年から3年間住んだ中目黒のアパート。
陽が射さず、梅雨時に湿気っぽくてベッドの下に青カビが生えたと先日日記でも書いた、あの部屋だ。
窓際には低い出窓があった。
その出窓とベッドの高さが同じだったので、キルティング用に作った枠を伊達窓とベッドに渡すように置いて、私はそこで来る日も来る日もキルティングを続けた。
キルト用の枠は、東急ハンズで買った1.8メートルの長い棒を2本、そこにパッチワークを巻き付けて、キルティングし易いようにピンと張る為に、溝を彫った角材2本に嵌め込んだ物だった。
そんな説明では解り難いかな、ま、こんな事どうでもいいか。
カビの話題の時にも書いた通り、窓を開けても、風は通らず、目の前には湿っぽい石垣が迫って見えるだけだった。
湿った土の臭いがするような窓辺だったけれど、、スタンドまでは作れなかったので、キルティング枠を宙に浮かせる為には、出窓とベッドに渡して置くしか無かったので、その場所に限定されていたのだ。
テレビが無かったので、勉強する時間以外の空き時間は、全てキルティングにあてた。
ラジオを聴きながらキルティングした。
当時、NHK-FMでは唯一のロック番組で、渋谷陽一の「ヤングジョッキー」という番組があった。
そこでケイト・ブッシュを初めて聴いた。
渋谷氏の早口な御説を聴いてはいたけど、音楽の好みは私とは違っていたし、理屈はどうでも良かったんだ、私にとっては。
誤解を恐れずに言うならば、それがロックだろうが歌詞の意味なんかどうでも良い、大事なのはメロディーやリズム、歌が入るとしたら快い響き、音に合った言葉のノリであろうか。
むしろ歌詞に重きを置き過ぎるものは青臭くて聴いていられないという気がした。
私自身が青臭い若い年齢の頃でしたけどね。
そのアパートは、中目黒と言っても「中目黒」駅とJR「目黒」駅の中間辺りだったので、私は目黒駅まで権之助坂(ごんのすけざか)を登って行き、そこからJRに乗って通学していた。
行きは登りだから最短距離の道を探し、帰りは下り坂だから色々と遠回りして歩いた。
たくさんの坂道、その坂の名前、研究所の広い敷地と高い塀、繁華街など無い住宅地だったけど、飽きずに良く歩いた。
夏は日傘をさして、お気に入りの「茶屋坂」を歩いた。
休日には、朝から区民センターの図書館で勉強したんだ。
涼しいからね、冷房が効いていて。
アパートの近くには凄く美味しい蕎麦屋が出来たり、言えば牛骨でも舌でも丸ごと売ってくれる肉屋もあった。
牛の骨を半分の長さに切って貰い、骨髄がすっぽり抜けるまで圧力なべで茹でてスープストックを作ったのは、区民センターの図書館で借りた本に、スープストックの作り方やトマトの水煮の作り方など、当時日本の家庭じゃ知られていなかった保存食作りの本を読んだからだ。
そういう真似が楽しかったんだな、本物の主婦じゃなかったから。
当時、私は専業得主婦になる事を夢見ていて、結婚したら料理にパッチワーク、編み物、ガーデニング・・・と、優雅に趣味三昧で過ごすつもりでいたのだ。
楽しかったよなあ・・・大学生だった中目黒時代。
しかし専業主婦には、終ぞなれなかったよ、今回の人生では。
今からなれる?
もう専業主婦なんて言えないよ、60も過ぎてから仕事辞めたところで。
というような事を、今日作ったピン・クッションの布からバラバラッと思い出が広がったのであった。
長く生きていると、色んな事があったんだなあ・・・と改めて感じる。
ああ嫌だ、過去が山ほどあると、もう残り少ないみたいじゃん。
この先も一杯色んな事をやろうっと。 |
|
|
|
|
|
|
|