2015年2月11日 水曜日 |
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昨日と比べると、春のように暖かい一日だった。
このまま春になる?
そうはいかないよねぇ・・・
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アンダ そうだよ、そうはいかないよ
Feb. 11, 2015
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ジャム 何の事だか解ってんの?
Feb. 11, 2015
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アンダ えへへ~わかんな~い
Feb. 11, 2015
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ゴマ ゴハン、ゴハン、ゴハン・・・
Feb. 11, 2015
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ジャム もう、どいつもこいつも・・・
Feb. 11, 2015
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アンダ ドイツもスイスも?
Feb. 11, 2015
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あら、アンちゃんたら教養があるのね。
おっと、教養などと軽々しく言ってはいけないね。
先日、歴史学者の磯田道史氏がNHKの番組【英雄たちの選択 「もうひとつの明治維新~敗者・伊達家 北海道開拓への苦闘~」】の締めでコメントしていたのを聞いて、とても感心した言葉があった。
番組の内容はこんな感じ。
戊辰戦争で官軍に敗れた東北諸藩の中でも、仙台藩の運命は苛酷だった。
領地は62万石から28万石に減らされ、家臣を養って行けなくなる。
一門の重臣、伊達邦成(くにしげ)は家臣団と共に、当時手つかずだった極寒のの荒野・北海道の開拓を決断する。
想像を絶する寒さや飢えと闘い、北海道有珠郡(現在の伊達市)を一大農業地をへと変える事に成功した邦成たち。
それは北海道開拓の手本とされ、民間人で初めて明治天皇の叙勲を受けた。
番組のラストで、磯田氏が言う。
何故成功したのか、それはとりもなおさず彼らが本当の教養を身に付けていたからだ、教養とは知識とモラルである・・・というような内容であったと記憶する。
これを聞いて、ほとほと感心してしまった。
磯田氏のモラル重視の見識にも、戊辰戦争には敗れたものの本物の武士道精神に支えられていた東北の武士たちにも。
教養とまで言えるには、学問や知識だけではダメなんだ。
いかにモラルが高くなければならないのかを知る人は、実のところそう多くない。
今日、こうちゃんはある方とお会いしていた。
この日記にも何度も書いたけど、もう一度書いておく。
もう40年以上も昔、この近所で焚き火の火がすすき野原に引火し、ちょっとした山火事があり、うちも燃えそうになった。
生垣が燃え、火が軒を舐め始めた時、ふと風向きが変わって火が斜面を駆け上がり、崖の上に建っていた家が「ポン」と燃え上がった。
平日の昼間の事で、大学生のこうちゃん一人が家に居た。
近所もまだ家が少なくて、今では老人世帯ばかりだけど、当時はみんな現役で仕事に行っている時間だったのだ。
その日は風が強くて、古い家を解体した廃材を燃やしている解体業者に、こうちゃんはこんな日に火を燃やしては危険だと注意をしたのだけれど、言う事を聞かなかったそうだ。
そして案の定、火が燃え広がってしまった。
消防に通報したのもこうちゃんで、消防車が来るまでの間、庭のホースで水を掛けて消火に努めていた。
だけど「もはやこれまでか」と思った時に、神風が吹いてこの家は燃えずに済んだ。
しかしあっと言う間も無く全焼した崖の上の家は、ご夫婦ともに仕事に出掛けていて不在。
留守中に家が全焼という目に遭った訳で、その後、刑事事件として解体業者は告発され逮捕された。
その時、裁判で証人として証言もし、全焼した家のご主人と色々お話をしたのだそうだ。
報道カメラマンをしている事とか、伊勢湾台風の中継で岸壁に居た時、気圧のせいで耳の鼓膜をやられて、片耳が聞こえなくなった事とか、私ですらこうちゃんから何度も聞いて知っている。
そのSさんと、今日、会って公園の斜面が危ない話をしていたのだ。
昨年、町会の人と公園管理の土木事務所の人達とSさんと私達とで現場で話をしたのだけれど、なかなからちが明かない。
昨年は横浜市内の別の場所でも、大雨で土砂が崩れ、死者も出るような事故があった。
どう見ても危ないのに、事前に危険を避けるどころか、斜面の木々を伐採して、どんどん崩れているのに、まだ危機感を持たない人達というのはどういう神経なのだろう。
土木事務所に文句を言って、斜面の木を切らせたのは、崖の上の家の1軒だと言うし、その並びのお宅の人達も、特に危険を感じないらしくて、専らSさんだけが不安を感じている。
でも、下から見ているだけでも、年々えぐれ方が酷くなっているのが解る。
このままでは危険だと私達は常々思っていたのだ。
何度言っても解らない、ずさんな公園管理の公務員に腹が立つのと同時に、Sさんが単独で長年危険性を訴えていたと知ったからには、私達に利害は無いのだけれど、出来るだけの応援をしたいと思った。
Sさんは先日電話を下さり、一度お話したいと仰るので、こうちゃんが現場で待ち合わせてお話を聞いて来た。
火事の裁判の時以来、ずっと心に掛けて下さっていたようだが、こうちゃんもその後家を出たり、忙しくしていたので、それっきりお会いする事もなかったのだ。
80歳も過ぎているだろうか、目も耳も膝も悪くて、来月は手術を控えていると言うけれど、きちんとした身なりの紳士で、とても冷静で知的な話し方をする素敵な人だ。
色んな話を30分かそこらして戻って来たのだが、何か戴いたらしい。
それがこれだ。
とても明るい懐中電灯。
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ずっしりと重たい懐中電灯、5Wあるので、とても遠くまで照らせます
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1文字ずつ、心を込めて彫って下さったのだと思います |
本当は、クリスマスの頃に会って渡そうと思っていらしたのに、その頃、体調を崩して入院してしまったそうなのだ。
固い金属に、名前と日付が彫られている。
2014.12.24
To : Mr. and Mrs. KAWAGUCHI
FROM : ****** |
それは、まるでSさんの気持ちが彫り込まれているようだ。
Sさんは火事の後、奥さんと共に溶接の資格などを取り、家を金属で強固にして行った。
それは長年続けられ、いまだに家は造られ続けているのだと聞いたのは、私がここに引っ越して来た22年前。
「まるでサグラダ・ファミリアだね」と話していたのだ。
そんな人だから、金属に彫刻する道具くらいお持ちなのだろう。
手書きの文字が彫られており、温かいお気持ちを感じた。
大事にしようと思う。
私はゴマの見張りをしていたので、今日はお会い出来なかったけれど、後でお礼の手紙を書いて、こうちゃんに煮物でも一緒に届けて貰おうかと思っている。
奥さんは先立たれたそうで、お一人で暮らしている事を今日知ったのだ。
煮物とキンピラでも作ろうかな。
ご近所だもの、おかしくないよね。
という訳で、人との出会いや縁は不思議なものだとしみじみ思う今宵でありました。
Sさんだけじゃない、全国の猫仲間との出会いにも、心から有り難いと思ってる。
綺麗事じゃない、お互いに勇気を与え合え、居住いを正してくれる同志なんだ。
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