2015年4月14日 火曜日 |
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雨で肌寒い。
こんな日に、ゴマがちょっと目を離した隙にウンコして、しかも軟便で、最悪な事によろけて尻餅をついたらしい。
トイレとゴマを綺麗にする。
寒いし消耗させてしまうので、また洗う事は躊躇われた。
何度も何度も濡れタオルを替えて拭く。
「拭く」という行為には、汚れを遠回りに薄める効果があると同時に、毛の密生する場所では深く深く擦り込んでしまう効果もある。
虚しさを感じながらも、それでもやるしかない。
オイルヒーターやホットカーペットだけで充分暖かい2階だけど、ゴマの身体が冷えないように、エアコンの暖房も入れて部屋をガンガン暖めた。
午後にもう少し暖かくなれば・・・その時はゴマの下半身だけでも洗おうか。
そう言って自分に執行猶予を与える。
今決断出来ない事を後で決断出来るとは思えないのだが、兎に角、先延べにする事を選んだ。
しかしこの時はまだ知らなかった。
今日が如何に長い、憂鬱な一日となるのかを。
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ジャム どうしたの、ジメジメしてさ
Apr. 14, 2015
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ジャム ジャムまで憂鬱になっちゃうじゃん
Apr. 14, 2015
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ジャム 気晴らしにピザ食べるって言うのね
Apr. 14, 2015
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ジャム えっ、シャンパンまで飲む気?
Apr. 14, 2015
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今朝8時過ぎ、外で物を投げるような音が続いていたので、何事かと思って窓から覗くと、業者が来て向いの家を片付けている。
向いの一人暮らしのお婆さんは、昨年末に救急車で運ばれて入院していたようだが、きっと亡くなったのだ。
今日は可燃ゴミの収集日なのだが、そのゴミ捨て場に大量にゴミの袋が置かれている。
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ゴミはこの30倍位は家の中にあるらしい
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これはチェックしておかないと、回収して貰えない物が混じっていたらまずい。
いちいち他人の捨てたゴミのチェックなどしたくはないけれど、ゴミの分別ルールを知らない人がいい加減に捨てた結果、粗大ゴミを残されてしまってたりしたら後で困る。
先ずはゴミの状態を見る。
案の定、可燃ゴミでは回収されない物がたくさん置かれていた。
業者が玄関から出て来ていたので、仕方無い、声を掛ける事にした。
この後、トラックが来てゴミを運び出すのだと言っているが、それなら回収されない粗大ゴミなど半端にここに捨てるのは間違っているじゃないか。
分別ルールががある事、今日は可燃ゴミしか持って行って貰えない事などを説明し、丁寧にお願いしてその場を去る。
しかしいまひとつ信用出来ない。
業者の男性の、話を聞く態度も宜しくなかった。
ちょっと考えて、町内会長に電話した。
会長さんは、その家の人が亡くなった事はご存知だったけれど、その事も、誰が引っ越して行こうと引っ越して来ようと誰も自分に直接報告して来ないから、何かあった時だけ聞かれても困るし、何があろうと知らないわよ・・・と拗ねている。
報告しなかったのは私ではないし、そういう非建設的な事を言われても困るんだけどなあ・・・。
わかりました・・・と電話を切ろうとすると、今から来てみてくれると仰る。
それで私達も急いで外に出た。
会長さんは既に駆けつけてくれていて、業者と話をしていた。
聞くと、1週間の予定で遺品の処理をしていると言う。
家の中には、まだまだ大量のゴミがあるようだ。
業者には名刺を貰い、何かあれば連絡出来るようにした。
会長さんからは、色んな話を聞いた。
亡くなったお婆さんの様々な事情、別のお宅で亡くなった老人と、残された老夫人の事、引っ越しが予定されているお隣の事、それら全てが、人伝にしか耳に入らないのだという事。
そんな大声で話したら近所中に聞こえているんじゃないかと心配になるが、わざと聞こえるように話していらっしゃるのだろうな。
私達に関しても、どんな風に言われているのか、何となく想像がつく。
会長さんも、腹に据えかねている事がたくさんおありだろう。
大勢の他人が集まる場をまとめるのは、本当に大変だろうと思う。
だからお世話になる事に感謝こそすれ、いちいち細かい事で逆らったりせず、運営し易いよう協力するのが構成員としての務めだろうと心得ている。
会長さんの話はなかなか尽きず、それだけ多くの問題が持ち込まれている事も伺える。
出席者も少ない上に、委任状もろくに集まらないような総会なんか開かないとハッキリ言われた。
私は、「うちがここから引っ越す際には、前もってきちんとご報告致しますので・・・」と申し上げる事しか出来なかった。
そして改めて心に誓う。
猫達を見送った後は、ここから出て行こうと。
ここは老人の町となりつつある。
20年程の年月の間に、我が家も含め何軒かの入れ替わりはあったものの、新入りが圧倒的に少ないので、新しい風が入る事は無いのだ。
思い切って提言したものは途中で潰されてしまったし(今日、それが誰の手によって捨てられたのかも理解したけれど)、ある人からは「余計な事は言わない方が良いのよ」とも注意された。
そう注意してくれた人は既に80代だし、今日聞いた話では遠からず引っ越して行くらしい。
お向かいもお隣も居なくなり、多分古い家は取り壊され、新しく家が建つだろう。
そして新しい家族が越して来る。
だけど因習のようなものだけは暗黙のうちにひき継がれて行き、新しいやり方などはそんなに簡単な事では採り入れられないのは御承知の通りだ。
民主主義は日本人には合わないのだろうかと思う事すらある。
日本全国どこに引っ越そうと、それほど事情は違わないのかも知れない。
でも、この町でのスタートからして躓いてしまった。
当時は先代の専制君主的な支配下にあって、ご近所へのご挨拶ひとつ嫁はさせて貰えなかった。
「そんな事はしなくて良いのよ」と姑に言われたのは、もしかしたら息子が離婚した事を言っていないから、再婚した事も伏せておきたかったのだろうと、後々になって理解した。
会長さんは、そう言われようと、あいさつ回りはすべきだったわねと言う。
でも、嫁・姑の問題は他人には解らない微妙な困難があるんだ。
我が家の場合、反対を無視して勝手にそんな事をしようものなら、同居したばかりの若い嫁が姑に宣戦布告しているのと同じ事。
後々、どれだけ針のムシロになっていたか・・・いや、待てよ、どのみち同居は針のムシロであり地獄だったじゃん。
それでも嫁は姑に血栓は挑めなかったよ。
義父母とは仲良く暮らしたいと思って、色んな我慢をしていたんだもの。
それが良かったのかどうかは解らないけれど、そうする以外、他に出来なかったんだ。
生まれ変わったら、舅・姑との同居だけはしたくない。
でも、今だからそんな事を言えるのであって、そうせざるを得なかったんだな、あの時は。
その時々で与えられた、或いは選び採った条件下で、精一杯やるしかない。
それだけだな、真理は。
外に出ていた間に、ゴマが再びウンコしていた。
今度は尻餅はつかなかったようだが、軟便だ。
嘆いても何も良い事はない。
淡々と為すべき事をするに限る。
だけど、やっぱりため息も出ちゃう。
夕方、気分がクサクサするので、雨の降る中を傘をさして少し近所を歩いて来た。
既に少し薄暗くなっていた自国ではあったけれど、新緑が雨に濡れて美しかった。
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玄関のドウダンが咲き始めている Apr. 14, 2015
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公園の広場一面に散った桜の花弁 Apr. 14, 2015
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公園の片隅の花 Apr. 14, 2015
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山吹の花 Apr. 14, 2015
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道端の花壇の、何の花だろう? Apr. 14, 2015
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これは他所のお宅の花ミズキ Apr. 14, 2015
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15分くらい歩いて帰って来た。
傘なんかさしても頭が濡れないだけで、脱いだズボンはビショビショだった。
でも少し気が晴れたようだ。
歩くのはいいね、やっぱり。
今日は父の命日だった。
そのせいか、父の夢を見た。
夢の中では、父もミュウも存命だった。
そして私は、父が生きているうちに実家のある生まれ故郷に戻る決意をして、引っ越し先の家を探す事にしたのだ。
今朝の出来事も影響して居たかも知れない。
どんな間取りの家が良いか、妹に相談している。
具体的に図面まで描いてみせていた。
夢ではミュウを連れて実家に帰っていた。
ミュウを寝かせたのは1階の和室で、そこに置いた猫トイレに敷いていたペットシーツを交換までしていた。
目覚めると、父もミュウも死んだのだと改めて思い、哀しかった。
私、どっちと過ごす時間も後回しにして、大切にするのが間に合わなかったじゃん。
でも夢の中で父に言えた事があった。
生きている間には言えなかった事だったし、仮に父が生きていたとしても、やっぱり今でも言えないだろう。
夢だから言えたのだ。
父には伝わったと思う。
ミュウにも私の想いは伝わっていると信じたい。
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