2015年6月4日 木曜日 |
|
何と爽やかな日。
空は真っ青に晴れ、風は涼しく、空気はカラッと乾いている。
やはり湿度と浮腫みは因果関係があるらしい。
カラッと乾いている今日は、PCに向ったまま長時間働き続けても、昨日ほどには足が浮腫まない。
全く浮腫まないという事は無いのだけど、生まれたての赤ちゃんの足のような盛り上がった足の甲にはならないで済んでいる。
よしよし、こういう日にはみっちり働くのだ。
だけど根を詰めると、今度は目がギブアップしようとしている。
もう、次から次と言うか、あっちもこっちもポンコツと言うべきか・・・まあ、間違いないのは、歳は取りたくないという事だよね。
すこ~しずつ、すこ~しずつ擦り減り、錆びて、壊れて、腐って行き、最後は静かに動かなくなる・・・そういう風でありたいけれど、そこに至るまでには、もしかしたら他人のご厄介にならなくてはならないのだろうか。
だしたら、やっぱり母のように突然、終わりが来てしまった方が良いのだろうか。
だけど心の準備も無いまま、家の処分もしていないまま、私が死んでしまうのは困るな。
正解は無いよね。
私なりの答も出ない。
猫を全て無事に見送り届け、家を処分し、誰にも迷惑掛けないで済むというところで自殺するか?
そんな事は出来っこない。
そもそも自殺はずるいと思うから出来ない。
宗教的な戒律など関係ない、私の美意識に悖るからだ。
ずるい人間にはなるまいと思う。
猫を他人の力でどうにかしようとか、働かなくても良い生活をしようとか、少しでも厳しい批判に晒されないよう出来るだけ風上に立たないようにするとか、そりゃあ本能ではあるんだけど、ずるく経ち回るのは嫌だな。
それでも歳を取ると、色んな事が面倒臭くなるものだと知った。
もういいや、さんざんやって来たし、後はもうテキトーでいいや・・・と思わないでもない。
やだねえ、歳を取るって。
|
チャボ ボクも年寄りだけどさ
Jun. 4, 2015
|
|
チャボ どうでも良くないよ
Jun. 4, 2015
|
|
チャボ ご飯と昼寝は譲れないな
Jun. 4, 2015
|
そうだよね、チャボ君。
君は野良だった頃にさんざん苦労しているから、もう飢えたり凍えたりしたくないよね。
よしよし、君たちはせいぜいぐーたら暮らしなさい。
その為のサポートをするのが私の役目だから。
そろそろ梅雨に入るのだろうけど、今日くらい乾いていると、気をつけていないとアジサイは水切れを起こしがちだ。
特にうちのアジサイは全て鉢植えだから、水切れもし易いし、根腐れも起こし易い。
山アジサイも、いよいよ中心部の花が開いて、ラストだろうか。
|
庭の山アジサイ Jun. 4, 2015
|
|
他の種類のアジサイも色が濃くなって来た。
季節が屋のように過ぎて行く。
私達が二人とも死んだ後は、この花たちはどうなるのだろう。
枯れてゴミにされちゃぅんだろうね。
今のうちから敬っておくよ、そうなったらゴメンネ。
そうならないように、いつかの時点で山に植え替えてやろうね。
今夜、素晴らしいものとの出会を経験した。
たまに偶然観ていた【和風総本家】、仔犬の「豆助」が可愛いと思ってチラッと観ていた程度で、今までそんなに本気で観た事はなかった。
どうにも時間帯が悪い。
我が家では、まだじっくりテレビだけ見ていられる時間ではないのだ。
だけど今夜は、これまた偶然に予告編を観ていたので、ちゃんと観るつもりで万障繰り合わせてテレビに向った。
そして観終わって、本当に観て良かったと思った。
内容はこうだ。(長くなります)
パラオ共和国で唯一のテレビ局「OTV」は、今年で開局10年目。
報道番組など硬派の番組の他に、看板番組として「ロスト・イン・パラオ」というパラオを紹介する番組を持つ。
そのOTVが誇る4名の精鋭スタッフが来日し、日本を取材し、パラオの人達に日本の様々な文化を紹介する番組を撮影する。
番組名は「ロスト・イン・ジャパン ~日本をさまよう~」。
勿論「ロスト・イン・パラオ」の特別番組編だ。
日本とパラオは関係が深く、今年2015年4月、天皇皇后両陛下が、長年のご希望により御訪問されたニュースも記憶に新しい。
1914年からの30年間、日本の統治下にあり、国際連盟の決定で日本の委任統治が始まった。
当時は3万人以上の日本人が移住し、現在でも当時の石灯籠があちこちに残り、G.Bハリス小学校では日本人だと分かると「こんにちは」というニホンゴで挨拶をしてくれる。
家に入る前は履物を脱ぐ習慣も、日本人がもたらしたものだと言う。
マンゴーの味付けは醤油といった日本文化も、庭掃除をする「熊手」も「クマデ」という言葉のまま残っている。
そして独立時に選ばれたパラオ共和国の国旗は、青地に黄色の丸がひとつある「月章旗」で、日本の国旗と色違いである。
OTVクルーたちは、来日する前、あらかじめどんな取材にするかの企画を立てるにあたり、パラオでアンケートを実施していた。
日本の何が見たいか、100余名分のアンケートを回収。
偶然出会った政府の方は、1500語もの日本語がパラオ語になったと教える。
集落が共同で行う草刈り作業は「キンロウホウシ(勤労奉仕)」といったように、日本語でありながら日本では既に「ボランティア」という外来語でしか言われなくなってしまった言葉も、パラオではまだ生きているのだ。
来日して日本人親子にインタビューし、ハンガーを見せると若い母親は「ハンガー」と答え、その60代くらいの母親は「日本語ではなんと言いますか?」と念を押されると「洋服掛け」と答えていた。
クルーは「パラオではエモンカケ(衣紋掛け)と呼んでいます」と話した。
この辺りから、観ていて少し恥かしくなって来た。
月島ではもんじゃ焼きを食べ、駒澤大学の相撲部では、パラオでも人気の高い相撲の歴史などを取材しようとしたいたのだが、120キロあるレポーターの男性は、自分でも相撲の稽古をしてみたいと言い出す。
そして基本のすり足やシコを教わり、実際に取組までしてみる。
稽古の後はみんなで同じ何べからちゃんこを食べ、裸になって多男たちがひとつ風呂に入る。
それら全てが興味本位のオフザケではなく、真摯な姿勢と心からの尊敬と好奇心に溢れ、なるほどパラオでナンバー・ワンのレポーターであるのはこんなところなのかと、私も感じ始めていた。
クルーはどんどん日本を移動し、沼津では魚市場や回線料理の大衆食堂を訪れ、そして一般の民家でお汁粉をご馳走になる。
パラオでも、今も正月にはタピオカ餅を入れたお汁粉を食べる習慣があるらしいのだ。
7日間で15ヶ所を取材するクルーは「削多醤油 日高工場」で自国に馴染みのある醤油を、「衣紋道 高倉流 東京道場」では着物文化を、「泰文堂」で日本刀、「かっぱ寿司
葛飾立石店」でお寿司を取材する。
どこへ行っても、楽しみつつも内容の濃い、良い取材だ。
相手を敬い、違いを受け入れ、自国に残る日本文化のルーツを探り、日本が忘れ・失ってしまっている日本の文化や日本語を探り出して行く。
撮影も架橋を迎えた時、秋葉原のネオン街を撮影。
リポーターのロンディは「新たに違う尊敬の念がわきました。お互いの個性に。秋葉原のような街を本当にリスペクトします。」と興奮して言う。
そうか、やっぱり若者はアキハバラこそが、日本なんだな・・・と、先日観た別の外国人の番組とも重なって、そんな思いを持った時・・・
「でもこれは要らないんです。」と言ったのに驚いた。
「パラオの自然の美しさを守りたいと思ったら、このを包むテクノロジーを島に入れてはいけない。こういう文化から島を守らなければならない。その想いをまた確認出来ました」
こんな言葉を心から、初めて訪れた先でその喧騒に包まれて興奮しながら咄嗟に言えるものだろうか、26歳の若者が。
彼がナンバー・ワンのレポーターである秘密は、ここにこそあったのだ。
即ち、日本のフリーアナウンサーによくいるタイプの上っ面で小手先だけの話の技術や、心のこもらない言葉の誤魔化し、付け焼き刃の情報だけでは無く、ハートがあるのだ。
どういうハートかと言うと、目先の利益ではない普遍的な価値観に裏付けされた良識や、パラオの風土や人々への愛、異なる文化や価値観を持つ他者へのリスペクト精神、高い道徳心に裏打ちされた知的好奇心、体当たりの精神、そして無邪気な心からの笑顔。
そういうものが、ちゃんと観ている者に伝わるからなのだと解った。
素晴らしいのはリポーターの彼だけではない、強要と礼儀正しさ、そしてバランス感覚に優れたプロデューサーの女性も、鋭い視線を持ちながらも誠実そうなカメラマンも、そしてパラオでテレビを見てコメントしていたお婆さんやオジサンたちも、みんな良心と好奇心、他者への愛に満ちていた。
天皇陛下、よくぞパラオを訪問して下さいました。
日本がかつて犯した過ちを、天皇陛下は政治家とは関係なく、穏やかに、静かに、謝罪し反省して回っているように感じられる。
それにしても親日的なパラオの人達、美しい自然、拝金的な文明に侵されていない楽園の素晴らしさ、すっかりパラオに魅せられてしまった。
ではパラオに移住したいかと言えば、それはあり得ない。
私は日本で根を生やして頑張って生きようと思う。
もっと日本を愛し、大切にし、誇りに思えるよう、日本人の一人として良心と愛を持って生きたい。
有り難う、パラオのTVクルーの皆さん。
とても大切な事を考えさせてくれました。
観逃した方は、再放送があれば必見ですよ。
|
|
|
|
|
|
|
|