2015年6月21日 日曜日 |
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雨がしとしと日曜日・・・
同世代の方は「雨がしとしと日曜日・・・」とジュリーが歌っていたのを思い出すでしょう?
本当に昔の事になってしまいましたね、ザ・タイガースの【モナリザの微笑み】。
1967年のリリースだそうです。
半世紀近く前の歌なんですね。
それにしても、私の気のせいか「雨がしとしと降る」という言い方をあまり耳にしなくなったような気がする。
そんな事ないですか?
私が他人とお天気の会話をしないせいかな。
雨もしとしと降っている分には、ジャムも別段恐くないらしい。
むしろ大抵の猫がそうであるのと同じに、雨の日には良く寝ている。
それがどうだ、雨音がパラパラと聞こえ始めるや、ムクッと顔を上げて、幾ら呼びとめても聞かず、ベッドを下りて部屋の隅っこでうずくまってしまう。
一度拗ねると長いんだよなあ・・・まったく。
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ジャム だってぇ・・・
Jun. 21, 2015
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兎に角、良く寝て、しっかり食べて、ちゃんとウンコしてオシッコしていてくれさえすれば「いい子だ、いい子だ」と褒められるんだもの、猫って相当いいよね。
とりわけジャムなんか最高だね。
生まれ変われるならばジャムになりたいよ、ママは。
そうそう、ザ・タイガースと言えば、私は【君だけに愛を】が一番好きだったな。
ジュリーの歌唱力や個性にピッタリの曲でしたね。
あの頃のタイガースの曲と言えば、作曲は殆ど「すぎやまこういち」だったでしょうか。
日本のポップスが、どんどん進化して行った時代でしたね。
その頃の私、確か小学校3~4年生でした。
頽廃的な美しさを世界に誇ったジュリーも、今ではずんぐり太った白いヒゲのお爺さんになってしまいました。
ジュリーですらそうなんですから、私達が老け衰えるのは当然です。
そんな時の流れは酷いようでもあり、反面、救いでもある・・・とつくづく思うようになりました。
気の遠くなるような長い時を経て石を穿つ水滴のように、時が悲しみを気づかない程のスローテンポで風化させて行く。
生きて行く間に色々と重たくなった身体も心も少しずつ軽くなり、やがて消滅する時が訪れるって訳です。
常にその時の訪れを意識していないと、心身の整理が間に合いそうにない。
妹は元気なうちにと思って、少しずつ身辺の不要物を片付けていると言う。
私も早くそれをしたいのだけれど、今は兎に角、猫の介護に手が掛かって、余分な事が何も出来ない。
お友達へも何かと不義理してばかりですが、どうかお許し下さい。
昨日も、お越しになりたいとお電話下さった方に、申し訳ないのですがお断りさせて戴きました。
今はお客様を迎えられる状況ではないのです・・・と正直に申し上げました。
睡眠時間もあまり取れないのに、やっと寝られると思ったらゴマやフレアが下痢したり、それを掃除していると他の誰かがとんでもない場所でゲロッパしてくれたり、ジャムがシーツでオシッコしたり・・・
これが私達の当たり前の日常なんだとすっかり受け入れていますが、その日常では人並みのお付き合いは到底出来ないのが今の現実なのです。
それが私達の選び採った幸せの形なのだし、猫たちに少しでも良い環境を与えてやる事で誇りを感じるんですけどね。
だけどホント、ごめんなさい、誰かとお会いするとしたら、どこか近くの店でしか会えないんです。
今では、お客様があると病気の猫や老猫たちが疲れてしまうようになっていて・・・それは避けたいんです。
それに加え、兎に角、今までにも増して時間がないのです。
そういう頭数、そういう時季、そういう暮らしなんです。
ゴメンナサイ!
メニューに困った時には天麩羅。
あるものを揚げれば良いのだから。
葱類、イモ類は欠かさず常備している。
桜エビも乾物なので買い置きし易い。
という訳で、玉葱とさつま芋、桜エビ、青ネギのかき揚げです。
貧乏人のご馳走。
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玉葱とさつま芋、桜エビのかき揚げ Jun. 21, 2015
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彩りは地味ですが、大変に美味しく出来ました。
これに、妹の送ってくれた「ざるおきりこみうどん」を茹でて、天麩羅ざるうどんのお昼ご飯でした。
しょっちゅう天麩羅を揚げていると、嫌が上にも腕が揚がり・・・もとい、腕が上がりますね。
スーパーのお惣菜のかき揚げより、粉っぽく無くて、カラッと軽く揚がっていて、ずっと美味しいと思えるようになった。
遂には、冷めてもカリッとしたままのかき揚げになりました。
だけど、やっと上手になったと思ったら、人生はもう残り少ないのです。
あと20年早く今の状態に辿り着きたかったなあ。
だって天麩羅好きだからさ~。
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