2015年8月5日 水曜日 |
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連続猛暑日の記録更新中。
もはや32度くらいでは大した暑さと感じなくなってしまった。
小学生の頃、30度になると体育はプールの授業になった。
32度などと聞くと、もの凄く、最高に暑い日として興奮したものだ。
今では35度なんてザラ、39度40度にもなる事があるのだから。
ところで、珍しくもないという意味の「ザラ」って、どういう語源だろう?
・・・と、早速ネットで調べてみると、江戸時代に小銭・ばら銭の事を「ざら」と呼んでいたそうで、つまり小銭がザラザラとあるのはありふれた、珍しくもない状態なんだろう。
でもうちは違うぞ。
音のしないお金もないけど、小銭がジャラジャラあると重たいし、溜まると勘定するのも面倒だから、なるべく小銭から使って、出来るだけ財布に残らないようにしている。
小銭を馬鹿にしている訳じゃない。
小銭だってれっきとしたお金、貯めれば大金にもなる。
中学生の時、生徒会本部役員の会計だった私は「1円募金」というのを企画した。
月に一度くらいのペースで集めただろうか。
全校生徒分を集めると、銀行に持ち込んでお札に替えて貰う。
そのお金をユニセフに募金した。
それはユニセフの活動に心から賛同していたという訳ではなくて、考えるまでもなくそれは良い事だと信じ切っていたのと、全校生徒に呼び掛けてそういう事を実行する事に喜びを感じていたのかも知れない。
すっかり忘れていたけど、何だか後々の自分の在り様が既に萌芽していたようで、45年ぶりで思い出したら複雑な気持ちになった。
ガールスカウトでは、お祭りのさなかには募金箱を持って町に立ち(これは別に私の企画なんかじゃないよ、言われてしていただけだ)、お祭りの翌朝にはボランティアで清掃をした(これも別段、私の提案ではないけど)。
そういう事が好きだったのは、むしろ亡き母だ。
奉仕活動が好きで、ある時など、家族がいなければマザー・テレサのところに行きたいくらいだと言っていた。
でもその言葉はそれ程、現実値はかけ離れていなかった。
だって父が死んだら間もなく、父もいるけどマザー・テレサのいる天国へ行っちゃったから。
可哀想なのは、残された妹と私だよね、まったくもう。
お嬢さん育ちで、美人でチヤホヤされていたくせに、どういう訳かお節介で他人に尽くすのが好きだった。
父や舅・姑にさんざん尽くし、娘たちに心血を注ぎ育て、血のつながらない他人の面倒を見て、一番の趣味や楽しみは専らボランティアだったのだ。
一時期、水泳にもハマっていたけど、父は良い顔をしなかった。
いい歳してみっともないって。
そんな事ないじゃん、好きなら嫌ってほど行かせてあげれば良かったのに。
こう言っちゃナンだが、父の収入はサラリーマンとしてはかなり多かったのに、母が死んだ時に妹と形見分けをしたら、ろくな宝石も持っていなかった。
長年働いている妹や私の方が、よほどお気楽に高価なものを持っていた。
その事に気づいたら涙が出た。
母は結婚してからは、自分の宝石など買った事が無かったのだろう。
それでも娘には良いものを与えてくれていた。
私は、私がかつて母にプレゼントした指輪と、母が独身時代に買ったものであろう古い象牙のネックレスを貰った。
でもどちらも持っているだけで、おそらく身に着ける事はないだろう。
オシャレして出掛ける事など皆無だし・・・なんたって私は猫たちの「下女」でしかないのだ。
ついでに言うと、こうちゃんは猫たちと私の「奴隷」なんだ。
可哀想なこうちゃん・・・そう思ったアナタ、それは余計なお世話です。
いいじゃないの、幸せならば(当人が)・・・ちゅう事ですわ。
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プティ 僕がメラ姉ちゃんに似てるって?
Aug. 5, 2015
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プティ そんな事ないと思うで Aug. 5, 2015
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プティ なあ、ねーちゃん? Aug. 5, 2015
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メラ この立派な鼻筋はアタシだけよ
Aug. 5, 2015
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はい、そうですね、メラちゃん。
まるで未去勢のオスのボス猫みたいな、トラかライオンのような立派な太い鼻筋ですもんね。
鼻筋だけじゃない、手足の骨格の太さ、首の太さ、身体の長さと太さ、頭の大きさ・・・全てが規格外、とても猫とは思えない、ましてやメスとは。
子猫の時は一番小さくて、流石に女の子は小さいねえ・・・と言っていたのが、夢の中の出来事のようで、父親のシロちゃんの1.5倍くらいあるよね、今では。
大変立派になりました。
ジャムと並び、メラはうちの女横綱だよ。
オスにはぶーちゃんやタマちゃんというとてつもない巨漢がいる(ぶーちゃんはもう身体は存在しない)けど、アンタたちみたいなデカいメス、ママは初めてだよ。
この先もきっと出遭わないと思う。
もはや先が短い事でもあるしね。
明日は高校野球の「甲子園」での開会式だ。
王さんが始球式をするというから、それは見たいよねと言っている。
例年、ただでさえ暑いのに、旱々照りの甲子園や熱気に満ちたプレーと応援合戦が暑苦しいから、殆ど見ていなかった。
松坂が春夏連覇した時も、まだ勤めていたから見られなかったし。
その昔、桐生高校が春の選抜でベスト4まで進んだ時、妹はちょうど高校生だったので、桐生で何台かバスを仕立てて強行軍で応援に行ったようだ。
懐かしいな、王貞治以来のスラッガーと評価されていた阿久沢君、甲子園のアイドル投手小暮君のコンビ。
私のボーイフレンドなんか、「うちの高校に硬式野球部なんかあったんかい?」と言っていた位、進学校で部活なんか真面目にしている学生は知らなかったよ。
懐かしいなんて言っても、当時、桐生高校は男子校だったし、私は女子高だったので、所詮は他人の学校なんだけど。
それでも桐生高校の校歌がテレビから流れた時には、私も当時のボーイフレンド(桐生高校出身だったので)も、狭い中目黒のアパートで一緒に大声で歌った。
覚え易く、堂々とした名曲で羨ましかったな、あの校歌。
ちなみに私、他人の校歌を覚えるのが得意でした。
高校時代、色んな中学から来ているものだから、みんなで面白がって私に自分の出身校の校歌を覚えろと言う。
ええ、次々と覚えましたよ。
今も桐生西中、北中の校歌は良く覚えている。
だけどまあ、とてもじゃないけどバスで桐生から兵庫県までバスで「ゼロ泊」で行くなどという元気と勇気は無かったよ、私には。
妹は生まれてからずっと地元に居るから、私よりも地元への愛着があるんだろうなあ・・・
私なんか流れ者よ、浮草、デラシネよ。
どこが地元か解らないけど、とりあえずここ横浜が一番長くなっちゃったなあ。
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