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2016年4月25日 月曜日 |
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タンポポ Apr. 25, 2016
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このタンポポは少し前に撮ったのに、日記の更新をしていなかったものだから、PCのフォルダに埋もれていた。
タンポポも桜の花びらの絨毯に埋もれていた。
凄いな、タンポポって。
ガレージ前のアスファルトのひび割れたところにもしっかり根付いて咲いている。
そしてどんどん増えている。
今日見ると、もう白い綿毛になっていた。
そして庭のブルーベリーの花。
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ブルーベリーの花 Apr. 25, 2016 |
実が生るかな。
少しだけでも実るとホントに嬉しい。
暑くもなく寒くも無い、湿度は低く、一年で最も爽やかな季節になった。
隣接する公園の桜は、花びらの後にもガクを我が家の庭に大量に降り積もらせ、今は美しい新緑の葉をつけている。
掃除が追いつかない。
昨年は花弁の時期とガクの時期、落ち葉の時期に掃き掃除をし過ぎて腱鞘炎が悪化したんだ。
そして雪掻きでダメ押し。
今の私の右手首では、痛くて床の拭き掃除が出来ない。それでも「痛い、痛い」と泣き言を言いながら拭きますけどね。
ブラシで自分の髪が梳けない。出掛けない時は梳かさないけどね。
トイレではお尻も拭けない。左手で拭きますけどね。
箸で掻き揚げが千切れない。こうちゃんに千切って貰うか、自分で揚げる時は一口サイズの掻き揚げにします。
手書きの文字が書けない。最低限は書くけれど、筆圧が高い悪い癖がついているので、もの凄く痛い。
いずれも大変に手首のスナップを効かせる作業なのだと解った。
使わない訳に行かないから、治らない。
実は病院にも行ったし、検査もしたけど、整形外科の先生にも「こういうのって治らないんだよな」と言われた。
そうか、みんなも治らないもんなんだな。
少し諦めがついた。
先生が出してくれた痛みを緩和するとかいうクリームを塗って、黒いサポーターをしている。
何故黒いかと言うと、汚れが目立たないからだ。
PCで作業を続けていると、直ぐに白いサポーターや白い包帯は汚れてしまう。
では何故サポーターをつけているかと言うと、少し痛みを忘れていられる時に、手を使い過ぎないようにする為の目印であり拘束なのだ。
つい忘れて強引に使っては激痛、そして悪化の繰り返し。
痛いのは困るから、せめて悪化だけは避けたいじゃん。
この歳になれば、みんなだって身体のあちこちガタが来て、すっかりポンコツでしょう?
今、あの頃みたいな全身の激痛が無いだけでももの凄く幸せだし、副作用の強い痛み止めもやめられたままだし、煙草もやめてから1本も吸ってないし、健康的だったらありゃしない。
整形外科の先生、少し前までこういう薬を飲んでいたと言ったところ、ああいう大病院の先生は平気でそういう強い薬を出すんだもんなあ・・・と言っていたので、改めて怖くなった。
この先生、とてもお喋り好きで色んな事を教えてくれる。
製薬会社の特許のカラクリだとか、手首に痛みが出る症状の候補とその仕組みだとか、まるで授業で黒板に書くみたいに紙に一杯書いて説明してくれて、最後にその紙も持って帰りなさいと言うんだ。
有り難く持ち帰りました。
私も満身創痍だけど、公園の桜の木はどうやら病んでいるらしくて、幹にサルノコシカケなんか生えている。
それを見たこうちゃんが「こんなんが生えて来たら、この木はもうお終いだな」と言う。
公園管理が毎年、むやみに枝を切っていたからだ。
樹形が変になってしまっただけでなく、太い枝を切っても切り口を消毒していないから、そこから病気になっているに違いない。
全国で桜を伐採しないで欲しい、枝を落とさないで欲しいと運動を起こしているようだけど、お役所は聞き入れやしない。
私だって何度も何度も公園管理の土木事務所には意見を言い続けたけれど、一切無駄だった。
「役人根性」をまざまざと見た。
悲しく・辛くなるから、もう公園の桜の木を見るのが嫌なんだ。
カワムラさんの桜だって、もうあの頃の美しい樹形ではない。
横に張り出した枝は全て落とされ、極端に例えるならば、イチョウの木のように縦長の樹形になってしまっている。
桜だけではない。
街路樹のケヤキも無残にエントツのような幹だけになり、そこから新芽が吹いて来ている。
それが育って樹形を取り戻した頃には、またバッサバッサと刈られてしまうという繰り返しなのだ。
何故に木を切る?
苦情を言う人が存在するからだ。
日照の問題、葉や枝が落ちる問題、枝の個人宅敷地への越境の問題・・・
それがどうした。大きな美しい木がある事の喜びが優先しないのか。
うちの庭なんか公園の桜のゴミ捨て場のようだぞ。
だけど目や心を楽しませてくれる桜への恩返しと思い、せっせと掃除する。
これは精神修養なんだと思い、キリの無い作業を励む。
個人の都合を公共の利益に優先させようとする日本人が増えている。
嫌な世の中になった。
世の中を構成しているのは私でもあるのだから、よほど気をつけなければいけない。
他人のアラだけ見えて、自分の姿が見えていないのが人というものだから。
そう言えば、それは人と人との関わりでも同じ事が言える。
親しくして貰っている友の言葉の中に、微妙に隠された棘を発見する。
隠しきれてはいない。
そりゃそうだ、わざわざ棘を仕込むのは、悪意無いふりをして相手を刺し、痛みを与えたいからなのだから。
だけど、それは自分にも言える。
一番大切にしたい人に対し、そこまで言ってはいけないような言葉を発して、長く消えないであろう痛みを与える。
他人に気遣っている分、まるでストレスのはけ口として、愛する人に刃を向ける事がある。
或いは、決して甘えてはいけない赤の他人に対しても、ほんの小さなきっかけで、できそこないの棘(ツノ?)を出す。
ちゃんと相手に刺さっているのだ。
複雑な迷路のような自己嫌悪に陥る。
誰に対しても言葉を発したくなくなるのはそういう時だ。
それで殻にこもっては自分に負けた事になる。
だからまた顔を上げて言葉を駆使し、自分の中の善の部分を信じて人と接してもみるけれど、いつもいつもそうはいかず、徹底的に自分に負ける事だってあるさ。
更新をお休みしている間に死んでしまった友もいれば、生きていても音信不通になってしまった友もいる。
いや、もっと長い年月、そういう事の繰り返しばっかりなんだ、生きていると。
大切なものや人を得ては失い、出会いの喜びに共に打ち震えた相手にだって随分と去られた。
自ら去った事もあるし、どちらかが一方的に悪いという事などきっと無いのだろう。
何が悪かったかはまた別の問題として、人と人はご縁があれば、綻びは繕い合ってまた関係が続くだろうし、根本に愛があれば、小さな地雷を踏み合って互いに傷ついたとしても、許し合えるのだと思う。
それが出来ずに離れて行く友に対しては、諦めるしかないのかも知れない、縁がなかった、或いは私の片思いだったと思って・・・。
そこから和解があった例(ためし)が殆どないのだから。
今、私との関係が細くとも続いている人達というのは、私の不完全さや過ち、未熟さを許し、温かい気持ちで見てくれている人達だと感じている。
私が存在する事を許して戴いて、有り難うございます。
私も他人に対してはかくありたいと願い、もっと努めなければならない。
夜明け前のゴマのウンコと、午前中、いや、正確に言えば私たちの朝食の時に必ず嫌がらせとしてするジャムのウンコが済むと、うちの猫家事は終わったようなものだ。
30匹居ようと、このゴマ・ジャムに掛かる手間と比べたら、あとは自然に息をするだけのような作業だ。
しかし流石にサビ猫、しかも私たちがみっちり育てたサビだけの事はあって、みっちりと手を焼かせてくれる。
小手先の対応は許さない。
「はいはい、どうぞお召し上がりください」と器を捧げ持っていても、心の中で「早く食べ終わらないかなあ、早くベッドに戻りたいよ~」なんて思っていると、ちゃんと通じてしまう。
プイッと行ってしまって、お終いかと思うとまた鳴いて最速し、要求が聞き入れられるまで騒ぐ。
相手にしない戦法というか躾方法も勿論試した。
でも、こちらの弱みに付け込んでいるのだ。
愛しているという弱み。
賢い、そして鋭い。
性格が悪い?
いや、そんな事はないと飼い主は思ってます。
それ程に深いところで繋がろうとしてくれているんだと感じるんです。
ジャムもゴマも・・・ミュウもそうだったし、私達も親バカの最たるものですから、こういう結論になるのは致し方ないのです。
ま、おノロケですね。
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メラ 誰がアタシに似てるですって?
Apr. 25, 2016
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メラ 嘘じゃないでしょうね!
Apr. 25, 2016
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嘘じゃないよ、メラちゃん。
メラちゃんに似てるって事は美人だって事だよ。
そしてメラはジャムに似てるね。
全員おデブだわ。
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