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2016年5月20日 金曜日 |
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もう週末か。
あまりにも早く過ぎて行く時間。
子供の頃は1日が長かったのに、今では1週間どころか1年だってあっという間だ。
きっとまた直ぐにお正月よね、ふふん。
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ペリー お正月はずっと先だよ
May. 20, 2016
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ペリー 桜が散ったばかりじゃん
May. 20, 2016
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まあ、そうだけどさ・・・そして次の桜の花が咲くのは、うんと待ち遠しいんだけどね。
振り返ると一瞬なのよね、月日というものは。
先日、胡麻和えは市販のすり胡麻を使えば楽だし、すり鉢を出すのが面倒だからと言って作らないよりは、たとえすり胡麻でチョイチョイっと作るのであってもずっとマシだと言った、その舌の根も乾かないうちに・・・
タラの芽の残りを胡麻和えにしようとしたら、いつも切らさずに買い置きしているはずのすり胡麻が無い。
もうタラの芽も茹でてしまったのにどうしよう・・・と悩んだけれど、あたかもこの私を試すかのように洗い胡麻なら在庫がある。
仕方ない、久し振りですり鉢を引っ張り出し、先ずは胡麻を煎り、擂りましたよ、
手首が痛いけどね。
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胡麻を擂る May. 20, 2016
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味噌、砂糖、醤油を足す May. 20, 2016
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全て摺り混ぜる May. 20, 2016
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茹でたタラの芽を入れる May. 20, 2016
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そっと、しかし良く混ぜる May. 20, 2016
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思った程、右手首には負担が掛からなかった。
すりこぎを使うのも、いつの間にか祖母や母のように上手になっている。
子供の頃は下手だったよ。
胡麻を煎りながら、やっぱり煎りたてのゴマの香りは素晴らしいと思った。
そして煎り立ての胡麻を擂ると、これまた素晴らしい香りとプチプチという手応えに感動する。
昔、私が子供だった頃、すりこぎを回す母の助手として、すり鉢を押さえさせられた。
私は寝そべって絵ばかり描いている子供で、あまり家事を手伝う良い子ではなかったと思うが、それでも好奇心から台所にへばりついて手伝う事もあった。
その頃は今のような食いしん坊ではなく、大人のする事をしてみたいだけだった。
母は料理マメな女性で、時々娘にチラッと料理のコツを話してくれた。
ピーマンはどう切るか、里芋の皮はどう剝くか、そして油モノの器は食べ終えて下げる時も重ねてはいけないとか・・・。
そして私は学ぶ意欲も無いまま、何となく聞いて、見て、ちゃんと身についていたんだな・・・と今更ながら思う。
胡麻を煎るの火加減やら跳ね防止に蓋をして、焦がさないよう絶えず揺する事だとか、マヨネーズを作る際に何から順番に入れるのだとか、そういう事は母のやっていた様子を思い出し、その通りにやっているだけなのだ。
たまに解らない事があると、母が存命の時は電話して聞く事が出来た。
蕗やぜんまいのアク抜きはどの程度すれば良いのか、タケノコは皮のまま茹でないといけないか等、何でも母に聞けば済んだ。
今でもまだ時々、母に電話しようとして、ああ、もう母はいないんだと気づく。
今はインターネットが何でも教えてくれる。
プロの技も、料理上手なアマチュアの主婦の知恵も、ちょっと検索すれば何でも出て来る。凄し時代になったね。
だけど技術だけ解っても、それで母の味に近いものになるとは限らない。
しかし、もう私自身のオリジナルの味や、私独自のやり方というものを、経験則による根拠と共に持っていても良い歳なのだ。
だけどその根拠の底にすら、有り難い事に母から受け継いだDNAや遠い味の記憶が存在している事は間違いない。
母が料理をする人だったという事は本当に有り難い事だったんだなあ・・・と改めて感じる。
父や母に私の料理を食べさせたいと思う。
もう敵わない夢だ。
ならば、せめて妹に・・・。
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