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2016年5月30日 月曜日 |
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昨夜から雨が降り続き、ようやく上がったかと思うとまた強く降り始める。
これが梅雨の走りというものなのか。
半袖では外に出ていられない程、肌寒かった。
流石に室内では暖房は要らないけれど。
相変わらず洗濯物回数が多くて、お婆さんは川へ洗濯に・・・という事が出来れば水も電力も節約出来るのだけど。
でもお爺さんが山で柴刈りして来てくれても、薪ストーブか薪のかまどでも無いと使えないね。
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ペロ お爺さんて誰よ
May. 30, 2016
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ペロ パパの事?
May. 30, 2016
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ペロ お婆さんはママ?
May. 30, 2016
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うるさいなあ、ペロ君。
ママもお婆さんに近いけどさあ・・・末っ子の君だってそろそろお爺さんなんだよ。
光陰矢の如しって言ってね、美少女だったママも(昔の事なんかどうにでも言える)哀れ、みすぼらしいお婆さんになってしまいました。
お婆さんには子供がいなかったので、川で桃が流れて来ると次々と拾って来て、家には猫が一杯になってしまいましたとさ。
めでたし、めでたし。
これってめでたいのか?
めでたいんだよ、わが家オリジナルのお伽噺なんだから。。
さて、ドンブラコ・・・と流れて来た最初の桃のゴマ。
そのゴマ婆ちゃんのオシッコの間隔がまた短くなり、寝不足になりながらもオシッコさせているんだけど、1時間も経たないで、気づいた時にはベッドでしてしまう事も。
でも「おもらし」というのともまた違う。
漏れ出てしまう訳じゃなくて、ちゃんとゴマはトイレでオシッコしているつもりなんだ。
だから、そのゴマの意志を大事にしたい。
ここ数日は、平均すると日に18~19回のオシッコ回数だ。
ちゃんとした量が出る。
その都度、水も飲ませるようにしているけれど、出した分ほどにはとても飲めない。
身体を軽くして旅立ちの準備をすると聞くから、不安が大きくなる。
ご飯にも水を加え、食べ易さと水分摂取の助けとしている。
どう見ても、生きているのが不思議な位のコンディションなのだ。
毛もどんどん抜けて、皮膚は硬くカサブタが一杯。
これが何を意味しているのか・・・もう、今から病院で辛い思いはさせない。
家で過ごさせてやる事が私達とゴマとの間の了解事項なんだ。
暴れたり大声を出したり出来るし、食べる意欲は充分にある。
ウンコも毎日出る。
寝たきりにさせないようにと自由にさせていると、どこかにはまり込んでしまって動けなくなっている事がある。
危険は排除しているけれど、矢鱈な場所にはまり込んでもがいて骨折でもしたら怖いので、やむを得ずケージに入って貰っている。
もはや3段ケージの上下は行き来出来ないので、中段に板を置いて、下に落ちないようにして広く使う。
しかも中段ならば、私たちがしょっちゅう抱き上げて出し入れし易い高さだ。
今もケージの中で、フレームに前足を掛けて立ち上がり、後ろ後の訓練をしているかのようだ。
テーブルの上の「お城」に居た時は、そこまでの元気が無かったので、殆どへたり込んでいたのだけど、こんなに暴れる事が出来るようになった。
良い事だと思いたい。
さんざん暴れて、大声で鳴いて、お腹が一杯になり、排泄も済ませるとおとなしく眠る。
その間に私達もたとえ10分でも眠るようにしている。
だけど30分もしないでゴマが目醒める。
目が醒めると大声で一発いなないて知らせ、直ぐに対応してやらないと騒ぎ続け、フレームにつかまり立ちして暴れる。
うるさい位の音を立てて暴れている。
うるさくて眠れないし、仕事に集中し難い。でも、これは案外リハビリ効果があって、足の筋力が戻るかも知れない。
フローリングではツルツル滑ってしまい、転んだら裏返った亀のようにジタバタするだけで、全く起き上がれない。
そもそももう殆ど歩けないのだけど、じっとしていては寝た切り老人(猫だけど)になつてしまって、心臓にも余計に負担が掛かるような気がする。
だから毎日少しでも自分の足で歩かせたい。
するとまたお腹が空くのか、ご飯、ご飯と騒ぐ。
この繰り返しで1日が過ぎる。
この1日1日が、ゴマと私達の貴重な時間なんだ。
17歳も過ぎたゴマと私達にとって、結果がどう出るかではなくて、どう感じ合いながら、満足に近いものを感じられるよう求め合い与え合って過ごせるか、それしか無いと思っている。
これはきっと、人の介護にも同様だ。
疲れ果てて、いっそ死んでくれたら・・・という思いが頭をかすめる事もあるだろう。
舅の介護の時もそうだった。
でも、手を握っているとおとなしくなって安心して眠り、目覚めた時に私の顔が見えるとニッコリしていた舅を思い出すと、誠実にお世話が出来て良かったなあ・・・と思える。
それまでの色んなトラブルや感情の行き違いは、あの笑顔で水に流せた。
それでも時々、悔しい気持ちが蘇る事もあった。
今はもう、過去を振り返ると、時間の経過と共に嫌な思い出は薄れているのが解る。
有り難いね、こういう脳の仕組みって。
10年くらい経たないと、物事はすっかり「過去」になりきらないのかな・・・と思う。
ミュウを失った悲しみも、少し楽になるまでには10年掛かった。
父や母の死も、10年経てば少しは気持ちが楽になるだろうか。
先日、伊勢志摩サミットで訪日した米国オバマ大統領が予定通り広島訪問し、スピーチしているニュースを見た。
格調高いスピーチだと感じた。
リンカーンのゲティスバーグの演説よりはるかに長い、17分もの演説。
そこに謝罪の言葉があろうとなかろうと、ここまでの演説に魂が込められていないとはとても思えない。
そういう意味で、オバマって人は誠実に思えた。
別の番組では、1959年に来日した際に広島を電撃訪問したチェ・ゲバラのコメント内容に触れていた。
ゲバラは原爆資料館を訪れた後、「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」と問うたという。
1959年はキューバ革命の年であり、革命からわずか半年後の来日だった事が解る。
そしてキューバは、その後にアメリカとの断絶へと向かう訳だ。
それは兎も角、私達夫婦は、よく相手の言葉を意味も無くオウム返しにする。
相手というのは気の許せるお互いの事が殆どであり、気を使うべき他人である事は皆無だ。
テレビの中の人に対しては気を遣う必要などないので、遠慮なく突っ込むし、オウム返しもする。
このオウム返しに意味は無い。
勿論、揶揄する意図も無いし、悪意もさらさら無い。
耳に飛び込んで来た言葉が、自分の頭の中にあるジグソーパズルのピースの形にピタッとはまると、勝手に口をついて出てしまう・・・と言ったら一番近いニュアンスかも知れない。
その時も、家事をしながら聞こえて来たニュースに、私がオウム返ししていた。
「ゲバラ」とだけ。
別にゲバラが好きとか嫌いとか考えた事も無いし、ゲバラが広島について語った事に対しての意見も無かった。
頭が悪いのか、病気なのか、兎に角、うわの空でオウム返しするのが私のクセなのだ。
他人といる時は気を張っているので、ーそういうクセが無意識に出る事はない。
無意味で良くないクセだとは思っているけど、もう治らないだろう、この歳になると。
しかし、こうちゃんはもっと酷い。
こうちゃんもオウム返しするクセがあるのだけど、そこにダジャレが加わる事も多い。
この日は私のオウム返しに対して、こう言った。
歌うように・・・
「ゲバラ焼き肉のタレ」
私はしばらく笑いが止まらず、寿命が延びた気がしたけれど、チェ・ゲバラが草葉の陰で聞いていたら、どう思っただろう。
許して下さい、私は兎も角、夫は決して不真面目な人ではないんです、とスペイン語で謝ろう。
私は不真面目だから許されないかも。
ゲバラを初めて知ったのは、昔、リーダーズ・ダイジェストを購読していた時だ。
それを読んでいた場所の光景が蘇る。
中学に入る直前に引っ越す前の古い家の茶の間だったので、小学生だったという事だ。
だから読んだと言っても、殆ど内容は理解していなかったと思う。
ショッキングなエピソードの幾つかと、インパクトのある風貌だけが記憶に残っただけだ。
人はどういう方向にも行く事が出来る。
生まれた国でない国で、命懸けで活動する人にも色々ある。
ゲバラになるかマザー・テレサになるか、後藤健二さんになるか・・・
私と夫は、猫の為に生きようと決めたから、他の事で不義理をしても、世間から取り残されていようとも、それはもう仕方ない事と諦めよう。
だけどせめて他人には感謝の気持ちを忘れず、そしてそれをちゃんと伝えられるだけの努力をしよう。
そう改めて決意せざるを得ないような失礼な出来事があったよ、昨日。
ま、人のふり見て我がふり直せって事で、居住まいを正します。
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