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2016年6月7日 火曜日 |
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雨がしとしと降り、肌寒い。
ゴマを除いた全員が良く寝ている。
ゴマは一日中落ち着かない。
言葉で表現し難いのだけど、横座りしたまま、その場で虚空をつかもうとして暴れているという感じかな。
しかも無表情に。
1時間毎にオシッコさせる事よりも、交信の出来ないあちらの世界で生きているようなゴマを見ている事の方が辛い。
だけど、これも老いの一つの形なのだと、しっかり受け止めよう。
始めの頃からして、何もかもゴマが教えてくれた。
猫にも正義感もあれば、遠慮もあり、母性の強さや序列を守ろうとする意識の強い子もいる事。
そしてバカだからじゃなく、複雑な想いの表れとして、わざわざトイレ以外の場所でオシッコする事もあるのだという事。
ゴマを保護しなかったら、そんな事で来る日も来る日もその行為の意味や、対策、そして心のケアをどうすべきかなんて考え続けるような事はなかっただろう。
今、ゴマは私にまた新しい事を教えてくれている。
死に方のひとつの見本を示してくれている。
死に方とは生き方でもある。
ちゃんと学ぼうと思う。
それはヘコタレで覚悟の無い私にはきつい事だけど、だからこそゴマを遣わせて学ばせようという神様の配剤なのかも知れない。
ところでジャムは、何を学ばせる為に私たちの元に来たのだろう。
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ジャム この際だから言っとくけど
Jun. 7, 2016
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ジャム ジャムは誤解されてるよ
Jun. 7, 2016
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ジャム 世界一いい子なんだから
Jun. 7, 2016
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そ、そうなのか、ジャム。
「いい子」ってどういう意味だ?
人間にとって、親にとって都合の良い子が「いい子」じゃない事だけは確かだ。
親の愛を独占したがる程に親を好きだという意味も、かなりの比率で含まれるんじゃないかな。
そういう意味では、私もただの生意気で可愛げのない子供だった訳ではなく、紛れもない「いい子」だつたのだと言える。
親はいつまでも子供のままの私なんかと違い、そんな事くらいとうに解っていたのだろう、こんな娘でも見捨てずに最後まで守ろうとしてくれていたのだから。
恩は大きいね。
だから私は猫たちにお返しをする。
親には返せなかったけど、どこかに返せればいいのよ、多分。
今年はジャム1瓶分くらいの収穫が出来るといいなあ・・・庭のブルーベリーでも。
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ブルーベリー Jun. 7, 2016
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何のジャムが一番美味しいだろう?
リンゴでも桃でも、日本のサクランボでもアメリカンチェリーでも、苺でもブルーベリーでもルバーブでもキウィでも夏ミカンなどの柑橘でも、色々と作った。
いずれも美味しい(に決まってるよ、好みの味に作るのだから)けれど、お店で材料を買わずに作ったものは格別な気がする。
そこには単にケチだからではない、特別な喜びが伴う。
自分で作ったにせよ、友達の作品であるにせよ、長い期間手塩にかけて育てた人間の存在が具体的に感じられるからだろう。
先日テレビで見ていたら、スウェーデンでは、自然に影響のない、つまり常識的な範囲であるならば、野生のベリーなど自由に採って良いのだと言っていた。
森や野原が多く、春には野生の花が溢れていた。
番組で紹介された、森の中に建つ切り絵作家の家だ。
古い物を大切に、自然を大切に、日本と葉全然違う価値観が浸透していて、もの凄く寒くて税金が高いものの、良い国だなあ・・・と思って見ていた。
生まれる国は選べない。
自分の住む国を良いものにするべく、私達最下層の人間が一人一人心掛けないといけないのだ。
自分ちの敷地内から出たゴミを、フェンスの向こう側に当たり前に捨てる隣や向かいの家のような人間ばかりだったら、日本はどんどん汚くなる。
向かいのそのお婆さんはもう死んだけど・・・。
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