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2016年6月29日 水曜日 |
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今日も曇り。
蒸し暑くなるという予報だったので覚悟していたけど、さほどではなかった。
もっと問題なのは、何たって騒音と振動だ。
予告通り、解体工事が今日から1軒増えた。
うるさくて仕事にならない。
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ペリー 仕事にならなかったら・・・
Jun. 29, 2016
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ペリー 遊べばいいのに
Jun. 29, 2016
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そうだね、ペリー君。
そういう風にシンプルに生きられるのがベストだよね。
だけど人間たちの現実は、ペリー君の思うより、もう少しだけ複雑なんだ。
社会の一員として、自我を通す事を控えたり、主張すべきところは勇気をもって主張したり、じっと苦しみに耐えて生きる時期もあるんだよ。
しかし人間は、まあ良い。
何があろうと辛抱しようという意志が持てたら、じっと我慢していてもストレスがいくらかでも軽減される事だってあり得るんだ。
嫌だ嫌だとばかり思っていると、自分で自分の健全な細胞までを攻撃しているような気がするから、努めて楽しい事を考えよう、楽しめる事を見つけ出そうと思う。
今更おおらかで暢気な性格にまではなれないだろうけど、悪い事やマイナス面ばかりに過敏になっていては、緩やかに自殺しているようなものだ。
そんなのは真っ平、私は長生きしたいんだ。
だから美味しいものを食べ、いつもと違う道を開拓して買い物に出掛けたり、買い物先で少し辺りを歩き回ったり、雲の様子を眺めたりしよう。
常に介護で頭が満杯で、おちおち聴いていられなかった好きな音楽を聴こう。
今日は、久し振りでルネサンス期の宗教音楽(無伴奏の聖歌)を聴いた。
ヴィクトリア(トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア/スペイン)の【Vere languores nostros】や、パレストリーナの【Super flumina Babylonis ~バビロンの川のほとりに
~】などなど。
何と美しい、心地良い響きだろう。
脳にα波が出て来る気がする。
実はこれらの曲、高校生の頃に入れて貰っていた社会人の混声合唱団が得意としていたポリフォニーの宗教音楽で、演奏会に向けて徹底的に練習させられた曲でもある。
無伴奏なので、歌い始めと終わりとでは音が1/4音階ほど下がってしまう事があり、厳しい指揮者の指導の下、そうならないように徹底的に練習を繰り返させられた。
聴いているだけでも素晴らしいけれど、自らが出した声がコーラスの中で頭蓋骨に共鳴する、その音の心地良さ。
至福の時間だったなあ。
あれだけ反復練習したせいか、まだ脳細胞が活性化していたせいか、当時、意味も解らずにただ丸暗記したラテン語の歌詞だけど、40年以上も経った今でも覚えている。
中学生で暗記した古典文学の一部やらも、いつまでも忘れない。
なのに今では、何度聞いても人様の誕生日や歳など覚えられない。
自分の歳だって時々解らなくなって、「ほぼ還暦」などと答えている位だもの、他人の歳なんか覚えられるはずもない。
認知症が始まっているんじゃないかって?
そこを否定はしませんけどね、元々、若い頃からの不得手分野なんです。
だからじゃないけど、さしたる必要も無いのに、私は他人に歳を訊かない。
70代でトライアスロンなんかしている人には「お幾つですか?」と訊きたくなる事もあるだろうけど、大抵の場合、人の年齢なんかあまり関心ないのだ。
関心ないから覚えられないのかも知れない・・・とも思う。
ともあれ、騒音と振動の嵐の中でも、何とか楽しみと気晴らしを見出そうと思う。
ゴマの死の悲しみの中にあっても、料理して美味しものを食べ、たまには映画を観て、音楽を聴く。
そこに騒音と振動が加わったけれど、負けるものかと思う。
人生は短いんだ。
気掛かりなのは猫の健康面だ。
猫たちの食欲や排泄の状態をしっかりチェックしていないと、彼らにどの程度のストレスが掛かっているか解らない。
人生も短いが、猫の一生なんてもっと短いのだ。
取り返しのつかない事にならないよう、あまりにも酷い我慢はさせたくない。
これはいくら何でも酷い・・・と判断した時には、苦情だって言うよ。
隣の解体の時は、食器棚の中の物が倒れた程の振動があって、爆弾が落ちたかと思いましたよと言って、もう少しそっとやってくれるようお願いした。
まあ、神経質なジャムが騒音の中でも寝て居るので、今のところ猫たちの身体に大きな変化は起きていないように思う。
但し、この事態は数日で終わる事ではなく、4軒の解体と5軒の新築がすっかり終わるまでは相当な長丁場になるので、気を抜かないで今まで以上に目と手を掛けたい。
きめ細やかな心と身体のケアと、どんな状況下に於いても生活環境を良好に保ってやる努力が出来ないならば、私たちは多頭飼育などすべきではないのだ。
ただウンコ取ってマニュアル通りにエサを与えていれば良いというものではない事は、今更家までも無い。
個々の性格や過去の歴史をよくよく把握した上で、それぞれに「相応しい」と信ずる対応をしてやれないと、愛しているなんて恥ずかしくて言えない。
可愛いくて可愛くて堪らない、死んでしまったら何も出来ない・したくない位に物凄く悲しい・・・というのが愛しているという事ではないのだ。
残っていた挽き肉と、タマネギ、セロリ、人参、椎茸、トマトでミートソースを作った。
スパゲッティにしようと思ったけれど、ミートソース系は食べていてはねると落ち難いシミになる。
なので、イタリアでは、トマトソースの場合は、はね難いショートパスタにするのだと聞いた事があり、以降、私もそうしている。
今回はペンネ。
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ペンネ Jun. 29, 2016
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粉チーズと鷹の爪の千切りもたくさん混ぜた。
美味しいなあ・・・ちゃんと作ると。
おっと、このメニュー、パスタではなくてじゃが芋で作るはずだったんだっけ。
また次回だな。
梅雨明け前に、せっせとポトフも作って食べよう。
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