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2016年7月5日 火曜日 |
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昨夕、雷雨があり、その後ぐっと涼しくなった。
涼しいと言っても熱帯夜だったんだけど、一昨日よりは遥かにマシだった。
それ位、一昨日の夜は凄かったという事でもあるのだけど。
そして今日も曇っていて涼しい。
今日がチャンスだ、買い出しに行こう。
あまりにも暑いさなかの外出は、ちょっと辛いから。
こうちゃんが入院していた間はネットスーパーも大いに活用していたのだけど、やっぱり実物を見ながら買い物したい。
銀行だってネットバンキングしているんだけど、いちいち取引結果を記帳しておかないとキモチワルイ。
きっとアナログ頭なんだな、私。
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ペロ アナログってアナグマとカタログの子供?
Jul. 5, 2016
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ペロ ボクにはどうでも良い事だけど
Jul. 5, 2016
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やっぱりペロはバカだわね。
どうすればアナグマがカタログとの間に子供を作れるんだ?
ラリイ・ニーブンの短編集【無常の月】の中に、【スーパーマンの子孫存続に関する考察】という傑作短編がある。
異星人であるスーパーマン(クラーク・ケント)が、地球人の恋人ロイス・レインとの間に子供を作れるかどうかという考察が為されているのだが、それが大変面白い。
様々な論拠を挙げる事によって地球人の女と子供を作る事は不可能だと結論づけているのだが、その論拠のひとつに、スーパーマンとロイス・レインの遺伝子コードが同じとは限らないという事があった。
むしろロイス・レインは、スーパーマンとよりはトウモロコシの穂との方がまだ子供を作り易いだろうという事は、ちょっと考えただけでも解る・・・というような文章があったのを思い出した。
30年以上前の記憶だけで書いているので、ディーテイルが違っていたらゴメンナサイ。
間違っているのが「許せない」とか言わないでね。
蔵書を繰って調べてから書けば良いって?
あっ、そうか、そうでしたね。
何か所にも分かれている本棚から、頑張って探し出して来ましたよ【無常の月】の文庫本。
古いし、繰り返し読んで手擦れておりますが。
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ハヤカワ文庫「無常の月」表紙
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ハヤカワ文庫「無常の月」目次
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もう絶版らしい。。
となると、余計に大事な本だな。
ざっと読み返してみたら、前述した内容に間違いはないよう(ダジャレではないぞ)です。
そりゃあね、気に入ると何回でも読み返しますもん、私。
その後も年に一度は読み返す。
大分ボケては来たけれど、まだ少しは脳細胞が生き残っているようです。
この短編、他の論証も大変に面白いので、手に入るならば手に入れて、是非読んでみて下さい。
文庫のタイトルとなっている【無常の月】(これは中編かな?)も面白くて、私が亡きフレアにその名をつけたのは、この中編SF小説によって初めて「太陽面爆発(ソーラー・フレア)」というものを知ったからなんです。
まだ20代でした。
それは兎も角、【スーパーマンの子孫存続に関する考察】は、バカバカしい考察を大真面目に試みていて、当時としては斬新にも思えた程ユーモアに満ちています。
あの【リング・ワールド】のラリイ・ニーブンの作品かと思うと、きっと更に面白く感じたのかも知れませんが、今、読み返してみてもやっぱり面白い。
ここで【リング・ワールド】シリーズに触れていると、もう際限なく話題が逸れて行き、日記は長くなるばかりで収拾がつかなくなるだろうから、ここではやめておきます。
さて、ロイス・レインがトウモロコシと子を生せるならば、アナグマとカタログが子を生す事も可能かも知れない。
・・・と無理矢理、そこに話のオチを持ってきてみたという訳です。
ペロ君、バカだなんて言ってゴメンネ。
天才かもよ、君は。
ところで「アナログ頭」と言えば、昔、勤め先の小さなマーケティング会社では、試験的に可能な限りの「ペーパーレス」に取り組んでいた。
1チームに1つの大きな会議机でメンバー全員が仕事をし、一人一人が個別に机と引き出し、書類を持たないようにするのだ。
引き出しがあると、ついつい個人的に書類をファイリングして引き出しに仕舞い込むものだ。
誰しも自分だけのファイルを持つ事が好き・・・と言うより安心するものだ。
しかし、それぞれが違うアプローチでファイリングしてしまうので、他の人が見ても解り難かったりする。
個々のファイリングは紙とファイルが無駄だというだけでなく、書類の形式やファイリングシステムを統一し、誰にでも解る状態にする、その標準化とでも言う事務のやり方が理想なのは言うまでもない。
だけど伝統的に、因習的に、宿命的に一人一人がファイリングして、どうでも良いかも知れない書類までを山ほど仕舞い込むようになるのだ。
生きて活用されるファイルが、その中にどれだけある事か。
もっと中身を精査して、必要最小限のファイルに留めよう、そしてそれは共有のものにして更にスペースとファイル数を減らそう。
そこに挑戦したのだ。
書類は1部だけ、決められた方式ででファイリングし、チーム毎の書類棚に保管される。
今では比較的当たり前の方法かも知れないのだが、当時(30年前)の日本ではまだ先進的な事だった(と思う)。
但し、チームリーダー(そこではディレクターと呼んでいた)だけは、袖に引き出しのある昔からのデスクを与えられていた。
仕掛中の、まだオープンに出来ない状態のプロジェクトに関する不完全な書類は、チームリーダーが引き出しに保管していて良い事になっていた。
しかし私は、紙が大好きだ。
昔も今も紙に書いたものが好き。
紙に書いたり印刷したりする事(行為)も好きだけど、書かれた物や印刷された物(物質)も大好きなのだ。
だからペーパーレスというのは、私の性格には合わない。
どうも私は、昔の人間、アナログ頭なんだと、こんなところでも思う。
だけど、そのくせPCの操作には長けている方だと思う。
PCを使い始めたのもかなり早かったし、どんなアプリケーション・ソフトでも(仕方ないからだけど)使いこなす。
機械やソフトを覚えるのも使うのも好きで、熟練するまで徹底的に使う。
それはもう「PC中毒」と言って良い程にPC漬けだし、禁断症状も出れば精神依存もある。
1日に12時間以上PCのモニターを見ている。
なのに、紙が好きなのだ。
色んな品質の紙が好きで、紙だけでもコレクションしたい(実際している)。
活字が好きで、活字を読んでいないと落ち着かない「活字中毒」でもある。
入浴中に本を読む程にはのんびり湯に浸からないので、本は風呂場に持ち込まないが、それでも身体を洗う間に読むものに飢えてくると、シャンプーのラベルでも熱心に読む。
もっと字数が多く、字が大きいと嬉しいのだが。
そうだ、敵は老眼なのだ。
老眼には文字を大きくして読めると楽だからと電子書籍リーダーも買ったのに、やっぱり物質としての本が好きだ。
字を書いていないと落ち着かないという困った癖もある。
買い物メモを作るのが好きで、毎日せっせと書くくせに、メモそのものはいつも忘れて出掛ける。
書くまでの行為が楽しいのだ。
こうして日記を打ってアップロードしているくせに、今でも紙質にこだわったお気に入りの手帳に、手書きの日記を1日も欠かさず何年も書いている。
腱鞘炎の手首が痛いから文字を書くのが苦痛なのにも拘わらず、或いは書くべき内容など殆ど無いにも拘わらず、そして眠くて早く寝たいにも拘わらず、1日も欠かさず書き続けるというのは、これはもう病気ではないのか。
せめてもう少しマシなものが書けるならば兎も角、こうなると「アナログ頭」どころの話ではない、もっと切羽詰まった「困ったちゃん」ではないのか。
自らを省みると、何かにつけ執着し「習慣性」に陥り易い性格なんだな、きっと。
酒も煙草も、かつては理屈抜きで無くてはならない大事な存在だった。
それこそを「中毒」とか「依存」とか言うのだろうけど、やめようと自ら決意した時には簡単にやめられて、苦しいという事も無かった。
だから肉体依存はあまり無かったように思える。
むしろ、やめたくないと言うか、好きで好きで堪らないというだけだったような・・・。
そして好きだから、心地良いから、習慣となる。
つまり「精神依存」はあったという事か。
もっと囚われない、楽な性格だったら良かったのに、いったい誰に似たのだろう。
妹だってメモ魔だし(スケジュールは勿論、記録をつけながら駅伝を観るようなヤツなのだ)、父もファイリング好き、書類作成好きだった。
父の血なのか、これは。
じゃあ直らないよ、本人の努力だけでは。
そういう事にしておこう、パパのせいだよ・・・と。
今、とても憂鬱。
出掛けようとして、好ましくない事実に気付いてしまった。
その事は考えると気が重いので、明日まとめて書く事にする。
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