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2016年7月10日 日曜日 |
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晴れて暑くなる。
だけど日曜日は静かだ。
裏の公園で子供たちが騒ぐ声など、重機でコンクリートを砕いたり、力まかせにガツンガツン掘り起こしたり破壊する騒音には到底及ばない。
そして子供が無邪気に騒ぐ声など、実に可愛いものだと解った。
週に一度、幼稚園が丸ごと公園にやって来る。
きっと幼稚園には充分に走り回れる庭が無いのか、それとも騒音に苦情が出るのかも知れない。
実際、おチビさんたちが叫んだり泣いたり大騒ぎするのを聞いていると、どこぞの幼稚園建設に屁理屈こねて反対している住民たちの気持ちも、まあ解らないでもないなあ・・・と思ったりしていた。
だけど解体工事の音と比べたら、子供の騒ぐ声にはずっと心が和む。
子供たちの姿にも声にも希望を感じるのは、私が歳をとったせいだろうか。
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ナム あら、アタシは子供が嫌いよ
Jul. 10, 2016
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ナム だって乱暴なんだもん
Jul. 10, 2016
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確かに子供は加減を知らず、乱暴に尻尾をつかんだり抱き上げたり、意味も無く(あるのかも知れないが大人には計り知れない)大声を出してみたり、ドタバタ走って追い掛けたりと、猫が嫌う筆頭かも知れない。
でもね、子供だって動物に優しく接するよう因果を含めて教えれば、ちゃんと解るんだよ、ナムちゃん。
子供が乱暴なのは、しつけもせず野放しにしている大人や親が悪いだけなのよ。
子供だから理屈が理解出来ないというのは、個人差はあるとしても、多分2~3歳くらいまでだろう。
2~3歳でも解る子は解る。
猫にだってちょっとした物事の因果が解る位だもの、人間の2歳児だって解る子は解るだろう。
先ず言葉をどの程度理解出来るようになったか、言葉に思考が裏付けされるようになったかどうか、そして目の前にある物事だけでなく、過去や未来や相手の気持ちに想像力を働かせられるかどうか・・・その辺りの脳の発達には個人差があるのだろうけれど。
想像力の発達と言えば、先日、Eテレで面白い番組を観た。
番組紹介サイトから、概要をコピーして来た。
コピーと言ってもテキストコピーではなく、ウェブ画面を画像にしてある。
なるほどねえ・・・昨日の話題の続きになるけれど、やっぱり記憶したものをより長く保存させるには、リプレイさせる事が大事なんだな。
そして眠る事も。
今更手遅れかも知れないが、これからはもっとちゃんと寝ようと思った。
ま、それで残った私の記憶も、私が死ねば消えちゃうんだけどね。
そして今日も、子供たちが公園で遊んでいる。
よしよし、一杯遊んですくすく育ち、立派な納税者になりなさいね。
などと思いながらベランダから見ていると、桜の木を蹴ったり枝に石をぶつけたりしているクソガキがいる。
しかも、なかなかやめようとしない。
きっと彼女的には、それは面白くて仕方ない遊びなのだろう。
そこで、カメラ片手にさりげなく出て行って、やんわりと注意する。
桜の木が可哀想だよ、その木はもう弱っているんだから大事にしてあげようね・・・と。
すると、兄妹らしき子供の妹の方が
「お兄ちゃんが先にやった~」と傍に居た男の子に言う。
お兄ちゃんと呼ばれた男の子は、「やってない」と言って、背を向けて帰ろうとする。
どちらも多分、知らない大人に叱られた気まずさ、照れ臭さが言わせた言葉なのだろう。
それも解るような気がする。
私も子供だった事があるし、大人にあやして貰ってもひねくれた反応をする、可愛げのないエキセントリックな子供だったと記憶しているから。
それに子供は木にナイフで傷つけたり、枝を折ったり、ボールをぶつけたり、蟻んこの行列を踏みつけたりするものなのだ。
子供は無自覚に残酷だから。
でも、やっぱり桜の木は蹴らないに越した事はないし、狭い公園で石なんか投げているのを見掛けたら、そういう事はダメよと注意すべきだ。
子供は世の中みんなで育てるべきものなんだから。
その為にも大人たちは、子供に恥ずかしくない良識や道徳観念を持たなければいけない。
自分の都合や身勝手で、近所に幼稚園が建設されるのを反対するような大人ではいけないよ。
未来の日本を支え、私達の年金保険料を支払うようになる子供たちが無事に育つよう、多少騒がしくても、それを我慢するのは先行投資だと思いなさいよ。
それに子供のいない町や過疎村に未来は無い。
うるさい子供が溢れていてこそ、活気も可能性もあるんじゃないか。
・・・と子供なんか特に好きじゃない私でも、その程度の事は思う。
子供は宝だよ。
これは本音。
社会を支えて行く金の卵たる子供を作らなくて申し訳なかった・・・と改めて世の中に対して申し訳なく思う。
せめて野良猫くらい避妊しなきゃ、お天道様に冥利が悪いやね。
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