|
2016年7月16日 土曜日 |
|
曇天で気温はさほど高くないのに、湿度が高くて蒸し蒸しする。
難しいなあ・・・温度と湿度の管理。
トイレの床掃除をしていて、どうしてこんなに綿埃が多いのか不思議になる。
トイレットペーパーをクルクルする度に紙埃が舞って、それが吹き寄せられるのだろう。
昔のトイレ紙のように、カットしてあるものを積み上げて設置しておく方式が良いのかも知れないな。
それが水洗で流せる紙質ならば問題無いのだ。
いっその事、ロールのトイレットペーパーから切り取り、少しずつ折り畳んで1回分に相応しいと思える分を積み重ねて置こうか。
いや、そんな手間を掛ける位なら、毎日床掃除する方が清潔で良い。
しかしトイレが狭い。
トイレの床の奥の方を拭くには、便座に顔をくっ付けるような体勢でないと拭けないのだから。
まあ、いい歳して不平不満を言っていたら、人生を無駄にする。
今から理想の家を建てられるならば兎も角、与えられた環境の中で精一杯の事をする方が賢い。
いや、仮に理想的な家を建てられる経済的余裕があったとしても、家庭内野良状態の猫をたくさん連れて引っ越せない。
猫が1匹もいなくなった時に引っ越すとしたら、もはや小さな小さな家、いや、ワンルームマンションで良いんだ。
どうも最近、「お仕舞い」の事ばかり考えてるな、私。
でも、自分の人生の「仕舞い」を身近な事として考えず、そして実際に始末を自分でせずに死んでいく人が多いから、残された人々は後始末に苦労しているんじゃないか。
片付けてから死にたいので、神様、どうか必要なだけの長生きをさせて下さい。
まだ姑たちの残した粗大ゴミやガラクタも完全には捨てきれていないのだから、頭が痛い。
そろそろまた着手しないとね。
|
ペリー なんか僕、ボケてない?
Jul. 16, 2016
|
|
ペロ 僕だってボケてるよ、兄ちゃん
Jul. 16, 2016
|
ス、スミマセン、部屋が暗くてシャッタスピードが遅くて・・・そして手首の腱鞘炎が痛んで、右手の人差し指でシャッター押そうとすると激痛が・・・
それさえなければピントのボケた写真なんか平気で出さないんだけどね。
というのは全て言い訳です。
手が痛くない頃だってピンボケ写真はいっぱい撮りました。でも、それを余裕でボツに出来る位、一度にたくさん撮れていただけでした。
一杯撮りさえすれば、中にはマシなのも偶然撮れる事もあるという見本でした。
でも写真は体力と根気が要る。
撮る方にも撮られる方にも。
どっちも歳をとりました。
な~んか侘しいなあ、日記の内容が。
先日、人跡未踏(?)の藪や森ばかりの山道を恐る恐る走っていた時、実は別の発見もしていた。
山の上に、隠れ家のような蕎麦屋があっのだ。
帰宅して地図で確認し、ネットで店の情報も得たら、なかなか評判が良い。
二人とも蕎麦が大好きなのに、近くにロクな蕎麦屋が無い。
蕎麦も汁も美味しくないのだ。
なので近年、外で蕎麦を食べる事は一切なくなっていたんだけど、評判が本当なら是非行って(食べて)みたい。
我慢出来ず、今日、遅めのランチタイムに行ってみた。
道中の山奥っぽさも凄いが、店の周辺も山奥感満載だ。
駐車場も店も崖っぷちにあって、下は急斜面の藪だ。
|
駐車場の直ぐ脇の風景
|
|
下には急斜面の竹藪が続く
|
|
鬱蒼と暗くてちょっと怖い
|
|
道の向かい側の森も歴史がありそう
|
|
これは駐車場に建つ看板
|
どうやら、ここがこの辺りの山の一番上に位置しているようだ。
解り難い細い道沿いにある。
幹線道路から迷わずに来られるのは地元住民だけだろう。
では蕎麦屋は山の中の一軒家かと言えばそんな事は無くて、道の反対側には住宅もあるし、少し下るとそこそこの規模の住宅地がある。
道を造った一時代前の新興住宅地らしい。
住宅地は我が家の辺りと同様、傾斜地に造成されているのでどこを走っても坂道だらけだけど、違っているのは道幅が結構広く、ちゃんと両側に歩道がある。
我が家の辺りより、ずっと新しい時代に宅地造成されたのだろうな。
あちこちに森が残り、静かで街の喧騒からは遠い。
解りますか、第三京浜・都筑インターの裏側あたりにある事が。
緑の塊が見えるところが、開発されていない山や森で、私が道中ビックリした場所です。
そこそこの広さなんですよ。
あとはもう見ての通り、びっしり住宅が建て混んでいます。
我が家の近くの藪や森ですら、こうして空から見ると大した規模の緑ではない事にもビックリ。
充分に森が多いと思っていたのに、せいぜい1ブロック分くらいしか規模は大きくありません。
それから比べると、ここの山や森の面積は大きい。
だけど20~30年もしたら、そんな藪や森もすっかり宅地になっているのではないだろうか。
私達が今の家に越して来た25年前には、港北ニュータウンだってまだ完成していなかった。
山や森が切り崩されてマンションがどんどん建設され始める前で、ドーンと広い新しい道路だけが真っ直ぐ通り、夜にドライブしていると、道の両側は真の闇で、まるでアメリカのハイウェイのようだった。
地下鉄の駅は、明かりはついていても人っ子一人おらず、狸だけがウロウロしているゴーストタウンだった。
それが今では、すっかり新しい大規模な街が出来上がってしまっている。
マンションだけでなく企業も百貨店も大規模な店もたくさんあり、横浜の新興住宅地としては、相当に規模が大きいと言えるだろう。
20年とは長い年月なのだと実感させる事柄のひとつだ。
だから、今回知った未開発の聖域も、私が本物のお婆さんになった頃にはすっかり宅地に変わってしまっているのではないか。
それとも人口増加が止まって、もっと駅に近い古い住宅地(我が家の辺りだ)の古い家が次々と解体され、建て直されて行くのだろうか。
そして近隣住民は、絶えず騒音と振動に悩まされる事になるのかな。
残り少ないこういう森や藪は、出来れば今後もずっと残って欲しい。
持ち主次第なのかな、それとも大規模開発計画が持ち上がるかどうかなのかな。
もうこれ以上、開発の必要なんか全然無いのに。
どこかが開発されて新興されたら、どこかが寂れて過疎化するだけなんだから。
|
|
|
|
|
|
|
|