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2016年7月29日 金曜日 |
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朝から快晴。
空は真っ青、蜘蛛は真っ白。
あれ?雲が出ていたら快晴とは言わないのかな?
WMOの規定に基づいた気象庁における観測上の定義では、空全体に対して、雲の占める割合(雲量)が1割以下の状態である。 |
そっか、では今日は快晴で間違いないな。
これは昼に出掛けた時に、車の中から撮った空。
フロントガラス越しなので空色がやや薄ボケてしまっているけど、綺麗な空でした。
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青空と坂道 Jul. 29, 2016
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写真でも、長くて急な下り坂の感じがご覧戴けるでしょうか。
これでも坂の半分より下の部分だけです。
でも近隣にはもっと長い坂も急な坂も、長くて急な坂も一杯ある・・・と言うより、そんな坂がゲップが出るほど、いや、吐くほど多いので、こんな程度の坂ではそう自慢も出来ない。
こんなにも起伏が多い土地というのを、あまり知らない・・・と一瞬思ったけど、都内も実は坂だらけだった。
私が長く住んだ代官山(山)から道玄坂中腹にあった会社に通勤するには、一旦鶯谷(谷)へと坂を下り、そこから桜丘(丘)へと坂を登り、国道246号は横断地下道で渡る。
渡り切った所はほぼ道元坂上なので、これまた頂上。
そこから坂を下ると会社の入っている雑居ビルがあった。
若かったので、上り下りの多い道を平気で歩いて通勤していた。
確か徒歩で15分くらいだったと記憶しているけど、当時は今からは考えられない位の健脚で、歩くスピードは誰より速かった。
きっとあの道を今歩いたら、30分は掛かると思う。
そして長崎とか函館、神戸、サン・フランシスコなどの港町も坂が多いのかな?と思うけど、長崎と神戸はピンポイントしか知らないし、函館やサン・フランシスコには行った事が無い。
函館は行ってみたかったな、五稜郭で
平らな土地に住みたいなあ・・・こんなに坂が多くては、歩いて「ポケモンGO」なんか出来ないだろう。
尤も、スマホ持ってないから出来ないけれど。
ジャムが何だか変なんだ。
どう変なのか上手く言えないんだけど、いつにも増して虚空を見つめ、誰かに話し掛けているような鳴き方をしている。
ゴマの為に設えた「昔人間用ダイニングテーブル、今猫用空中ダイニングルーム」で長時間過ごしていたり、ゴマ用のかまくらベッドで寝ていたり・・・
ゴマが生きていた頃には決してそこへは近づかなかったのに。
ゴマだって、ミュウやアインが生きていた頃は、絶対に彼らのご飯が終わらない限りは食べようとしなかったり、3匹が私の周りで寝て居る時にどんなに呼んでも絶対に来なかった。
なのにアメショー3匹が死んでしまってからは、呼ばなくてもずんずん来て膝に乗ってしまったし、目覚めると私の胸の上で寝て居たし、食べる事にも一番貪欲におねだりするようになった。
自分より順位が上だと思っていた猫が死ぬと、下位だったものは態度が変わる。
それは誰に於いてもほぼ間違いのない変化だ。
今日は特に変で、何を喋っているのか、うにゃうにゃ言い続けている。
それは私を呼んで鳴いている時とか、要求や文句を言う時とは全然違う鳴き方なので、ゴマを探しているのかな?それともミュウと話しているのかな?と話している。
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ジャム お話ししているんだもん
Jul. 29, 2016
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ジャム 何を話してたか、それは秘密
Jul. 29, 2016
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そうだね、秘密があっても良いよ。
必要な事はちゃんと訴えてくれるものね。
ママも、ジャムの訴えを聞き逃さないように努めるよ。
相手が猫だろうと人間だろうと、サインが出ているのに私達はつい油断して見逃してしまいがちだ。
気付いた時には取り返しがつかない事になっている事が多いのだ。
だからこそ、毎日毎日、同じ事を自分に戒めないではいられない。
私など過敏で神経質で考え過ぎなようでいて、ちゃんと鈍感で雑でモノグサなところもあるのだから。
でも、しっかり丁寧に生きようと自分に言い聞かせていても、ボカッと気が抜ける事もあるよ。
仕方ないよね、不完全で凡庸な人間だもの。
だからと言って、開き直っていてはダメだと思うのだ。
還暦が近い歳であろうと、脳細胞がどんどん死滅し身体が衰える一方でも、少しずつでも進化しようという意気と努力を放棄しては、ただの迷惑な老人になってしまう。
そして生きている事がつまらなく感じるようになってしまうのだ、私の場合。
勤勉に働くのは苦しい。
だけど怠けていると、もっと苦しい。
たとえばこの無価値な日記ですら、17年も毎日書くのは結構きつい。
でも怠けて居たり、やめてしまうともっときついのだという事も実感した。
私は「頑張ろう」と思う事で、そしてほんの少しでも努力して頑張る事で、かろうじて人並みに生きられるような気がする。
だったら仕方ないね、苦しいのは。
みんなだって、それぞれ苦しいだろうと思う。
特に歳をとってくると、大切なものとの死別ばかり増えるし、自分の身体も容色も衰え、不具合や病気に日々悩まされるのが普通なのだから。
きついのは私だけじゃない、みんな黙って厳しさを受け入れているのだ。
これで猫たちの存在しない人生だったら、ただ厳しいだけだったかも知れないな、きっと。
喜びも幸せも、堪らない愛らしさもいじらしさも、あらゆる素敵なものをたくさん猫たちから貰った。
猫たちに恩返ししないといけない。
手の掛かる介護も、辛く苦しい看取りも、突然死なれるのも、全ては必然なんだ。
全てこれが愛するものの一生なのだと受け入れて、辛くても踏ん張るしかない。
大人ってホント、大変。
人間の子供を産み育てた事がないから、こんなにヘコタレなのかなあ・・・。
でも頑張る、兎に角、それっきゃないからね。
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