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2016年8月22日 月曜日 |
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台風で朝から激しい雨。
あちこちの川が危険水位になっていた。
目黒川が増水している様子をテレビで見ていたら、中目黒の会社に勤めていた当時、近くの飲み屋のお婆ちゃんが目黒川が氾濫して浸水した話をしていたのを思い出した。
目黒川に掛かる小さな橋の直ぐ脇にある小さな古い店で、確か「たもと」という店だった。
当時の私の勤務先は小さな広告代理店のようなところで、毎日家に帰れない徹夜仕事が続いていた。
夕方になると毎日、「ご飯行って来ま~す」と言って何人かで会社の近くの飲み屋に繰り出すのが当たり前という会社で、毎晩焼き鳥やモツ焼き、ホッピー、チューハイが夕飯第1段だったのだ。
まだ朝までは2回、晩飯があるのだけど、それはまた次の機会に・・・何しろ面白い会社だった。
勤務中に飲酒なんて・・・とお思いだろうが、何しろ何日も家には帰れない、残業代は出ない、締め切りは厳しい、社長は夕方にならないと出て来ない、しかもCMに出してやると言ってはモデルの卵みたいなのを一杯囲い入れている・・・という按配で、社員はみんなヤケクソ気味だったのかも知れないし、そうでないとしても、そういうユルい雰囲気のギョーカイでもあったのだろう。
帰れないと風呂にも入れないから、近くの銭湯に行く人もいたし、トイレの洗面台で髪を洗ったりもした。
着替えは安物を買ったり、旅行鞄に詰め込んで持参して来ていたりした。
ま、あんまり着替えなかったけど。
20分ずつ交代で仮眠する事にして、各人が「東急ストア中目黒店」で買って来たマイ「花ゴザ」を夜鷹のように小脇に抱え、無人の社長室へと消える。
どうして社長室なのかと言うと、カーペットが敷いてあるのは社長室だけだったのだ。
最初、空いているミーティング用テーブルの上で寝るなどという大胆な事も平気でしていたのだけど、床もテーブルも硬くて、ゴザを敷いただけでは身体が痛くなる。
だから社長秘書が提案してくれて、社長には内緒で社長室をみんなの仮眠室として使わせて貰っていた。
みんな毎晩飲んでいるからどんどん酒が強くなり、飲んだ後でも平気でがっつり仕事をしていた。
多分、酔っぱらってはいたんだろうけど、若くて体力があったし、数時間も経てば冷めてしまって、朝までにはあと2回食事(酒無し)していたのだ。
あれから早や30年・・・若さは失せ、体力もなくなった。
そして勤めていた会社もとっくに無くなっし、あの飲み屋も、安くて美味しかった小さくて汚い天丼屋も、きっともう無いんだろうな。
何たって中目黒ときたらオシャレな店の多い街になってしまったらしいから。
信じられないよ、あの近辺に学生時代から通算12年も住んだけど、当時、古い家や小さな古い店の多い、決して若者がわざわざ電車に乗ってやって来るようなオシャレな街ではなかった。
そして台風の大雨の影響で、横浜市内もここからそう遠くない青葉区では、道路わきの法面が土砂崩れしたらしい。
それご覧なさい、大雨が降ったら法面だらけの横浜は危ないでしょうよ。
なのに公園の法面の木を全部伐採してしまうなんて、リスクを大きくしているだけなんじゃないの?
でも土木事務所の担当に何年にもわたって何度もそれを訴えて来たけど、殆ど無駄だったからなあ。
その時は解りましたと言っても、しばらくすると業者が電気ノコギリで木を切りに来る繰り返しだった。
そして法面はのっぼらぼうのツンツルテンになったんだ。
土砂崩れしたら一番危ないと予想出来る崖の上、しかも崖ギリギリの崖っぷちに建つ家の住人からの要求で木を切ったらしいから、人の考える事というのは色々なんだな。
私なら怖くて、崖っぷちには住みたくないし、住んでいたとしたら、崖の法面の木なんか伐採しろと苦情を言ったりはしないよ。
怖いもん。
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テト そうだよ、崖っぷちは怖いよ
Aug. 22, 2016
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テト 恐くてペロペロしちゃう
Aug. 22, 2016
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そうだよね、テト君、お家が壊れたり、生き埋めになったりするのは怖いよね。
どんな死に方も怖いけど、溺死とか生き埋めで窒息死するのはホントに怖い。
もの凄く苦しいだろう。
2年前の8月20日の未明、広島市で起きた大規模な土砂災害では、たくさんの睡眠中の住人が亡くなった。
苦しかっただろう、無念だったろう・・・と思う。
あの災害だって、異常な豪雨による天災とばかりは言えない。
何度も言うようだけど、どこにでも宅地造成をし過ぎる、許可し過ぎるのだと私は言いたい。
一方では空き家が多くなっていると言う問題も深刻だというのに、砂防ダムの建設がなされていない場所の山懐に、土砂崩れしたら格好の通り道になるような造成をして家を建てるべきではない。
でも行政や企業の過ちは、因果関係が立証されない限り、いや、されたとしても、被害を被った者の被り損なんだ。
話が飛躍するようだけど、水俣病の例を見てみろ・・・と言いたい。
国は言うだろう、100点満点の行政はありえないのだと。
だから国や行政などというものに、自分の運命や命を預け切ってはいけない。
預けるしかないとしたら、諦めるのだ、何が起きてもそれが神の御旨だと。
そんな風に諦められないとしたら、用心深く生きる事だ。
私は可能な限りは用心深くありたいけれど、受け入れるしかない状況や身の上であるとしたら、それは諦めて受け入れるつもりだ。
そして祈る。
可愛い猫たちが天国に旅立つまでは、どうかこの家が無事でいられますようにと。
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