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2016年8月23日 火曜日 |
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台風一過とならず、お天気は不安定。
朝は晴れて一日が始まったのに、午前中に突然、バケツをひっくり返したような豪雨になった。
あまりの雨音の大きさに、ジャムはいつにも増して怖がる。
私達が直ぐ傍にいるのに・・・
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ペロ ボクは兄ちゃん達と一緒だから
Aug. 23, 2016
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ペロ ぜんぜん恐くなかったよ
Aug. 23, 2016
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偉いね、ペロ君。
ジャムちゃんには是非見習って欲しいよ、ペロ君を。
でも、ペロ君は爪切りさせてね!
そしたら最高に偉いんだけどなあ・・・
昨日の日記で、「また次回・・・」と書いた、昔の職場での2度目、3度目の晩飯の話・・・。
幾ら酒好きだったとは言え、流石に毎回の食事で飲みはしなかった。
飲みたいのはやまやまだったけど。
あの頃、どうしてあんなに酒が好きだったのか今ではもう解らない。
決まって毎日午前1時頃になると、夕方やっと出社して少しばかり引継ぎをしたらさっさとモデルたちとどこかへ出掛けてしまった社長から会社に電話が入る。
「ディレクターは誰と誰が居る?」
毎晩同じ事を訊かれるのだ。
プロジェクトチームを預かるリーダーのくせにその時間に会社に居なかったりすると、社長の機嫌が悪くなる。
皆、その事を経験的に知っているし、実際仕事が間に合わないものだから、1週間に1度くらい何とかして帰宅する以外は殆ど会社に居たのだ。
すると社長、ディレクターは全員「今からキャンティ」に来いと言う。
「キャンティ」とは、西麻布にある老舗のイタリアンの「キャンティ」の事だ。
芸能人なども良く訪れるので有名だったが、実際、料理も美味しかった。
ディレクター職の3~4人で、急いでタクシーで駆けつける。
今はどうか知らないけど、あの店は明け方4時まで営業していた。
社長が夢物語を滔々と語るのを、色んな料理を社長の経費で食べながら、2時間ほどたっぷり聞かされる。
その社長の夢物語を、会社に戻ったらそれらしく企画書としてまとめなければならない。
それを毎日、毎日、繰り返していた。
当時、毎日企画書を20個位書いていたのだ。チームで分業するので出来る事だけど、夢というかプランは社長の頭で考えられたものばかりだった。
私達は、企画書製造ラインのようなものだった。
だから何をどれだけ食べても良いという私にとっては天国のような環境で、食べながらもしっかり社長の話を聞いておかないと、書く内容に困った部分が出て来る。
あれは一種の試験だったんだろうか。
新入りの私は食べる事が楽しく、また食べるのに忙しくて、他の古参のディレクターがあまり食べない事が不思議でならなかった。
みんなもっと緊張して聞いていたんだろうな。
午前4時に「キャンティ」を追い出されても、そこで解放される訳ではなかった。
その後は西麻布の交差点の斜向かいの路地を入った所にあった小さなバーで、社長は麦とろご飯を食べるのだ。
そこでまた2時間、付き合わされる。
私は食べ盛りの30歳で、キャンティではウニのパスタやステーキを食べて来ていたのだけど、そのバーでもマスター手づくりのニラの入ったスープ餃子や、絶品の明太子入りの甘い厚焼き玉子などを食べた。
幾らでも食べられた。
そして午前6時過ぎに本当に開放されて、またタクシーで会社に戻つて直ぐに仕事を始めた。
9時になるとチームのスタッフたちが出社して来るのだけど、何事にもテキパキとしていて気の利く女の子たちで、通勤途中で必ず電話を入れて聞いてくれた。
「朝ご飯、何か買って行き来ましょうか?」と。
私はおにぎりを3個頼むのが常だった。
私が辞めた後の事なので詳細は良く知らないのだけど、会社は間もなく倒産したらしい。
そりゃあ倒産もするだろうな・・・と思うような社長の行状だった。
でも私は、あの社長、好きだったな。
私達、駆け出しのディレクターに毎日、給料を払ってマーケティングの勉強をさせてくれていたようなものだ。
クライアントの担当者にも、私を「育ててやってよ」と頼んでくれていた。
でもその担当は別のディレクターの女の子にぞっこんで、私とは口もきいてくれなかったよ。
その担当の会社も、その後消えて行った。
みんな今どうしているだろう。
若い頃に共に一生懸命働いた人達の事は忘れ難い。
では忘れ難い人達に会いたいかと言えば、全くそんな事は思わない。
私は同窓会にも一切行かないし、ちょっと別次元の理由だけど別れた人とその後連絡取り合ったりする事もしない。
何たって親の葬式にも行かない(行けない)ような暮らし方・生き方をしている人間なのだもの、友人・知人にだけ付き合いが良くては道理に合わない。
お友達の皆さん、不義理の数々どうかお許し下さい。
でも感謝の気持ちや尊敬、心配する気持ちが無いという事ではありません。
余裕を殆ど持たない人生のスケジューリングをしてしまう私が悪いのですが、そのモチベーションは決して利己的なものではないという事だけは弁解させて下さい。
ま、どうでも良い相手からどう思われていてもどうでも良いのだ。
解ってくれる人たちはちゃんといてくれて、本当に支えて貰っているのだから。
有り難うございます、皆さん。
有り難う、妹、有り難う、こうちゃん、有り難う、パパママ、そして猫たち。
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