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2016年9月30日 金曜日 |
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ちょっと日記の更新を休んでいたら、今日はもう9月の最終日だ。
夜は空気がひんやりして来たけれど、日中はまだ暑い。
また夏日が戻るという予報だし、人も猫も体調に気をつけたいね。
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メラ そうよ、老人なんだから
Sep. 30, 2016
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メラ 猫は人じゃないけどさ
Sep. 30, 2016
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うん、ママもそれは知ってる。
でも例えば「犯人」を「犯猫」とか、「人生」を「猫生」とか、「ひとでなし」を「ねこでなし」なんて言うのは違和感があるから、ママは言いたくないのよね。
なので時々猫を擬人化した言葉を使うのだけれど、それに対して丁寧にご指摘下さる方がいる。
困ったな、知らないで使ってる訳ではないのだけれど。
そう言えば昔このサイトを開設したばかりの頃、里親募集する猫に名前をつけるのかと、同じく里親募集サイトを運営している方から批判された。
仰る意味は解っていたけれど、私には別の考えがあった。
里親さんに正式な名前を付けて下されば良いのだけど、募集している猫は名前のある実在している確かな存在である事を、どうにか強調したかった。
そして保護主(募集主)も心から保護猫に愛情を持っている事を、仮名をつけて募集する事で表現して欲しかった。
今では仮名をつけて募集するの事も普通だろう。
良かった。
同じように悲惨な境遇の、同じように可愛い名無しの野良猫が山ほどいても、仮名であっても心を込めてつけられていたら、そこには機械的な募集ではない、保護した人の心を感じる。
自動的に投稿出来る方式をとらず、掲載までに推敲を重ねるようにした。
何故に保護主が自分では飼えないのか、そういう部分への疑問を残さない募集をして欲しいと願い、口うるさく募集記事の原稿を突き返した。
誰が読んでもスッと腑に落ちる記事であって欲しい。
そして「こういう保護主を応援したい」とか「こういう人の保護している猫を貰い受けたい」と思って貰えるような里親募集をして欲しい。
その一念で、私は個人の募集媒体を務めようとし続けた。
16年続けたコーナーを閉じたのは、あの頃とは時代が変わったと感じたからだ。
ネット媒体の多様化やスピード感も変わったけれど、それよりもまず、より自然に当たり前の事として野良猫を保護してくれる人が増えた気がした。
相談に乗ってくれるところ(個人であったりグループであったり)も増え、募集のやり方もこなれて来たと感じる。
問題や課題はいつになっても存在し続けるだろうけど、次世代が「今」を担っているのを見て、ロートルは前線を退くタイミングだと判断した訳だ。
この間、家族には普通ではあり得ないような、もの凄い犠牲を押し付けて来た。
同居の家族であるこうちゃんやミュウ、そして離れて暮らしていた父母と妹には、本当に申し訳ないと思っている。
そろそろ帰ろうと思う、家族のところへ。
もうミュウも父も母もゴマも死んでしまったけれど。
しかし老兵は死なず、今のところ消え去りもしない。
しばらくはこの日記も、ぼちぼちでも続けたい。
お目汚しではありましょうが。
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