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2016年12月4日 日曜日 |
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今日も良く晴れて暖かい。
冷たいおやつが欲しくなる位に、暖房を入れた部屋の中は暑い。
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ジャム でも、お水にはお湯を入れてね
Dec. 4, 2016
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ジャム 冷たいお水は嫌い
Dec. 4, 2016
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そうなんだね、暑がりのジャムちゃんだったのに。
大丈夫、24時間いつでも熱いお湯を飲み水に注してあげられるように、ポットには常に熱湯を用意しているから。
お湯を入れたポットは2重に保温袋に入れて更に冷め難くし、それでもそのポットには日に4回くらい沸かしたてを入れ直している。
ポットの残り湯は私達がお茶を飲むのに使って、無駄にしないようにしている。
全てはジャム優先よ。
昼のお弁当は今日も続けている。
大根の皮と蕪の葉のキンピラ、甘い玉子焼き、コンニャクとさつま揚げの煮物、蕪の浅漬け、そして五穀米に肉そぼろを少しだけ乗せる。
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今日のお弁当 Dec. 4, 2016
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食べ掛けでゴメンナサイ。
食べてる途中で撮影を思いついたので・・・
かつての私なら、この容器全体に白いご飯をギュウギュウに詰めて、おかずは別にもう1段必要だった。
とても重たい(胃に重いという意味ではなくて、重量が重たいという意味だ)お弁当だった。
そこまでの食事量からようやく解放されて、良かった。
でも解放されてから、まだ月日は浅いのだ。
我が家にも紅葉前線がやって来た。
玄関前の満天星(ドウダン)だ。
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満天星 Dec. 4, 2016
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落ち葉が降り積もっているけど、そのまま撮影してしまった。
今年は、満天星が例年にも増して真っ赤に色づいた気がする。
11月に寒い日が続いたせいかな。
間もなくこの小さな赤い葉が散り始め、また掃き掃除が大変なのだけど、放っておいてもこんなに綺麗な紅葉を見せてくれると、何とも愛しく感じる。
きっと気づいていないだけで、まだ他にも身の回りに愛しい物がたくさんあるはずなんだ。
当たり前に見過ごしているだけで・・・
故郷の、子供部屋の東側の窓から真正面に見えた山の美しかった事、歩いて2~3分で素晴らしい景色の渓谷があった事、家の斜向かいにあった大きな桜の木の素晴らしい枝ぶり・・・
そしてその家には、まだ若くて元気な父も母も揃って居た。
その全てが、存在していて当たり前だとばかり思っていたのに・・・
予定通り、夜には白和えを作った。
近くの一方通行の並木道の所で車を停めてお弁当を食べ、食べ終えたらスーパーに向かった。
白和えの材料だけ買う為に。
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白和え Dec. 4, 2016
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具は人参、糸コンニャク、しめじ、ほうれん草。
残念ながら根三つ葉は売っていなかった。
糸三つ葉はあったけど、茹でたらカサが減ってしまうから、たくさん買わないといけないだろう。
値段とのバランスから考えて糸三つ葉は却下、ほうれん草を採用したものの、味も香りもイメージしていたものとは違ってしまった。
つまり、ほうれん草にもしめじにもコンニャクにも豆腐の衣にもクセというか個性が乏しいのだ。
根三つ葉を・・・と思ったのは、白和えという優し過ぎるくらいの料理に於いて、無意識のうちに三つ葉の香りをメインに据えたかったのだろう。
思いがけず主役となってしまったのは、今日の具材の中では一番香りの強い人参となってしまった。
結果的に、ちょっと印象のボケた白和えとなってしまった気がする。
せめて葉三つ葉の1把でも足すべきだった。
芹だとどうなるだろう?
一度、白和えに使ってみるかな。
強過ぎるだろうか?
芹とかクレソンだけの白和えというのも、意外と洒落ているような気がする。
でも、私はやっぱり胡麻和えの方が好きだな。
とりあえず満足したので、次は胡麻和えに戻ろう。
割り干し大根の胡麻和えなんてどうかな?
和え物は、どんなに手間を掛けても所詮メインディッシュにはならない。
白和えで白いご飯をモリモリ食べるなんて事はあまり無い。
若い頃は、忙しいのにそこんところが面倒臭くて、箸休め程度の料理なんか作りたがらない理由だった。
歳をとり、やっと白和え程度の小鉢でもそこそこ満足するようになる。
これは老いや衰えと裏腹にある喜びであるところが悲しいような、私も渋い大人になったもんだと嬉しいような・・・。
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