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2016年12月30日 金曜日 |
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今日も寒い。
台所で水仕事をすると、手が冷たくなって辛い。
いつでも好きなだけお湯を使えるけど、お湯を使えない作業もある。
野菜を洗ったり刻んだりする作業なんか続けていると、手が凍えて真っ赤になる。
昔の主婦は、洗濯も炊事も大変だったね。
勿論、今だって水を使う仕事はたくさんある。
私なんかぬるま湯のような生活で、たまに手が冷たいなどとぼやいていては恥ずかしいな。
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ナム まあ、反省しているようだし
Dec. 30, 2016
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ナム 許してあげる
Dec. 30, 2016
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そう?
有り難う、ナムちゃん。
許されてばかりだね。
でも、世の中では「許せない」などという過激な言葉を安易に使う人たちがたくさんいる。
本当に許し難い程に極悪非道な事でもないのに、簡単に「許せない」と言うケースが多い事に驚く。
私はたくさんの人たちから許されて生きていると思っている。
未熟で思慮の浅い私がこうして生きていられるのは、私と言う存在そのものが許され、受け入れて貰えて来たからだ。
私も常に許す努力が出来る人間でありたいと思う。
そこには葛藤がある場合もあるけれど。
猫たちにすら何につけ許して貰って暮らしている訳で、何もかもが有り難いと思っております。
せめてもの恩返しに、精一杯働いてお世話させて戴きます。
流石に今日からは、隣の建設工事もお休みのようだ。
朝のうちだけ少し音が聞こえて来ていたけど、小一時間で静かになった。
やれやれ、数日間は静かに暮らせそうだ。
気がつけば頭の痛いのも治まっている。
頭痛の原因は騒音のせいばかりではないとは思うけど、全く関係ないとも言えないような気もする。
束の間でも静かに暮らせるのは、本当に有り難い。
悪い事が続くと、何事も無いだけで幸せだという事が良く解る。
年の瀬に火事で焼け出されてしまった人たちは、どうしているのだろう?
津波であれ土砂崩れであれ火事であれ、家や家財をすっかり失うという事の不幸がどれ程のものか、想像に難くない。
私も築いては失う・・・という経験をして来たけれど、若かったから出来た部分もあるだろうな。
今から全て失ったら、それでも再び築き上げられるだろうか。
多分、同じだけ築き上げる時間と体力はもう無いだろう。
それでも生きていられるようでありたい。
感謝して、綺麗事を言い続けて生きていられる自分でありたい。
綺麗事が言えず運命を呪いたくなる時があっても、「平気で生きる」事を目指すのだ。
頑張ろう。
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