2017年1月27日 金曜日 |
|
天気予報の通り、今日は春のように暖かかった。
15度以上になったんじゃないかな。
3月末から4月上旬の陽気だったらしい。
だけど南風が強かった。
近所中の落ち葉が見事にうちの玄関前に吹き寄せられていた。
掃いてしまおうとしても、風が強くてチリトリから吹き飛んでしまう。
とほほ・・・
それでも大雪に見舞われている地方の人達を想えば、風が強いくらい何だ!という気持ちにもなる。
雪かきのお手伝いに行きたいよ、猫がいなければ本気で行きたい。
|
ナム あら、アタシたちのせい?
Jan. 27, 2017
|
|
ナム ヨボヨボのくせに~
Jan. 27, 2017
|
うっ、痛いところを突くじゃん、ナムちゃんたら。
ヨボヨボはヨボヨボなんだけどね、雪かきは好きなのよ。
私は、猫たちもこうちゃんも死んじゃって一人になってしまったら、生きる気力が持てるとは思えないから後追いしたいところだけど、せめて冬には雪かきボランティアをしたいと思う。
雪かきは草取りよりはずっと好きだ。
大変な重労働だとは知っているけど、外でうろうろしていても蚊には食われないからね。
でもその頃には私はもうお婆さんで、むしろ足手まといだと迷惑がられちゃうかな。
それでも少しは役に立つと思うんだけどなあ・・・
こうしている今だって、瞬間移動出来るなら是非とも雪かきに行きたい。
まるちゃん&ふうちゃんちの雪かきもお手伝いしたいよ。
妹との約束は・・・う~ん、反古だな、この際。
昨日、何のゴミの回収日でもないのに、ゴミ置き場にゴミが3個あった。
1つはポット苗の黒いポットで、その中に苗の説明の紙ラベルが入ったもの。
それから何かの製品の包材であったと思しき透明のプラスチックケース。
そして小さいけれど窓に掛けるブラインドを半分の長さに折り、ガムテープでグルグルに留めたもの。
いずれもゴミ袋には入れてなくて、剥き出しのままポイと置かれていた。
3個のうち2個は普通ゴミの日(火・土曜)に、そして残る1個はプラスチック包材の回収日(水曜)に出すべきゴミで、昨日は木曜日だから何も出してはいけない日なのだ。
またあの家の仕業だろう。
今ではその場所にゴミを出す家は4軒しかないのだ。
あの家以外の3軒は(うちも含む)古くからの住人で、今までゴミ捨てルールを守らなかった事は一度も無い。
残る1軒の家が引っ越して来るまでは、ゴミ捨てルールが守られないという事は、この町内では皆無だったのだ。
もし我が家で曜日を間違えて出して回収されないような事があったとしたら、慌てて持ち帰って正しい出し方をし直す。
だって恥ずかしいもの。
実は何度もあの家の娘(ゴミ出し担当なのだそうだ)が、ルール違反のゴミ出し現場を見ている。
うちの軒下には、門の辺りから道路まで広範囲をカバー出来る監視カメラを取り付けてあるし、そうでなくてもゴミ捨て場は私の仕事机から丸見えなのだ。
今回は袋にすら入れてないので、とりわけ軽い空のポット苗のポットなどは風で飛んでしまうと危惧したから、3個のゴミはお隣の門の陰に戻しておいて差し上げた。
戻されると、それをまた直ぐに捨てに行く事もあるので、今回はどうするだろう?と思っていたら、ちゃんと自分の家の敷地内の奥に引っ込めていた。
うちのトイレの窓から見えるお隣の自転車置き場に、あの3個のゴミが置かれているのが見える。
どうしてルールを守らないのかな。
どうしてゴミ袋にすら入れないのかな。
謎は一杯だけど、これは疑問文ではない、感嘆文の「どうして?」だ。
「ゴミ出し担当」は娘なので・・・と母親が言うので、その担当の娘に声を掛けた事がある。
ゴミを出す日は解っていますか?と訊くと、知ってます、書いてあるから・・・と答えていた。
でも、守れていない事が多過ぎるね・・・とは言わずにおいたけれど。
だらしない性格なのか、或いは世の中の小さなルールなど軽んじているのだろう。
母親は独り働いて二人の娘を育てているのだから、娘はゴミ出しくらいしっかり頑張らなければバチが当たる。
だけど娘は近所の住人の誰に対しても挨拶をしないと有名だし、出掛けようとしている時にバッタリ出くわしてしまったりすると、サッと家に戻ってしまう事もある。
ゴミ出し程度の事でいちいち注意するような嫌な隣人だと嫌われているのかも知れないな。
そうだとしても、最低限の挨拶くらいはした方が良い。
挨拶って「私はあなたの敵ではありません」という意志表示で、社会の中で不要な摩擦を防ぐ最低限度のマナーなんだから。
つまり、挨拶しないという事は「敵対しています」という意味なのか。
そう考えると、ちょっと怖い。
ゴミ出しルールを守らず挨拶もしない娘のいる家も、更にそのお隣の家も、どちらも母子家庭で二人娘という同じ家族構成だ。
しかし、もう1軒の方の娘は二人とも小顔の美人で、挨拶もきちんと出来る、感じの良い娘なのだ。
挨拶がちゃんと出来るというだけで好感度が増す。
だけど可哀想になあ・・・まさに「番茶も出花」の年頃なのにも拘わらず器量が良くないのだから、ちょっとでも愛想を良くしたり、きちんとゴミ出しルールを守っていた方が良いのに・・・などとお節介な大人は心配になる。
いやいや、心配は無用だ。
あの家の娘は凄く男の子にモテるようだから。
お姉ちゃんの方は、母親の出勤後に朝から毎日(文字通り毎日)、男の子を家に連れ込んでいた。
その男の子は、母親が出掛けるまでの間、うちの玄関先で待っている事もあった。
あまりに長期間、しかも毎日の事なので、その男の子の自転車も覚えてしまった位だ。
玄関先で楽しそうに嬌声をあげている事もあった。
ある夕暮れ時、「来てくれてありがとう~!」と叫んでいる事があった。
キッチンの直ぐ下の場所で話しているから、叫ばなくても会話は殆ど筒抜けで聞こえて来るのだが、その時は近所中にとどろきわたるような大声だった。
その叫びはとても感極まった言い方で、いじらしい感じすらした。
あんなにも女らしい心の叫びは、まるで舞台劇の台詞を聴いているようだった。
語気の荒い、可愛げのない私は、この歳になるまで一度も言った事のないような、いじらしい可愛らしい言い方だった。
毎日来ている相手なのに、来てくれて有り難いというのはどういう事なんだろう。
余程嬉しかったのかな。
しかし事情は何であれ、青春真っ盛りなんだと微笑ましく思った。
幸せならば、それは大変結構だと思う。
心が不幸で悪い事を考えたりするよりは、人は幸せでいた方が世の中の為だ。
だけどうちの夫は潔癖なのか、親に隠れて男を連れ込む・・・という真似が、おそらく男親の世代として、ふしだらに感じるのかも知れない。
「また来てるよ」と眉間に皺を寄せる日も度々あった。
でもね、逢引きの場所に困って変なお金の稼ぎ方をしたり、誰彼構わずお金や寝場所の為に見ず知らずの男と関係を持ったり、家に寄り付かずにいかがわしい場所でウロウロしている連中よりは、特定の男の子とステディに付き合っている方が純粋で良いと思うよ。
このまま好きな人と幸せになって欲しいよ。
人の親になった事のない私としては、子供の方の気持ちが良く解るような気がするよ。
好きな人と結婚して、幸せに暮らし、そしてゴミ捨てをきちんと出来る主婦になって欲しい。
そして嘘をついたり、町会費を誤魔化したりするような事をしない主婦になって、娘を持つ事があったら隣人には挨拶をするよう教育するような母親になって戴ければますます結構と心から思う。
いずれにしても、ご近所や世間というものは、なかなか軽んじる事は出来ないものだと改めて思う。
あまり外に出ない私の目にすら入って来る事なのだから、気をつけて見ている人はもっといろいろと気づいている事だろう。
それと同じように、私も見られているのだと思っていた方が良い。
他人の目を気にし過ぎては方向を間違うけれど、最低限度のルールやマナーは守って、世間に迷惑を掛けない程度には世間の物差しに合わせられないと、ただの変人になってしまう。
いや、私がただの変人ではないと言いたい訳ではない。
私などただの変人ですらない、ただの凡人、或いはそれ以下のダメなヤツだと自覚しているさ。
そんな私でも他人に迷惑を掛けないよう努めたいし、人が平和に快適に暮らす為のルールやエチケットは尊重すべきだと思う。
自分の家さえ綺麗になれば人の家や公共の場はどうでも良いという気持ちや行為、そしてゴミ出しルールを守らないような事は卑しい恥ずかしい真似だと思うから、私はちゃんとしたいし、近隣にもして欲しいと望む。
これ以上日本人の公徳心のレベルが下がらないようであって欲しい。
もっと学校と家庭で、道徳の教育が必要なんだろうな。
「紛紛たる輕薄、何ぞ數うるを須いん」という杜甫の言葉を借りたくなる事ばかり。
道徳なんて「今人棄てて土の如し」なんだ。
杜甫に学ばずとも、昔の日本には様々な良い戒めがあった。
それを軍国的だと排除してしまうだけでは、日本の美しい心は滅びるよ。
|
|
|
|
|
|
|
|