2017年2月2日 木曜日 |
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今日も晴れて、もはや空気はカラカラに乾燥している。
そのせいかどうかは兎も角、インフルエンザ大流行だとか・・・そんな時期には人混みに行きたくない。
ま、私の場合はスーパーくらいしか行かないで済んでるけど、今月は定期健診で総合病院の待合室で長時間過ごす事になる。
マスクもせずにゴホゴホやっている人が必ずいるけど、咳が出る人は必ずマスクをしていて欲しい。
空中を浮遊しているウィルスはマスクの隙間から入れる大きさだとは知っているけれど、ウィルスを持っている人のそのウィルスは、咳やクシャミの際に唾液や鼻汁に含まれて排出される事が多いのだ。
つまり、咳やクシャミで飛沫する粒子はウィルスより遥かに大きい状態の訳だから、マスクが飛沫を防いでくれる効果はあるはずだ。
病院の待合室の入り口には「咳をしている人はマスクを着用して下さい」と書かれた札が立っていて、マスクが売られている事も書き添えられている。
だけどそもそもエチケットを守らない人は、そんなもの読んじゃいないだろうし、平気でゴホンゴホンやっているよ。
行きたくないからキャンセルしてしまおうかとも考えるけど、持病の薬を出して貰わないといけない。
しかし診療して貰わないと処方箋も出ないので、毎回検査と診察、そして長時間待つ事が必須なのだ。
でも、つくづく行きたくないよ。
新しい担当医師はやる気も誠意も無いようだ。
ご丁寧に毎回処方箋を間違えて翌日に事務から電話があるし、コミュニケーションがとり難い。
前の先生が年に1度はするように言っていた他の検査も、この先生は全く触れないし、気が回らないみたいだ。
患者の顔も見ない、脈もとらない、ろくに日々の様子を聞きもしない。
どうでも良いんだろうな、患者なんか。
総合病院の悪い部分の極端な典型みたいな医師だ。
いっそ近くの個人病院に代わろうかと時々考える。
だけど今後もし何かあった時、また総合病院で最初から・・・というのは面倒だ。
どうしたら良いのだろう。
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ペロ 僕が教えてあげるよ
Feb. 2, 2017
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ペロ そんな病院やめた方が良いよ
Feb. 2, 2017
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ペロ 僕の爪切りもやめてね
Feb. 2, 2017
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それとこれとでは別の話よ、ペロ君。
それにね、ホスピスがあるのよ、そこの病院は。
ウエハラさんが昨年、最期を過ごしたホスピス。
舅が最期を迎えたのも、そこの病院だった。
山の上にあり、木々が多く、春には敷地内の桜が美しい。
随分と長いお付き合いになったよ、そこの病院とは。
何たってうちから近いから、もし私がそこで入院した時こうちゃんに通って貰い易いだろうし・・・とか色々と不純な動機でやめられずにいる。
「その時はその時だよ」
こうちゃんはそう言ってくれるに違いないのだけれど。
どうでも良いけど、いまどきの学校では体育の時間、女の子に昔のようなブルマーなんか穿かせないのだろうな。
私が子供だった頃、黒いブルマーは中学生になってからだった。
ブルマーと言っても、その昔の時代のようなヒダのある膨らんだ、いわゆる「提灯ブルマー」ではなく、伸びる素材で身体にピッタリしたヤツだ。
厚手の黒い臍上までのパンティーのようなものだ。
ブルマーとは言っていなかったように記憶している。
体育用ショーツだったかな?
うんと小さい頃、まだ男女の身体つきに差が無い年代ならば兎も角、少し女性らしい身体つきになってくると、あれって男の劣情をそそるものじゃないだろうか。
遡って小学生の頃は、真っ白な厚手木綿のトレーニングパンツ、いわゆる「トレパン」と、それを半ズボンにしただけの真っ白いショートパンツだったな。
どちらも伸びない生地なので、当然動きにフィットしない。
しかも汚れるものなのに真っ白というのは、どういう理由だったんだろう。
軍隊の名残りだったんだろうか。
近くの中学生を見ていると、膝丈より少しだけ短いジャージを着ている。
そういう丈のズボンだと、背が小さくて足が短いと何ともカッコ悪い。
だけど通学にも使っている子が多いので、家では洗えない制服を着るよりも、洗濯機でガラガラ洗えるジャージでの通学はきっと便利なんだろう。
あれが黒いブルマーでは通学になんか到底着用出来ない。
実は私が中学生の時、本当は禁止されていたジャージでの通学を私もしていた。
上は白いシャツに制服のブレザーを着ていて、下にはジャージを穿いていた。
女子生徒は、それが普通だったんだ。
制服のプリーツスカートなんて、ほぼ入学式と卒業式にしか穿かなかったよ。
高校生になると、通学で電車やバスにも乗るので、ちゃんとセーラー服の上下を着ていた。
だけど日帰りバス旅行の時、行き先が多摩テックだったからゴーカートにも乗るし、長時間バスのシートに座るとプリーツが皺になるから・・・という理由をつけて私服を許可して欲しいと学校側に陳情したのだ。
だけど結果として、ジーンズや私服は許可されなかった。
私達は頭に着て、抗議の気持ち半分、面白半分で、上はセーラー服、下はジャージという、凄くみっともない格好に決めたのだった。
決めたと言ってもうちのクラスだけの事だし、クラス全体で足並み揃えて・・・という訳にはいかなかった。
どこの世界にも、裏切り者は必ず出るのだ。
スト破りみたいなものだ。
ブレザーと違いセーラー服というのは、上着丈がウエストラインまでしかないので、ジャージのウエストゴム部分丸出しになる。
何とも滑稽な恰好だったけど、女子高で男子がいないから、きっと平気だったんだろうな。
今思い出しても、どうしてあんな事が平気で出来たのか解らないけど、うちのクラスはみんな変わっていた。
普段はオシャレな子ばかりなんだ。
何たってあの頃ってアイビー全盛期だったからね。
私はお金の掛かるアイビールックなんかしなかったし、完全独自路線のファッションだったけどね。
今と比べてずっと着る物、靴にお金を掛けていたよ。
親の金で・・・。
私の女子高では、制服の上に着る防寒コートだって校則では「華美でないもの」というだけの縛りだったのを良い事に、もう勝手気まま。
学校指定の紺色の地味な形のコートなんかそもそも無かった。
トレンチコートあり、ランチコートあり、スパニッシュコートあり、ドンキーコートあり・・・もう華美そのもの。
靴もコートも髪型も全くの自由で、これも「華美でないもの」としか規定されていなかったのだ。
お姫様カットのロングヘアの子が多かったな、朝丘めぐみのような。
そしてマッシュルームカットの子も多かった。
そういう時代。
靴の色も形も様々だった。
だけど叱られた子なんかいなかった。
なんでだろう・・・でも制服があっただけまだ「桐女」は保守的だったのかな。
「前女」は当時既に私服だったはずだから。
ちゃんと授業に出てそこそこの成績でありさえすれば、当時から進学校は男子校も女子高も自由な雰囲気だったんだ。
男子校なんかね、バンカラを気取る子は学生服の上に袢纏来て登校して来るのがいたよ。
勿論、ウケ狙いだったと思うけど。
全て、40年以上も昔の話。
可能性が年々少なくなる歳になると、未来の話をするよりも昔の話の方が気楽なんだな。
だから、つい思い出すと書いているんだな。
人生の終わりは近い。
昼間は忙しくしているので思い出さないけれど、丑三つ時に起きていると、昔の事を色々と、まざまざと思い出す。
父も母もいない今、もはや若くない姉妹で思い出を共有し直したい。
そんな思いもあるんだろうな。
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