2017年2月6日 月曜日 |
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良く晴れるが、午後からは北風が強くなる。
夕方になって買い物に行くと、外はとても寒かった。
こんな時、何度でも心の中で繰り返しては、ほんの少し安堵する。
この子らを保護出来て良かった。
家猫に出来た子たちが暖かく過ごせている事だけでも、私は生きる価値があるよなあ、幸せだなあ・・・と。
安堵していられない現実はたくさんあるけれど、精一杯出来る事はしているという自負と、自己弁護と、その向こう側に居座る無力感や絶望がせめぎ合って、言葉を失うしかなくなる。
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キジ丸 言葉を失った割には・・・
Feb. 6, 2017
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キジ丸 良く喋るよね
Feb. 6, 2017
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そんな意地悪言っちゃ駄目だよ、キジ丸。
君たちがもう外で凍えていないというだけでママは幸せなんだからさ、キジ丸も家の中で幸せに過ごせるよう協力してよ。
ナムもテトもアンタに近寄ったら猫パンチされちゃって・・・キジ丸は独りが良いの?
今も寒いけど、昔の冬はもっと寒かったような気がする。
小学校低学年の時、授業中に足の指先が悴んで(かじかんで)痛かったのを覚えている。
勿論、教室に石炭のストーブはあったけど、ストーブから遠い席はあまり暖かくなかったのだ。
だから少しでも公平になるようにとの配慮か、1週間ごとに机の列が移動した。
机ごと動くので、あれは面倒臭かった。
古い校舎は隙間風も入ったし、今のようなヒートテックだとかなんだとかの暖かい素材なんか無かったから、厚着をしていても寒かった。
昔の、直ぐに毛玉の出来るフィット感の少ない厚手の靴下は、履いていてもあまり暖かくなかった。
昔の木造校舎には断熱材なんか入っていなかっただろう。
私が入学した年に創立100年だか90年だかの(どちらだったか忘れた)、古い古い学校だった。
私は小学校を卒業すると同時に小学校が南北に分かれ、小学校だった校舎はそのまま中学校になった。
なので私は同じ学校に、9年間通ったんだ。
中学卒業間際に新校舎が完成して水洗トイレやパネル暖房器やサッシの窓になったけれど、それまでは渡り廊下を通って別棟に造られた汲み取り便所、暖房はダルマストーブ、窓も教室の扉も木枠の建具だった。
古い校舎はあちこち傷んでいて、廊下で体格の良い生徒が走ったりすると、信じられない事だけど床板が抜ける事もあった。
私の知る限りでは2度、そういう事故が起きた。
多分、軽く怪我もしたんじゃないかな。
今だったら親が学校の責任を問うて、大問題になるだろう。
私は雑巾がけがその頃から好きで、固く絞った雑巾で廊下を磨くとピカピカに黒光りして、遠くから見ると鏡のように人影が写って見えた。
なので、隣のクラスの廊下との境目をきっちり差をつけてピカピカに磨いたりした。
私が企んでみんなもノリが良くて、面白がってちゃんと協力してくれた。
かと思えば今度は隣のクラスと結託して、その隣の教室の廊下だけ残してピカピカにしたり・・・と、小学生の低学年の割には色々と企んで楽しんだ。
そうだ、掃除に関しては他にも色々思い出がある。
掃除が終わると担任を呼びに行って、来てチェックして貰うのだけど、掃除が始まるや否や一人に呼びに行かせる。
そして先生が来るまでの間に、超特急で集中して掃除をした。
どこか手抜きしていれば、早いだけで雑だと叱られるに決まっているから、そこは集中力と気合できっちりやるのだ。
「こんなに早く終わる訳ないだろう」と疑りながら職員室からやって来た先生を驚かせて、鼻を明かすのが楽しかったのだ。
でも、それって本当は学校側の思うツボだったのかな?
何だって遊びのネタになるのだ。
嫌々ダラダラと掃除なんかするよりも、そのルーティーンワークの中にバカバカしいような課題を見出し、面白がって楽しくやった方が良い。
みんなの団結力も増すし、何より掃除の時間が楽しかった。
あの頃から私は、雑用が好きになった。
そしてくだらない事を企画してみんなにやらせる事も好きになり、その後の人生でも色々と小さなイタズラを企て続けた。
集団だから出来た楽しみだった。
一人では為せなかった。
子供時代が懐かしいとしたら、その点だな。
あの時ほどの集中力と熱意を以て臨んだら、あの掃除班のメンバーはみんな大学受験だろうが仕事だろうが成功しただろうな。
だけどリーダーだった私からして大した大人になった訳ではないので、他のみんなも推して知るべしかな。
いや、失礼、大物になっている人もいるかも知れないね。
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