2017年2月27日 月曜日 |
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曇天で肌寒い。
冬に逆戻り。
まだ2月だもの、これが普通だよね。
昼間も薄暗いので、みんな寝てばかり。
そうでなくても、年寄りばかりで寝てばかりだけど・・・。
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ペリー 誰が年寄りだって?
Feb. 27, 2017
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ペリー 僕はいつだって少年よ
Feb. 27, 2017
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あら、ペリ君たら、そんな事言っても、君も白髪が増えているみたいよ。
でも体形は全然変わらないし、身体も引き締まっているし、確かにペリーは誰よりも若々しいよ。
相変わらず2階への階段を駆け上るのが好きだし、鳴き声は仔猫だし。
今日、アメリカではアカデミー賞の授賞式で、とんでもないハプニングがあったようだ。
見た事あるような無いような爺さんと婆さんが「アカデミー作品賞」のプレゼンターとして並んでいた。
封筒の中を見て戸惑った様子の爺さんだったが、その爺さんの腕に軽く触って、まるで「大丈夫よ、私が読み上げるわ」とでも言っているかのように微笑み、受賞作品名が書かれている紙切れを読み上げた婆さん。
低い落ち着いた声で「ラ・ラ・ランド」と読み上げたけれど、その紙は作品賞のものではなく、スタッフが間違えて渡してしまった主演女優賞のものだった。
しかし間違いが正されたのは、作品賞を獲ったと言われて壇上に上がり喜びのスピーチを始めてからだった。
何と言う不手際。
だけど私が驚いたのは、そんなハプニングに関してではない。
誰だろう、このしゃがれた声の婆さん、多分往年の女優なんだろうけど、知らないなあ・・・と思ったのに、その人は何とあのフェイ・ダナウェイだったのだ。
そして爺さんの方は、ウォーレン・ベイティであった。
【俺たちに明日はない】で共演していた二人。
当時のウォーレン・ベイティはギラギラしたプレイボーイだったし、フェィ・ダナウェイはふてぶてしいまでにクールな美女だった。
ああ、若くて素敵ですね。
流石、ハリウッドのスター。
今ではどちらもすっかり脂っ気も毒気も抜けて、優しそうな爺さん・婆さんになっていた。
時は過ぎた。
あの映画を観た頃の私だって、まだ小学生だったのだ。
もう半世紀近く昔の事なんだ。
【俺たちに明日はない】という映画は、公開当時ニューシネマとしてもてはやされ、カッコ良い映画の代表だった感があった。
だけどその後も何度か観るうちに、ちっとも面白く感じられないというのが正直な感想だった。
破滅の道を辿る物語や生き方には共感出来る部分が無い。
辛くなるばかりで嫌なのだ。
映画そのものは面白くても、ギャングに感情移入は出来ない。
まっとうに百姓でもして、貧しくとも心正しく平穏に暮らせないのか?と貧乏性な私は考えてしまう。
だから高倉健が出ていようと、任侠映画も楽しめないのだ。
子供の頃は「カッコいい!」で済んでいたのにな。
しかしこうちゃん曰く、この映画の価値は、のっけから流れるブルーグラスの音楽であると。
"Foggy Mountain Breakdown"と聞けば知る人ぞ知るブルーグラスの名曲。
ご存知ない方も、これを聴けば聞き覚えがあるはず。
見事な早弾き聴かせるのは、レスター・フラット&アール・フラッグス達の「フォギー・マウンテン・ボーイズ」だ。
古いTVドラマをご存知の方だったら【じゃじゃ馬億万長者】をご記憶だろう。
その主題曲を担当していたのがフォギー・マウンテン・ボーイズで、何話かのエピソードにも出演していたらしい(私は知らなかった)。
1968年にフォギー・マウンテン・ボーイズの来日公演があった時、こうちゃんは大学受験の直後で、ライブ(いや、当時はコンサートと言ったよな)に行けなかったのが心残りだったらしい。
私がブルーグラスの音楽を知ったのはこうちゃんと出会ってからの事だから、当時はそんな凄いミュージシャンたちの存在も何も知らず、11歳だからそろそろビートルズと出会うかどうかといった程度の頃だろう。
子供の頃は、7歳違うと享受する文化にも少しズレが出るね。
尤も、その後も私はそっち方面にアンテナが伸びる事が無く、プログレッシヴ・ロックへと傾倒してしまうのだけど。
出会ったのは遅かったけれど、知らずに死ぬより、思いがけず知る事が出来て良かったものの一つがブルーグラスだ。
アメリカの音楽は、ブルーグラスといいジャズといい、その音楽性の磨かれ方といい、テクニックといい、練れていて大人が楽しめるものが多いと思う。
今夜も夜中に、BSプレミアムでマイルス・デイビスの特集をやるのだけど、観られるかなあ・・・
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