2017年8月31日 木曜日 |
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昨日は暑い夏が戻ったと喜んだばかりなのに、昨夕のゲリラ豪雨から後も雨は夜通し降り続け、今朝にはすっかり涼しくなってしまっていた。
除湿はしているのでちょっと肌寒いんだけど、湿度が上がるのは色んな意味で耐えられない。
アレルギーが異常に酷くならなければ、目に見えないダニやカビなんか幾ら存在していようが構わないのだけれど・・・
害虫やカビが少ない寒冷地で暮らす方が良いのかな?
それはそれで辛そうだ。
寒冷地は豪雪地帯である事も多いので、湿度は高いだろう。
寒くて湿度が高いと、リウマチ持ちには辛いような気がするけどどうなのかな。
昔のイギリス文学などには、よく出て来た描写だよね、寒くてじめじめと雨が降る風土で、お婆さんのリウマチには堪える・・・とかナントカ。
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ペロ やっぱママってさ
Aug. 31 , 2017
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ペロ お婆さんなの?
Aug. 31 , 2017
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お黙り、ペロ君。
アンタですらもうお爺さんなんだから、ママがお婆さんにならない筈ないじゃん。
いいかい、ペロ君、ママの言う事を良くお聞き。
みんな平等に歳をとるんだよ。
君もテトも、ペリーだって、みんな子供のつもりのようだけどね。
確かに猫は歳をとっても仔猫のように可愛いけれど。
でも、ママだって若くて人並みに可愛い少女だった時代もあるし、赤ちゃんの頃はこんなに可愛かったんだぞ。
えっ、可愛くない?
しかも髪型が毛沢東に似ているですって?
な~んて失礼なんでしょ、ペロ君たら。
1歳で茶道のたしなみがあるなんて凄いね、ママは。
ちょっとお点前が違うような気もするけど・・・
お茶は、母方の祖母の家でお稽古していた。
未婚のまま生涯を送った叔母が、師範だった祖母の跡を継いでいて、私の先生だった。
母の企みなのか、叔母の意見だったのか、金曜と土曜の2日間、「倍稽古」していて、しかもずっと他の人のお点前を見続け、ラストに私の稽古だった。
お稽古の日はとても長時間要したけれど、なるほど今にして思うと、それは凄く勉強になっていたようだ。
結構、真剣に身を入れて稽古をしていて、最初は強制的にさせられていた稽古だったのに、やがて私はお茶(のお点前)が心から好きになっていた。
大学進学で稽古を辞めざるを得なかった時には、不本意だったし寂しかった。
私はずっと茶道を続けたかったので、小さな置き炉やお釜などを揃えてアパートにも持って行ったのだけど、叔母ほどの先生には出会えなかった。
しかも勉学(社会に出てからは仕事)と暮らしを営む諸々の家事に追われ、とてもお茶を点てる余裕など無かった。
そして長く働いているうちに、私はすっかり貧しいプロレタリアとなってしまい、茶道だ華道だと優雅なたしなみからはかけ離れてしまう。
少し余裕が出来た頃には、今度は野良猫との出会いがあり、今のような生活になっている。
お抹茶はたまに飲むけど、キッチンで立ったままガシャガシャと点てて、立ったまま飲むだけだ。
亡き母から貰った茶杓や茶碗、懐紙入れなどは宝物として大事に持ち続けているけど、使う事は無い。
私の先生だった叔母は、お茶にも華道にも並外れた才能のある人だったし、先代からのお道具類がたくさんあったので、様々なお点前が経験出来ると言って町の師範たちも習いに来ていた。
毎月家元のお茶会にも行き、地味だけど美しい所作は本当に見事だった。
この叔母について行こうと真剣に考えたものだ。
だけど、叔母は極めて性格が悪かった。
独特の毒があったと言うのかなあ・・・母や伯母ですらたまに泣くような思いをさせられていたし、私も若い頃は長年、叔母の夢を見てはうなされて目覚めたものだ。
ちょうど、こうちゃんが姑の夢を見てはうなされ続けているように。
現実では言い返せなかった悔しい思いというものは、目覚めている時は忘れているつもりでも、実は随分と長い年月、心の中に引きずるものなんだと知った。
でも、悔しかった思いも、長い年月を経るうちに少しずつ薄まっていく。
それは救いだな。
他者を許せないうちは、自分の心は決して救われないから。
「情けは人の為ならず」とは良く言ったものだ。
大切なものとの死別の悲しみも、時間と共に少しずつ薄まってくれると良い。
すっかり薄くなる前に、こちらも寿命が尽きてしまうだろうけど。
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夜廻り猫 1,2巻
著者:深谷かほる |
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