2018年4月6日 金曜日 |
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一日中強風が吹き荒れる。
まるで嵐。
昼間は風だけで済んでいたけど、夕方と、夜には本格的な雨。
夜は吹き降りで雨の音も凄かった。
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2015年のアンダ お外うるさいよ
Apr. 6 , 2017
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うん、嵐の日は嫌だねえ・・・
特に春の夜の嵐は、心がざわつく。
どうしてなんだろう、この胸騒ぎのような落ち着かなさを招くのは。
思うに、色んな春の情景を詠んだ歌とか、先人たちの春への想いに触れる度、それが頭に残って、独特のイメージを作り上げているのかも知れない。
読んだものの知識なんかザルのように一瞬で流れ去ってしまうようでいて、おそらく若干は残るのだろう。
ザルが濡れる程度には。
私は基本的に食べ物は残さない。
たとえ外食して不味くても、残さずに食べきるようにして生きて来た。
「生きて来た」とは大げさな言い方だが、そう言いたくなるのは、これはまさに生き方の美学の問題だと心していたからだ。
それは子供の頃、父に言われた事が身に沁みついているせいかも知れない。
父は「食べ物の事で文句を言うのは一番みっともない事だ。自分の子供にはそういう真似は許さない」と言っていた。
仕事人間で殆ど家におらず、子供たちとも滅多に顔を合わせる事などなかったくせに、たまの機会に食事を共にした時に厳しくそう言うのだった。
しかし母の作ってくれる食事で不味いものはなかった。
母は料理上手だった。
だから文句を言うとか、残すとか、物心ついてからはあり得ない行為だった。
母は自宅で華道を教えていて、会社帰りにお稽古にやって来る若いお弟子さんたちがお腹が空いているだろうと、同じく腹減らしの娘に食べさせるついでに夕飯を食べさせていた。
祖母の頃から、我が家は誰であれ人が来ればご飯を食べさせるのが当然の家だったのだ。
それは私の代にも受け継がれている。
母のお弟子さんたちは、「先生、これ美味しい、どうやって作るんですか?今度教えて下さい」などと毎回言ったらしく、それを真に受けた母は小さな料理教室を始める事にしたのだ。
母は、人に教えるからにはきちんと栄養学の勉強をしなくてはいけないと考え、女子栄養大学の通信教育なんかも受け、試験やレポートにも真面目に取り組んでいた様子を私は見ていた。
何しろ母は何でもかんでも学ぶ事が好きで、資格を取るのも好きだった。
何たって、真冬に行われた何日間にもわたるきつい講習だというのに、水難救助員の訓練まで受けた位なのだ。
あれはやり過ぎだと思ったけれど・・・。
父は料理を教え始めた母の為に、別棟にお教室を建ててやったりもした。
素晴らしい夫婦愛のように思えるが、やがて父は定年退職するや、その退職金を殆ど全て使って、自分の教える柔術の道場を建ててしまった。
母は料理の「お教室」も「道場」も、建てるのに反対していたが、そんな事を聞き入れる父ではない。
軍隊にも行った、戦前の教育を受けた昔の男だったのだ。
父の建てた(実際に建てたのは業者だが)母屋も道場も、重量鉄骨(H鋼)を使ったもので、造るのも壊すのも大変で、その辺も女たち(母や娘たち)に不評だった。
しかしお料理教室の方は、木造モルタル造りだったのではなかったかなあ。
つまり、ちょっとだけ安く造ったのね。
今ではそのお教室は近年妹が建て直して、立派な新築家屋になっている。
重量鉄骨で造らないでくれた事が、むしろ幸いしたかも知れないね。
料理教室に話を戻すと、お教室で教えた料理の幾つかは、育ち盛りの私たちが口を開けてピーピー鳴いて待っている巣、いや、母屋までお弟子さんが運んで来てくれた。
ある日、お弟子さんたちの作ったスープに塩味が無くて、私は「言って来る」と立ち上がろうとした。
すると、珍しく早く帰って来ていた父も一緒に食べていて、そのまま黙って食べろと怒ったのだ。
そして冒頭のセリフを言う訳だ。
食べ物の事で文句を言ったり、出されたものにケチをつけるのは一番みっともない。
幸い、私は食べ物に好き嫌いが殆ど無かったし、どうしても食べられないものなど無かった。
芽キャベツはあまり好きではなかったけど、そんなに頻繁に使われる素材ではない。
私が自炊するようになってからも、芽キャベツは買った事が無い。
キャベツは好きだけど、芽キャベツはイマイチ・・・。
しかし初めての食べ物だろうが、匂いやクセが強かろうと、食い意地と好奇心が勝って何でも食べたし、人の何倍もの量が食べられる強健な胃腸を親に与えられていた。
あと30歳若かったら、大食い選手権に出てもイイ線行けたろう。
だから父の教訓のお陰なのか、それともただの食いしん坊なのか、兎に角、食べ物を残すという事をしなかったし、残すのは恥かしいと思っていた。
愛する子を見送り悲しくて生きているのが辛い時も、インフルエンザで高熱の時も、親知らずを抜いた時も、扁桃腺が腫れて飲み込むのが痛くて堪らない時でも、食事はちゃんと摂っていた。
どんな時でも、しっかり食べて生きて来た自信だけはある。
なのに今日は、お金を払って注文した食べものを残してしまった。
買い出しに行った「APITA」のフードコートで、遅いお昼を先日も食べた「はなまるうどん」のメニューから食べたのだが、それが激しく不味かった。
先日のバイトの男の子が作った方が、同じものなのに美味しかった。
店長の男性が、客がその手順を見て気づいている事に気づいていないのか、手抜きをしていたのだ。
この店長はバイトの教育も手抜きだし、前回の不手際の際にも、客への態度がちょっと良くなかった。
まあ、その程度の店なのだろう。
抗議の意味も込めて、半分以上残した。
そして、もう2度と行かない。
安かろう悪かろう店にわざわざ行く事は無い。
しかし残してしまったせいで、買い物を続けているとお腹が空いて来た。
いい歳して健康な胃で困ったなあ。
予定していた買い物をしてからフードコートに戻り、テラスに出た。
「ポンパドウル」で買ったばかりの焼きたてのパンと、スーパーで買ったキンキンに冷えているアルコールゼロの缶チューハイを飲んだ。
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フードコートの外のテラス Apr. 6 , 2017
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焼きたてのパンというのは、大好きな「クロワッサン・オ・ザマンド」だ。
詳しい作り方など知らないけれど、クロワッサンをペシャンコにしてアーモンドクリームをたっぷりのせて(はさんで?)焼き直したような、やや甘い、こってりとバターの効いた菓子パンだ。
どっしりと重たい。
外側はたっぷり溢れたアーモンドクリームが縁にたっぷりと帽子のつばのように広がっており、香ばしく焦げてカリッとしている。
内側はシロップでもしみこませているのか、湿った感じで柔らかく、クロワッサンのようにサクサクした感触はない。
そして上にはアーモンドスライスと粉砂糖が掛けてある。
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クロワッサン・オ・ザマンド Apr. 6 , 2017
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糖質とバター、アーモンドクリームにスライスアーモンド・・・ときたら。これはもう不味いはずがない。
今日は焼きたてで、特に美味しかった。
以前よく行っていたパン屋でも、クロワッサンの加工品としてこの「クロワッサン・オ・ザマンド」を作っていたのを思い出した。
今後は安くて不味いうどんなんか食べず、1階のスーパーやパン屋で買い求めた何かをフードコートで食べる方が良いね・・・と話していた。
今日は風が強く、雨も降っていたので少し肌寒かったけれど、陽気の良い季節にはテラス席もいいな。
今日は平日でランチタイムを大きく外れていたせいかガラガラでした。
ところで父に繰り返し教えられた事は、先述の食べる事に関しての心構えと、あともうひとつあった。
「あれかこれかの選択に迷った時は、美的な選択をせずに倫理的な選択をしろ」という事だ。
キェルケゴールか誰かの言葉を引用していたらしい。
しかし若い頃の私は、こちらはあまり守れなかった。
いつも美的な選択をしてしまっていたと思う。
そして色々と失敗を繰り返し、お陰で歳をとった今になってから、若い頃の分までも辛抱しなければならない事が多い。
全て自分のして来た事は、自分に戻るものなのだろう。
ま、それも世間知らずで我儘だった自分にとっての「辛抱」や「苦労」であり、大した事では無いのだ。
命までは取られやしない。
いつかはちゃんと取られてしまうのだろうが、兎に角、今日も無事に生き延びた。
そして今日も美味しく食べられて、なんと幸せな事よ。
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夜廻り猫 1,2巻(3巻も出てるよ)
著者:深谷かほる |
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