2018年6月5月 火曜日 |
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蒸し暑い。
午後の予約で、通院。
昨年のような虫刺されは今のところ無いけれど、顔の輪郭や首に出ている原因不明の皮膚炎が痒くて堪らないと訴える。
前回疑わしいとされたカビが原因の脂漏性皮膚炎ではなく、やはりアレルギーではないかと言われ、パッチテストを提案された。
しかし夏場の汗ばむ季節にパッチテストは厳しいので、秋になって涼しくなってからにしようと、いつもの薬を処方して貰う。
今、疑われているのは毛染めの成分だ。
滅多に染めないのだけれど、額の生え際だけ時々白髪染めをしている。
こんなにしつこくいつまでもポツポツと腫れて痒いものだろうか。
私はエアコンの風の吹き出し口から、カビがばら撒かれているのではないかと疑っている。
エアコンを使い始めてから、特に酷くなったのだ。
フィルタの洗浄だけでなく、届く範囲は出来る限り掃除しているんだけど、エアコンを完全に掃除する事は不可能だ。
たとえ業者に依頼してもね。
そして栗の花の季節に、毎年このような痒みが同じ部位に出る。
もう何が原因か解らないよ。
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2014年のカイル 僕なんか疥癬だったし
Jun. 5 , 2017
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そうだね、カイルは本当に頑張った。
あまりにひどい全身の疥癬で、エサも食べられずに痩せ細っていたね。
捕獲出来て本当に良かった。
その後も色々あったけど、家猫として死なせてやれて良かった。
タマちゃん大好きで、ベタベタ仲良しで楽しかったね。
カイルもトムも、ギリギリ手遅れにならないで良かった。
それでも悔いるものが無いとは言えない。
悔いばかりの人生だな。
今日も過去のTV番組のアーカイブを見ての話題。
夜中しかちゃんとテレビが見られないので、いつもプレミアム・アーカイブスには期待している。
【忘れられし王妃~イラン革命30年 ふたりの女性の人生の空白~】
イラン革命で亡命した元王妃と、同じく革命がきっかけで国を追われた女性映画監督のドキュメンタリーだ。
革命によってイランを追われた立場のファラ・パーレビ元王妃と、共産主義で革命推進派だったナヒード・ペーション・サルベスターニー。
革命時には敵対する立場同士でもあり、しかし同様に愛する祖国を追われたこの2人の女性が、ドキュメンタリー映画を作る目的で何度も行動を共にし、愛する祖国と人生を語り合う。
王政の時に言論の自由がなく、弾圧された人々が大勢いた事は事実でも、革命後の体制下でも更に強い弾圧があった事もまた現実だ。
だからこそ革命派であったナヒードの弟は処刑され、王政反対の立場だった彼女も亡命せざるを得なかった。
革命後30年が経過しても、いまだ王政時代の責任を追求して公式に詫びさせよう、あるいは亡き夫(パーレビ元国王)を悪く言わせようとする人たちもいる。
そんな場面に於いても、元王妃は冷静に受け答えする。
かと思えば、王政復古を願ってファラを「陛下」と呼び、支持し続けようといるイラン人も世界中に沢山いるのだ。
ファラ元王妃は、イランの子供たちを救済する為のチャリティ活動にも熱心で、若い映画監督が疲労困憊していても、元気に笑顔で役目を果たし続ける。
そのバイタリティの源は、おそらく「国母」である(あった?)という自負と誇り、そして母国への愛なのだ。
たとえ政情によって国にいられなくても、そのモチベーションは目減りするどころか、一層強まるであろうことは想像に難くない。
パーレビ国王が死去した時、まだ41歳だった美しい元王妃。
30年が経った今も、支援者や社交界に於いては常に注目されている存在で、変わらない美しさと威厳を見せている。
亡命生活であるとは言え、一般庶民の生活とはかけ離れたゴージャスな暮らしぶりに見える。
そんな元王妃に、女性映画監督ナヒードは下世話な事をしつこく聞く。
パーレビ元国王が他の女性と浮気した事はないかとか、喧嘩して怒鳴った事はないのかとか。
更には、未亡人になって長年経つけれど、他の男性にプロポーズされた事はないかとも聞いていた。
すると元王妃は、こちらがそういうそぶりを見せなければ、誰もそんな事は切り出さないものだと穏やかに、しかし毅然と言った。
そう、これこそが自分がどうあるべきかをわきまえて常に自制しようとする人間の誇りと威厳、品性ではないか。
「言い寄られた事も(それすらないですか)?」まだ食い下がるナヒード。
「させやしないわ」元王妃は優雅に微笑み、毅然として答えていた。
存命中、国王には他の女性がいなかったのかという事も知りたいらしい。
しかしファラ王妃は、国王がもし仮に浮気していたとしても、それで王が幸せなのであれば良いと言う。
制御された言葉からは、王妃の内面の葛藤の有無までは窺い知れない。
人は表された内面と、外に見える言動によって判断されるものなのだ。
しかしインタビュアーは、総じて相手の心に潜んでいる(のではないかと嫌らしくも期待している)弱さや狡さ、不道徳な本音や泣き言を引き出したがる。
それを人々は三文ドラマとして面白がる。
あまり嬉しい事実ではないけれど、特に日本人は判官贔屓の傾向が強く、可哀想な人が好きなようだ。
人の不幸が好きなようにすら思える。
そして素直に謝り、強い立場の者に攻められている人へのシンパシィを持つのだ。
勿論、それは日本に限らない、万国共通の一般庶民の感情であり、物見高さ、立場の違う人間への不寛容さに由来しているような気もする。
そうではあるのだけど、そういう庶民感情を利用して人心を掴まなくても良いと考える人もいるのではないか。
つまり同情や哀れみからではなく、立場や価値観が違っても尊重し合える人間同士でありたいと考え、あくまでも理想を追求しようと出来る人もいるのだ。
おそらくエリザベス女王などもそういう信念を貫いているように思える。
だからどんなに傷ついて不幸な状況にあろうが、理不尽に傷つけられた現実が存在していようが、自分がどうありたいかという確固たるイメージを持ち、その為にどう振る舞うかを自分に律する事の出来る人を私は素晴らしいと思う。
「でもあの人は強いから・・・」などという言葉で片付けて、自分はそんなに強くはないので、とてもあんな風には生きられないわ・・・と言い訳してばかりではいけない。
勘違いしてはダメだ。
強いからではなく、強くありたいと願うからこそ、強く振る舞うのだ。
ファラ・パーレビの言葉のひとつひとつからは、元王妃としての、そして現在も自分が果たさなければならない(と信ずる)役割を果たそうとしている揺るぎない自覚とプライドを感じる。
更にそれだけでない、妻として、母親としての深い愛も抑えた表現の中に感じた。
王妃となる運命だった事、経済的に恵まれた人生を送れる事は、ファラの罪ではないのに、王政を否定する人間たちは、それすらも許さないように見える。
王政反対の立場で革命派だったこの女性監督ナヒードの家庭環境は、王政時代には大変貧しくて、贅沢な暮らしをしている王家の人間が羨ましく、むしろ王家を憎んですらいたようだ。
貧しい生活で余裕のない心は、自分の事しか考えられなくさせる。
そして他人の気高い振る舞いは認めず、可能な限り魂をも引きずり降ろそうとしたがるようだ。
表現者(映画監督)ナヒードのインタビューは、正直言ってあまり感心する部分は存在しなかった。
同じイランという故国を追われた2人、その2人の立場の違いがセンセーショナルであったり、興味本位な覗き見趣味までも元王妃は許して語っていた。
皮肉にも、そのお陰でむしろファラ元王妃の心優しい部分や高潔な人間性、そして自制心ある人間だけが発する事の出来る魅力を引き出す結果にはなっていた。
だとしたら、この取材は成功しているのかも知れないけれど。
立場の違い、主義主張の違いはあれど、ある意味に於いて人間は全て平等に作られている。
何故ならば、一人一人の人間の一生に降り掛かる個人的な不幸、つまり愛するものの死という哀しみには、人種や貧富、時代の違いなど無いのだから。
亡命後まもなく、夫であるパーレビ元国王は失意のうちに死に、その後ロンドンで暮らしていた娘は長年の心の苦しみの末に自殺している。
この番組の撮られた2年後、アメリカで暮らしていた次男も銃で自殺。
王政下では軍人でもあり、王妃の父親であったという理由から、革命直後にその父の墓石からは名前を削り取られたとも語られた。
数々の苦難と不幸に見舞われた人生を、淡々と語る元王妃。
娘が亡くなった思い出を墓の前で語った時だけは涙を見せ、ハンカチで洟をかんでいた。
見終えた後、ファラ・パーレビという人の素晴らしさに感服した。
死んだ人にムチ打つようで気の毒ではあるけれど、原因がどうであれ離婚前から男漁りを繰り返していたという某国の元皇太子妃とは、随分と精神構造が違うようだと思わざるを得ない。
ファラ・パーレビ元王妃は、今も健在でパリに暮らしている。
ウェブサイトもある。
いつまでもお元気で、そして人としての素晴らしいお手本を見せて戴いて有り難うございましたと伝えたい位だ。
彼女の哀しみは、誰にどう親身になられようが、この先も癒えるようなものではないだろう。
それは私には私の哀しみや重荷があるのと同じ事。
誰もが皆、自分で自分の人生を背負い、あらゆる宿命をじっと受け入れて生きるしかないのだ。
番組を最後まで見て、救いに感じたのは、ナヒードは相変わらず王政には反対であるものの、元王妃を人としてどんどん好きになっているという事実だ。
そして、どちらも故国を愛し、いつか帰りたいと願っている。
私も、いつか故郷に帰りたいけれど・・・
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夜廻り猫 1,2巻(3巻も出てるよ)
著者:深谷かほる |
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