2018年6月25日 月曜日 |
|
暑くなる。
梅雨が明けたかのようだ。
昨夜は結局、サッカーを最後まで観てしまったら、頭が興奮してなかなか眠れず。
日本全国、今日は寝不足だろう。
|
2014年のアンダ 夜更かしばっかりして
Jun. 25, 2017
|
ホントだね、ごめんね。
でもサッカーが終わらないうちに、ウィンブルドン・テニスも始まるよ、困ったねえ。
それにしても、本田、ホントに良かったね。
3大会連続ゴール、おめでとう、流石です。
ゴールを決めた後、本田は天を仰いだ。
その本田の姿を見た瞬間、「Somebody Up There Likes Me」というフレーズを思い出した。
映画【傷だらけの栄光】で、主人公ロッキー・グラジアーノ(ポール・ニューマン)がラストシーンで言う台詞であり、この作品の原題でもある。
【傷だらけの栄光】とは、1956年に作られた、1940年代に人気を誇ったボクシング世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラジアノの伝記映画だ。
監督はロバート・ワイズ。
【サウンド・オヴ・ミュージツク】や【ウェストサイド物語】で、2度のアカデミー監督賞を受賞している映画監督と言えばお解りかと思う。
余談だが、この「ロッキー・グラジアーノ」は、1970年代に作られたシルベスター・スタローン主演の映画【ロッキー】のモデルという訳ではないようだ。
スタローンの【ロッキー】では、主役のロッキー・バルボアの部屋の壁には、憧れの無敗のヘビー級チャンピオン「ロッキー・マルシアーノ」のポスターが貼られていた。
そしてマルシアーノがモデルだとも言われていた。
だけどまあ、この大ヒット映【ロッキー】のロッキー・バルボアは、あくまでも架空のボクサーである。
【傷だらけの栄光】が伝記映画であるのとは、少し意味合いが違うのだ。
そして言うまでもなく「ロッキー・グラジアーノ」と「ロッキー・マルシアーノ」とは別のボクサーである。
ロッキー・グラジアーノが後年、王座に返り咲きを狙って挑戦した当時のチャンピオン「シュガー・レイ・ロビンソン」と、私と同世代のチャンピオン「シュガー・レイ・レナード」もまた別のボクサーだ。
似た名前が多くて紛らわしいったらありゃしない。
でも、シュガー・レイ・レナードの「シュガー・レイ」は、憧れのチャンピオンだったシュガー・レイ・ロビンソンにあやかって付けたリング・ネームだという事は知られている。
それにしても、ロッキー・グラジアーノの生い立ちは、その後のロッキー・マルシアーノや映画のロッキー・バルボアよりも遥かに波乱に富み、ドラマチックである。
それはどうぞ、映画でご確認下さい。
うちの夫はゴルフや陸上も好きだけどボクシングも好きで(自分ではやらないし、興行にも当然関係ないけどね)、過去のボクサーについていつも語ってくれる。
この「生き字引き」がいなくなってしまったら(つまり死んでしまったら)、私は甚だ心許ない。
まあその頃まで私が生きていれば、きっと私もボケてしまっており、ウェブサイトなどやめているだろうけど。
「Somebody Up There Likes Me」の「Somebody Up There」、つまり「空の上の方に居る誰か」という事だから、おそらく神様の事だろうと思う。
イタリア系だしね。
つまり、ロッキーはきっとこう言いたいのだと解釈する。
これまでさんざん色んな辛酸を舐めて来たし、ろくでもない少年時代を過ごしたけど、今こうやってチャンピオンになり、人々にもこんなに歓迎されているなんて・・・
きっと神様が俺の事を見捨てずに愛していてくれたという事なんだな・・・と。
そう言ったロッキーに、ずっと彼を支え続けた妻のノーマ(ピア・アンジェリ)は言う。
「Somebody down here too.(地上にいる誰かもよ)」と。
言わずもがなだけど、つまり「私だってあなたを愛しているわよ」という事だ。
このポスターの絵は、まさにそう言っているシーンを切り取ったものだ。
洒落たセリフの掛け合いが多かったよね、昔の映画は。
因みに、【傷だらけの栄光】はポール・ニューマンにとっての出世作であった。
その前にも【銀の盃】で主演しているものの、あまり評価された作品ではなかった。
【傷だらけの栄光】は当初、ジェームズ・ディーンの主演が決定していたものの、彼の急逝によりポール・ニューマンが抜擢されたというのは有名な話だ。
そして妻役のピア・アンジェリは、その死んだジェームス・ディーンのかつての恋人であり、彼女にふられた事が不幸な事故を招いたのでは・・・とも言われたものだが、同乗者もいたのだし、そんなのはただの邪推だろう。
などと知ったような事を言っても、この【傷だらけの栄光】は、私が生まれる1年前の作品なのだ。
しかし中学時代にはポール・ニューマンが好きで、その出演映画は全て観られる限りを観尽くしたし、様々な映画雑誌で得られる情報は余さず収集していた。
だから、この程度の裏話は知っていて当然の基礎情報だった。
そうでした、そうでした、恥ずかしながら中学生の私はポール・ニューマン大好きで、当時まだ日本では一般にブレイクしておらず、情報収集にはとても苦労したんだ。
やがて【明日に向かって撃て】とか【スティング】が封切られ、すっかり誰でも知るようになったけれど、70年代の初め頃にはちょうど端境期で、日本で封切られるポール・ニューマンの映画などなかったのだ。
そのせいか、映画雑誌にもポール・ニューマンのグラビア写真など全く載らなかった。
けれど、くまなく後ろの方の細かい文字だけのページを見ていると、テレビで昼間に放送予定されている洋画の番組一覧に、ボツリポツリと主演映画が予定されているのを発見出来た。
そんな時は学校を仮病で早退し、家でテレビを観た。
午後のロードショウ・・・などと言ったかどうか、兎に角、昼間の「こんな時間に誰が見るん?」と言いたくなるような時間帯の洋画の番組枠だった。
私は中学校では優等生だったので、早退したいと言えば全く問題なく受け入れられて早退出来ていた。
だってそうしないと、古い映画を観られる機会は失われてしまうのだから、仕方ないよね。
当時のテレビの洋画劇場でも古い映画はたくさん放送していたけれど、それはジョン・ウェィンやゲイリー・クーパー、ジェームズ・スチュアートなどの有名どころの作品ばかりであった。
当時、ポール・ニューマンはちょっとアクというか個性の強い、アウトサイダー的存在であった。
だからなのか、当時のテレビで出演作品を観られる機会は極めて少なかった。
尤も、初めて見たのが【熱いトタン屋根の猫】で、それはテレビの洋画劇場であったのだから、全くゼロという訳ではなかったけれど。
その1作でガツンと来た、中学生の幼い憧れ、発達途上の精神構造。
中学生の頃の、ありがちな屈折した心と、斜に構えてものを見ていた精神状態に、ポール・ニューマンの古い時代の作品のキャラクターはとてもフィットしたのだろう。
そのうち私も大人になり、ひねくれた根性や斜に構えた人が嫌いになって来る。
そして太陽の申し子のような、正々堂々として、あっけらかんとした精神に惹かれるようになる。
するとポール・ニューマンは自分の未熟さや恥部を思い出させるようで、嫌になってしまったのだから、なんとゲンキンな。
今だって、【熱いトタン屋根の猫】でポール・ニューマンの演じていた役柄よりは、その父親の方がずっと男らしく、強くて好ましく感じる。
とは言え、【傷だらけの栄光】は、中学生だった私の思い出の映画のひとつだし、有名なあのセリフは、その後45年以上もずっと頭の中に生きていた。
Somebody Up There Likes Me.
Somebody down here too.
無責任なバッシングが多かった中、本田は短時間で見事にゴールを決めてみせた。
そして天を仰いだ。
きっと天にいる誰かが本田を好きなんだ。
それは神様かも知れないし、地上にいる愛する誰かかも知れないけれど、その誰かに感謝を捧げたのかも知れない。
本田の姿は感動的ですらあった。
私も日々、ロッキー・グラジアーノと同じ事を感じる。
でも口にするとしたら、有り難うございます・・・かな。
天の誰かにも、地上の誰かにも。
|
|
夜廻り猫 1,2巻(3巻も出てるよ)
著者:深谷かほる |
|
|
|
|
|
|
|
|