2017年 CAT'S EYES & CAT'S HANDS 
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2018年7月21日 土曜日



あづい~。

なかなか体調が戻らず、昨日などはお迎えが来ているのかと思ったけれど、それは錯覚だった。

今朝・・・と言っても午前3時頃の事だが、起きると少し胸の苦しさが少し軽くなっていたような・・・。

でも調子づいていきなり色々頑張ってぶり返しては怖いので、もう少しだけおとなしくしている事にする。





暑いので、ここ数日、料理は夜明け前にしている。

今朝はポテトサラダをたくさん作り、冷蔵庫へ。

そして先ずは朝ごはんで食べる。

朝ごはん    Jul. 21  2017


ポテトサラダは撮影用に少しだけ盛ったが、あとでごっそり盛るのだ。

あとはアイスティとマフィン、バターとジャムとヨーグルト、缶入り野菜ジュースを半分こする。

それだけでは何となくお腹がもの足りず、トルティーヤチップスなんかも食べる。

早起きはお腹が空くのだ。


昼は、仕方ないのでスパゲッティだけ茹でるが、あとは火を使わず。

トマトとフレッシュバジルたっぷりの冷製パスタ。

トマトの冷たいスパゲッティ
Jul. 21  2017


ツナと塩コショウ、オリーブオイルはちょっと良いものを使う。

美味しい。

トマトって旨味成分が多くて凄い食べ物だ。


ああ、ステーキが食べたい。

よし、牛の挽肉でステーキを作ろう。

ステーキ用にニンニク醤油を作っておこう。



うな重が食べたい。

でも、バカ高い鰻なんか食べてはいけない。

みんなが食べたがるから、余計に大量に必要とされて、相場が上がるのだ。

誰も買わなくなれば安くなるのが市場の原理だ。

でも美味しいよね、鰻の蒲焼。



今夜は何を食べようか。


例年にも増して、今年は熱中症で死亡する人が多い。

例年の如くお年寄りの熱中症が多いようだけど、今年目立つのは子供たちの熱中症だ。



つい先日も、猛暑の中での屋外授業の後で小学1年生の男の子が死亡したというニュースを聞いた。

どうしてこんな暑い時に、わざわざ外に出掛けるのか。



こんな時期に体育祭までしている学校もあるのか、後片付けしていて集団で熱中症で倒れ、救急搬送されたなどというニュースも聞く。

これでは、生徒たちは被害者だ。

全ての教室に直ぐには冷房完備出来ないのであれば、この異常な暑さは非常事態と考えて、一定以上の気温が予報される日は思い切って休校にすべきではないか。







昔は今ほどは暑くなかった。

それは確かだ。

年に何日も32度なんて日は無かった。

30度で充分に暑い日だったのだ。



教室にクーラーなんか勿論無かった。

教室には扇風機すら無かったのだから。



体育の直後の授業は流石に暑くて、女子高は男子がいないから気兼ねなく、スカートの中を下敷きでバタバタ扇いで涼んだ。



今とは違い、小中学校の体育の授業でも中学生のクラブ活動でも、運動中には水を飲ませないのが普通の指導だった。

しかしクラブ活動では、先輩は1年生に氷を買って来させて大きなヤカンに氷水を作っておき、自分たちだけで飲んでいた。

1年生は水道の水を飲むのだ。

それが伝統と言うか、特に不平等だとか、虐めだとか考える事もなく、当たり前になっていたのだ。



当時のクラブ活動には、軍隊のような確固たる上下関係が存在していた。

そういう差別が理不尽だなんて主張したり、考える事すら許されないような暗黙のルールが出来上がっていたよ、日本全国どこでも。

なんたって集団に於ける美しい規律を維持する為には、武士道精神もどきの痩せ我慢が求められ、忍耐強い事こそが美徳とされていたのだ。

企業に於いてだって、滅私奉公が求められていたよ、つい最近まで。



中学校では、教師による体罰もあった。

そして、それが大騒ぎになるような事も無かった。

勿論、怪我をさせる程の体罰ではなかったし。



運動会とその練習では、強制的に裸足にならされた。

校庭にはバラス(バラストとも言う、小石や砂礫の事)が撒かれていたので、運動会近くになると、全校生徒でそのバラスを拾わされた。

生徒たちが裸足で走るのに痛いからだ。



みんなで拾ったバラスは、1か所にまとめて積み上げておいたと記憶しているので、きっと運動会の後でまた撒くのだろう。

何故ならば、バラスを撒く目的というのは、おそらく校庭が雨でひどく泥濘まないようにという事ではなかったか。



幾ら拾ったところで、完璧にバラスが校庭からゼロになる訳ではないので、それでも裸足で走ると痛くて痛くて堪らなかった。

時々は足の裏に小さな怪我もした。

しかしそれを担任の教師に申告したりすると、私が外で遊ぶ事が少ないせいで、足の裏が鍛えられていないのだとみんなの前で笑い者にした。



みんな程には外で遊ばなかったのは事実だけど、だからと言って、そういう私を批判した教師に今頃になって腹が立つ。

色んな子供がいても良いじゃないか。



その担任の教師は、私がピアノを習っている事も露骨に批判した。

授業中に、私の指が机の下でこっそりエア・ピアノを弾いていると指摘して、授業中に繰り返し批判した事もあった。

正直に言えば、時々弾いていたと思う、エア・ピアノ。

でも弾いていない時も、ちょっと指が動いただけで指摘されるのだ、「ほらまた弾いているだろう」と。

私は子供の頃は生真面目で「いい子」だったし、授業は先生の言葉を一言だって聞き漏らさずきちんと聞いていた。

そして成績は、小中学校では学年で1番良かったよ、高校からはダメだったけど。



事実として外でろくに遊ばず、足の裏のふやけたもやしっ子だったかも知れないけれど、それでもいざ走れば徒競争ではいつも1~2番だった。

足の裏の皮膚が薄くても仕方ないじゃん。

外で遊びたくもないのに、どうして全ての子供が外で遊ぶ事の方が正しいと決めつけるのかと聞いてみたい。



でも当時は子供で何も言えなかったし、自分の皮膚の弱さが悪いのだと恥じもしたよ。

だからと言って、無理をしてでも外でパラパラ遊ぶ子供にはなれなかったんだから仕方ないじゃん。





夏休み明けの始業日には、あまり日焼けしていない事も、その教師には責められたっけ。

外で遊ばない事は、まるで「悪行」として教室で真っ先に断罪されるのが私だったのだ。

コンプレックスと偏見の強い教師には異端は絶対に認められず、私はきっと「魔女裁判」にかけられていたのだろう。

だけどその時には何も解らなかった。

マイノリティであるという事は、ああいう教師にとっては絶対悪だったのだ。



でも私は悪い事を考えたりしたりする子供でもなければ、特に一般から大きくかけ離れた異端者でもなく、ましてや魔女でもなかった。

誰もが個々の人格や未来への可能性、ささやかな能力や隠せない個性を尊重され認められるべきであるのと同様に、私だって私の能力や個性を否定される必要はなかったはずなのだ。

私がたとえその教師の好むタイプの子供ではなかったとしても、事ある毎に全否定されたり、他の生徒たちの前で生贄の羊にされる必要はなかったのだ。

今ならそれがはっきり解る。

でも子供の時には、何が不当な評価であるのかなんて解らなかったよ。





しかし幸いにも私は、自分に向けられている他人の意地悪な心や悪意に対して鈍かったのか、さほど傷ついてもいなかった。

あれで泣いたり落ち込んだり、登校拒否になったり、その先生を嫌ったり拒絶したりする事もなかった。

今にして思えば、ちょっと鈍感でおめでたい子供だったんだな。



そもそも成績は良かったし、ピアノも本当に好きだったから、私は毎日が忙しくて楽しかった。

結構満たされていたんだろうと思う。

だから担任に繰り返し否定されようと、あまり苦にしていなかったんだと思う。

今だからこそ、子供の頃の自分をちょっと気の毒に思えているだけなのだ。






勿論、私の個性や能力の芽生えを認め、伸ばそうとしてくれた担任教師もいたし、私を気に入ってくれる先生だっていた。

けれど小学3年生の時の担任は、ほぼ私を全否定していたよな、露骨に。



当時のあの男性教師は30歳そこそこだった。

私は9歳で、30歳の教師は大人で、しかも偉い人だったんだ。



今の私の年齢は、とうにあの教師の歳を超えた。

超えたどころか、私の息子でもおかしくない歳だ。

教師とて不完全な人間なのだし、あの年齢ではまだ子供だったのだと許してやりたい気もする。



しかし、私が大人になって色んなものが見えて来たからこそ、ああいう教師に腹が立つのも事実だ。

ああいう軍隊式の教育を平気でする教師が、まだいっぱいいたのだ、当時の公立学校には。


私にたくさんの可能性と機会を与えてくれた母には、いくら感謝しても足りない。

しかし、母にこれだけは文句を言いたい。

どうして田舎に嫁いで、私を公立の小中学校に行かせたのかと。

お陰で私は不必要なコンプレックスを抱く羽目になり、「出来ないフリ」をしてみたり、わざと失敗して平均的なイメージに隠れようとしていたよ。

目立たない事が美徳、根性と忍耐こそが求められる集団の中では、目立って嫌われない事が子供だった頃には必要と思えたのだ。



気が弱いから、そこから逃げ出したり、拒否したりする事など考えも及ばなかった。

従順に、教師の押し付ける指導に従いつつ、良い成績をとる事が私の仕事だったのだ。

本当はもっと違う個性を伸ばせたかも知れないのに、もう今更、まったくもって遅過ぎるよ。



高校生になると、選択の余地のない公立小中学校とは違ってはっきりとヒエラルキが進路に表れたから、もっとずっと楽になったけれど、それでも今だって本当は目立たないでひっそりと生きる方が、何かと楽なはずだ。

企業に居ても、町内会にあっても、ネット社会でもね。




しかし母など、もっと遥かにお嬢さん育ちだった人なのに、戦中の事でもあり、雪の積もった校庭を裸足で薙刀の訓練をさせられたと言っていたからなあ・・・

やっぱり私が普通と比べてヤワだったのだろうな、あの時代の小学生としては。



なにしろ私、子供の頃から身体が固くて、マット運動と鉄棒が凄く苦手だった。

だけど駆けっこは速かったし、跳び箱はクラスで1番高いのが跳べたし、球技はドッヂボール以外なら全般に得意だった。

だから運動や体育の授業が嫌いという訳でもなかったし、先生にどうして否定ばかりされるのか理解出来なかった。

鉄棒出来ない子がいてもいいじゃん、ドッヂボール苦手でもいいでしょ?


しかし今頃になって、つくづく悔しい。

あの教師は、熱血教師で話も面白く、生徒たちに人気があった。

だからと言って、集中砲火を浴びせなくても良かろう、悪い事をしていた訳でもない私に。

嫌いだったんだろうな、線の細い、エキセントリックな子供は。



あれからもう半世紀。

昔の事で怒っても仕方ないけど、いったいどれだけ進化したのだろう、学校と言う場所は。



今、子供たちに猛暑の中、課外活動させて熱中症にさせてしまうような学校の現場は間違っていないのか。

いい加減、日本的マゾヒスティックな忍耐の精神を教えるのはやめて欲しい。



直ぐに何でも投げ出すような飽きっぽさや、自分探しと称して地味で単調な労働に耐えられないような大人になっては困る。

誰が困るって、自分が一番困る。

だから我慢強さは当然大事だし、何でもかんでも自分の望むままに、勝手に我儘にすれば良いと言っているんじゃないんだ。

その時々に求められる労働や教育がちゃんと継続出来る為には、忍耐や努力、克己心や不屈の精神力、そして一定の基礎体力は求められるのだ。



しかし、命がけで我慢するような価値のある事は殆ど無い。

水も飲ませて貰えずに運動したり、酷暑の中を課外授業に出掛けさせられたりするのは、これはもう暴力と変わりない。

日本の夏は厳しいのだから、夏休みをもっと長く設定しても良いんじゃないの?



※7月18日まで戻ります
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