2018年7月26日 木曜日 |
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今朝も暑さはマシで、キッチンでの立ち食いが楽だった。
いつもは冷たいものを食べていようが、キッチンが耐え難く暑いのだ。
煮物、揚げ物などしたら地獄よ。
でも食べたいものは作らないとね。
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2014年のレン なんでも好きな物を食べなよ
Jul. 26 2017
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有り難う、レン君。
でも好きな物を食べる為には作らないとダメだっていう話なのよ。
レン君は女性に優しかったね・・・いや、今でも天国でジニーたんやシャインに優しくてモテモテなんでしょうね。
男は優しくなくちゃ。
誰に教わったの?
ぶーちゃん?
でもぶーちゃんは、野良時代、ラボの庭でみーちゃんを追い回していたんだ。
だから、捕まらないみーちゃんではなく、先に簡単に捕まったぶーちゃんを保護したんだよ。
結果的には、どちらもうちの子に出来てホッとした。
あれから随分と年月が経ってしまった。
時間の経つ早さには、いつも愕然とするね。
アンケートで、バスタオルはどれくらいの頻度で洗うかという質問を受けた。
うちは子供もいないし、夫は漂白してあるような人で汗と脂で臭いオッサンではないのだけれど、使ったら毎回、しかも翌日ではなく直ぐに洗う。
しかし実は、厳密な商品分類で言うところの「バスタオル」は、もう20年以上使っていないのだ。
入浴後には少し厚めで長いスポーツタオルをそれぞれが1枚ずつ使う。
そして入浴後、どんなに時間が遅くても直後に使ったタオルや着替えたものを洗濯してしまう。
使ったタオルを湿ったまま、あるいは脱いだものをそのまま洗濯機に放り込んで1晩放置するという事はしない。
細菌が増えるのは少しでも未然に防ぎたい。
汚れもの・湿ったものを入れっ放しでは、洗濯機にカビが出る要因を増すし。
それは集合住宅などで、騒音が近所迷惑になりそうであれば控える行為に数えられるかも知れないのだが、古いとは言え戸建てで、洗濯機の音も昔ほど気にならない設計となっているから、深夜だろうが洗濯するのだ。
洗濯した物の脱水は、手絞りでは不充分だし私にパワーが無いと難しい。
そして大物の洗濯・・・これも手洗いではちょっと難しい。
以前、猫用に使っていたダブルのマイヤー毛布を風呂場で洗ったら、ものすごく大変で、しかも水を含んだ毛布は信じられないほど重くて、持ち上げられなくて困った。
やはり毛布のような大物洗いは機械にお任せすべきだと思い知った。
そんなこんなで、洗濯機は必需品だ。
その時点で最大限の大きかった8キロタイプの洗濯機を買ったけど、もっと大きいのが今は売られているので、次は是非11キロタイプが欲しい。
もっと寝言を言えば、コインランドリーにあるような、20キロとかの大型洗濯乾燥機が欲しいのだ。
昨年、ヤマダ電機で見積もって貰い、工事費も含めると200万では収まらないので諦めたけど。
しかし洗濯機は洗濯機で活躍して貰うが、手洗いも欠かせないものではある。
事実、手洗いは大事だし、そもそも楽しい。
ザブザブと水を大量に使ってジャージャー流すのはこの上なく楽しい家事なのだ、私にとっては。
家の目の前に豪雨で氾濫する心配のないささやかな清流があったならば・・・ドンブラコ、ドンブラコと流れて来た桃を拾い上げたお婆さんのように、毎日川での手洗いを楽しむだろう。
軽くて小さい洗濯ものだけね。
そんなほのぼのとした昔話のような暮らし・・・プラスチックのザルなんかもう一切使わず、竹カゴと手刺しの布巾や雑巾、薪を燃やす暖房、それがストーブなのか囲炉裏なのかは解らないけど・・・
そんな素敵な暮らしは夢見るだけで、私に実現出来ない事は解っている。
だって、熱を掛けてダニ退治する衣類乾燥機も、洗濯物を室内干しする為の除湿器も、夏には温度・湿度を下げさせるエアコンも必需品なので、今の私に電化製品の無い昔話の暮らしは無理だ。
悲しい、毒された現代人の代表なんだな、私。
せめて雑巾くらい縫おう。
昔は、今ほど暑くなかったから、都心のアパートでもエアコンが無いなんてザラだった。
大学1年生の時に1年間だけ住んだ西新宿の4畳半のアパートにエアコンなんてあるはずもなく、風呂無し、トイレと玄関は共同。
アパートと、食事や風呂のない下宿とか寮のような感じだったよ。
余談だが、そこは女性専用のアパートではなかったので、幾つかの個室と男性便器が並んだ昔の小学校のトイレのような大きな共同トイレだった。
同じ棟に住む厳格な大家の努力のお陰で(今にして思えば・・・だけど)、常に清潔に保たれていたトイレだったけれど、知らない男性とトイレで鉢合わせするのは嫌で、混雑しがちな朝などトイレに入った事は無かった。
ではどこでトイレを済ませていたのか?
駅まで歩く道中にある京王プラザホテルの綺麗なトイレが、まさに私のトイレだった。
とは言え、私は当時の生活やストレスも手伝ってか、子供の頃からの便秘症がますます酷くなっており、「週1」なんてザラ・・・
だから京王プラザホテルのトイレにも、週に1度くらいしかお世話にはならなかったと思うけど、兎に角、助かっていた。
京王プラザさん、1年間有り難うございました。
もう少しそのアパートの話は続く。
固定電話しか無い時代、電話加入権はとても高く、いまどき持っていて当たり前のような携帯電話事情からは想像出来ないだろうけど、学生が持つようなものではなかった。
なので下宿のようなアパートの玄関には、ピンク電話(公衆電話のようなもの)があった。
電話を掛ける時はコインを入れ、掛かってくるとベルの音に気づいた誰かが受けて、部屋まで呼びに行ってやるという暗黙のシステムだ。
しかし実際にはピンク電話のベルが鳴って、誰かに取り次ぐ事は殆どなかった。
私もそうだったが、昔、電話は緊急連絡用であり、毎日誰かと繋がる為のコミュニケーシュンツールではなかった。
相手が実家の家族の場合など、こちらから電話しても「掛け直して」と頼んで、ピンク電話の前で待つのだ。
用もないのにわざわざピンク電話や赤電話から友達に電話して、「何してたの?」なんて事は当時あり得なかった。
おそらくもっと切羽詰まった連絡手段だったのだ、電話という手段は。
急ぎの内容でなければ、近況を知らせるには手紙やハガキを書いた時代だった。
友達とは直接会って話す方が楽しいし、学生だから学校に行けば毎日嫌でも会えたのだ。
親から厳しく言われたせいもあるが、電話というのは緊急性のある連絡手段として捉えていた。
電話代も高かったしね、昔は。
尤も親元にいた頃は、ボーイフレンドと毎日家の固定電話で、全く緊急性の無い話をしたよ、私だってバカな若者だったもん。
30過ぎてから出逢ったこうちゃんとだって、一緒に暮らし始めるまでは、電話で用事もないのに楽しく話した事も何度かあった。
でも、間もなく気づく訳だ。
電話なんかしている間に、こっちに来て一緒に飲み食いしようと誘惑すれば良いのだと。
作戦大成功、美味しいもので釣るのが一番。
しかし恋もしていない今、またも電話は連絡用となった。
そして友達には、出来れば手書きで手紙を書きたいと思う。
母が生きているうちに、どうしてもっと毎日のようにハガキを書かなかったのかと悔やみつつ・・・。
洗濯と古いアパートに話を戻す。
そのアパートは、階段の幅は学校の階段のように広く、昇り切ったところの踊り場は贅沢な広さで、まさに「踊り場」、2組くらいでダンスが踊れる程の広さだった。
そしてそこに大きなステンレス製の洗濯場が設えてあった。
今のようにワンルームマンションなんてない時代、独り暮らしの学生用アパートには洗濯機置き場など当然無かった。
アパートは1階と2階で合計10数部屋位はあったと思う。
しかし、そこで洗濯などするのは私だけだった。
だって、銭湯に行ったついでに隣のコインランドリーを使う・・・というのが当時の一般的なアパート暮らしの風呂&洗濯事情だったのだ。
私だって銭湯とコインランドリーを使っていたけれど(仕方ない、嫌でも使うしか選択肢はなかったのだ)、日々、手洗いもしていた。
下着もそうだし、白い木綿の靴下を私は愛用しており、それは手洗いする習慣があった。
中学生になった頃、母がそれを教えて身についた事だ。
母は有り難いというか、影響力絶大だ。
ともあれ、誰も使わないお陰で、その横幅3メートルはあろうかという大きな洗い場はまさに私専用であった。
いつも日曜日には朝から洗濯し、その後簡単にサンドイッチか何かのお弁当を作って出掛け、徒歩5分くらいのところにあった中央公園の隅にある図書館で夕方の閉館まで勉強をしたんだ。
貧しくとも楽しかったな、あれはあれで。
大学の4年間は、本当に良く勉強をした。
そのモチベーションは解っているのだけど、そこに触れるときっと長くなるだろう。
それに本題であったはずの「洗濯」まで話を戻せなくなりそうだからやめておこう。
兎も角、独り暮らしを始めて、初めて私は自分がこんなにも水仕事、いや洗濯が好きだという事を自覚した。
洗濯を本業にしたい位、一日中洗濯していたい位、洗濯は好きだ(と思う)。
好きこそものの上手なれ・・・という通り、洗濯は趣味でもあり得技でもある。
うちの洗濯物は綺麗だもの。
昨年、ダニ(?)騒動で頻繁にコインランドリー通いしていた時、他人様の乾燥が終わっているのに放置されたままの洗濯物を目にする機会が多かった。
数に限りのある乾燥機が、とつくに乾燥し終えている洗濯物でふさがったまま使えないと困るので、知らない他人の洗濯ものなんか触るのは嫌だけど、取り出して備え付けのカゴに移す事があった。
あるいは誰かが既にカゴに移していて、ずっと取りに来ていないらしい洗濯物たちを目にしていた。
洗ってあるのだから汚いはずがないとは思うものの、見た目に、いかにも薄汚い洗濯物が多い事には驚いた。
偏見と思われるのは不本意だし、少ない事例でものを断じたくはないけれど、長時間放置されている洗濯物は、申し合わせたように薄汚れている事が多いのだ。
タオルケットやバスタオル、子供のTシャツなどはことごとく黒ずみ、母親のものと思しき派手な赤や紫の下着は毛玉とケバだらけだった。
どうして洗い終えた洗濯物が、こんなに薄汚れているんだろう?と不思議だった。
薄汚れた色をしている上、柔軟剤を使ったらしく変にぬめっとした手触りが気持ち悪さを増大させていた。
可哀想な洗濯物たち。
持ち主が時間通りに回収に来ていれば、意地悪な他人の目に晒されたり、他人の汚い手で触られたりしなくて済むのだ。
逆の立場だったら、私には耐えられない。
尤も、突然に不慮の死を遂げたのでもない限り、終了時間までに取りに行かないなどという事は私たちの場合はあり得ない。
そもそも離れている間に何があるか解らないから、時間の無駄だと思ってもその場を離れないようにしていた。
それが苦痛だったし、週に何度も大荷物を持って行くのが大変だったから、衣類乾燥機を買ったのだけど。
お陰で今は楽チンだ。
ところで、私のようにあまり頻繁に洗濯し過ぎると生地が傷むと言われる。
だからこそ、傷ませたくない大事なものやデリケートな下着類などはそっと手洗いするのだ。
洗濯機で洗う場合は、多くの皆さんと同様、洗濯ネットに入れて洗う。
そして「洗濯命」の私の最大の念願は、熱湯で洗える洗濯機が欲しい、もしくは給湯器から熱湯を洗濯機に注水出来る仕掛けにしたいという事だ。
もうひとつ付け加えさせていただくと、最も使用頻度の高いキッチンの手拭きタオルは直ぐにビショビショになってしまうから、1日に何度も取り替える。
毎回1枚ずつ洗うのは流石に洗剤も水も無駄だろうから、小さいホーローバケツに殺菌漂白剤を加えた水を張っておき、使ったらそこにポイポイと入れていく。
そして、ある程度まとまった数になってから洗うのだ。
本音を言えば、手拭きタオルは使い捨てのペーパータオルが1番清潔なのかも知れないのだが、使い捨てるものが多過ぎると流石に気が咎める。
白い名入れのタオルが一杯あるので、それを半分にカットして裁ち目を可愛い刺し子糸でかがった手拭きタオルを沢山ストックしておき、しょっちゅう取り替える。
これが言いたかった事なんだ、今日の日記は。
つまり最も汚れると言われる手を拭くタオルは、ゆめゆめ使いまわさず、濡れたまま放置せず、マメに消毒して洗いたいものだという事を。
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