太陽の帝国 -EMPIRE OF THE SUN-



時代は1941年。

主人公の少年ジムは、上海に暮らす裕福なイギリス人家庭の一人息子である。



冒頭は讃美歌で始まる。

主人公は、おそらく同じような裕福な境遇の同世代の少年たちと一緒に歌っている。


日本軍が上海に進攻し、混乱に巻き込まれて両親と離ればなれになってしまった少年は、アメリカ人のベイシー(ジョン・マルコビッチ)に拾われるが、共に日本軍に捕らわれて収容所へと送られてしまう。

そこでの生活が、少年を精神的にも肉体的にも成長させて行く。


ところで、マルコビッチが少年を拾った時、少年の口を開けて歯を見て、きれいな歯並びだ、金持ちの子供だぞ、という意味の事を言う。

なるほどな・・・と思った。

この時から、歯の手入れをちゃんとしている事が余裕のある者の証という信念を持ったような気がする。

マルコビッチは凄い顔で、いい役者がいるなあ・・・と思った。

その後の活躍は、ご存知の通りです。

J・マルコビッチの凄い顔


「神」の存在と言ったが、最初少年は自分は「無神論者だ」と言う台詞がある。まだ裕福な家庭の中にいて、プール付の豪邸、大物を招いてのパーティ、高級車での登下校、権力者の父親と美しい母親、中国人の乳母に囲まれていた頃の事だ。

その少年が、やがて神を信じるようになったと感じるシーンがあった。

数年に渡る収容所生活がアメリカの爆撃機によって開放される。収容されていた欧米人たちが徒歩で脱出する途中、常に少年の身近にいた若い婦人が死ぬ。

少年は「ミセス**の魂が天に昇っていくのが見えた」というような事を言うのだ。

10年以上も前に一度観たきりの映画なので詳しいセリフは記憶していないものの、多分ひどく間違ってはいないと思う。

それ程に私にとっては、少年が神を受け入れるまでの過程が自然に描かれており、そこに至るまでの全てのエピソードが見事に必然となり、その事に触れた映画評論がひとつもなかった事が不思議ですらあったのだ。


これと同じ経験を「地獄の黙示録」でもした。

コッポラ作品であり、ベトナム戦争物であり、3千万ドルとも言われる巨費を投じた作品であり、マーロン・ブランドが異様な役で出ており、音楽はワーグナーとドアーズを使用しているという事以外に何が騒がれただろうか?「壮大なる失敗作」とすら言われた。

日本人はどうして判らなかったのだろう?マーロン・ブランド演ずるカーツ大佐を殺しに行ったマーチン・シーンは、キリストを裏切ったユダじゃないか?!マーロン・ブランドはキリストだったじゃないか!!

聖書を知らない、キリスト教を知らないという事が、映画を楽しめない事もあるのだ。信者かどうかは別として、聖書の逸話やギリシャ神話程度は一般教養として少しは知らないと、英米文学や映画、絵画などの意味が判らないという事があり得る。

エンターテインメントとして楽しむだけでいいじゃないかという反論もあるだろうが、知れば楽しみを享受出来る許容範囲が広がるという事もあるのだ。世の中には自分の知らない楽しみがまだまだ一杯ある・・・その事が、生きる喜びにも繋がると思うのだが。


どうもこういう傾向になりがちだが、5本の指に入る好きな作品なのでお許し下さい。

そういう事を抜きにしても、映像の美しさ、特に少年が憧れ続けていた日本の零戦に触れんばかりのシーンなど、《E.T.》をカゴに入れた自転車が空を飛ぶシーンの如き美しさです。

そして、原作がJ・G・バラードである事をエンド・スクロールで初めて知り、改めて感無量でした。


金持ちの息子として両親と共に暮らしていた頃の甘かった少年の顔は、収容所での生活の中で、次第に逞しく厳しくなって行く。
この削げた頬にくぼんだ目。

子役ながら凄い変化をして見せた。

そしてラストで両親と再会するシーンの表情は忘れられない。

無感動な様子で無表情のまま母親の胸に抱かれるが、やがて静かに目を閉じる。

そこにはどんな想いがあるのか。

僅かな月日の間に精神的にすっかり「大人」になってしまった・・・いや、ならざるを得なかった少年が、目を閉じたこの時に何を感じたのか・・・観る者にそれを考えさせる雄弁な演技だ。




少年を演じたクリスチャン・ベイルのその後については、ご存知の方も多いと思う。

大人になってからの俳優活動も充実しており、バットマンシリーズの【バットマン・ビギンズ】や【ダークナイト】で主役のバットマン = ブルース・ウェインを、また2010年の【ザ・ファイター】ではアカデミー助演男優賞を獲得するなど、様々なタイプの役作りに挑み、成功している。



余談だが、この作品は試写会で観た。

監督がスピルバーグという事、そしてタイトルしか知らされずに。

《E.T.》や《インディ・ジョーンズ》の監督だから、そういう娯楽作品だと思っていたら全く予想がはずれた。しかし作品としては、スピルバーグのもので一番好きだ。

日本ではあまり話題にすらならなかったと記憶している。何故だろう・・・多分、この映画の根底にあるキリスト教的「神」の存在に、日本人は気付かないせいかも知れない。





追記:この原稿をアップした後、妹からメールが届いた。
   

『「太陽の帝国」で最後に主人公の少年が両親と再会したとき、マルコビッチにも言われた白いきれいな歯が黒くなっていたのを覚えていますか?

細かい描写だと思いました。

同じスピルバーグの戦争映画でも「プライベート・ライアン」のように戦闘描写をリアルにするより却って反戦映画としても重みがあると思います。』

鋭い観察、恐れ入りました。さすが我が妹。私は気付きませんでした。

原作 J・G・バラード
脚本 トム・ストッパード
監督 スティーブン・スピルバーグ
制作 スティーブン・スピルバーグ
    キャスリーン・ケネディ
    フランク・マーシャル
1987年
アメリカ映画


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