ミュウ
水飲み場で
(ジーコに又も割り込まれる)

Apr.10,2001

SOS15匹のうち、某愛護活動家のお世話になって里子に行ったシングルとミケが、なつかないという理由で戻される事になった。タウン誌の広告で里子に行ったらしいのだが、お試し飼いOKという条件付きの里親さん募集広告なのだ。こういう方式にしている里親募集活動は良くあるのだと思う。が、安易にそれを謳うのはどんなものかと思う。1匹ずつ、本当に手間暇かけて猫にも里親さんにもフォローをしなければ、今回の場合のような大人猫を里子に出すという事は難しいケースが多いと思うのだ。

幸いにもフィズとザビエル、ポッポ太郎とジュリナ、トラボルタとチョビとバビルは、肝のすわった里親さん達が自分のところで心のケアをしながら時間がかかる覚悟で引き受けてくれた。私が出来ない分を、受け入れ側がフォローしてくれたという幸運を得たのだ。いずれの里親さんも生涯の友人としてお付き合いしたいような、人間としての魅力にも満ちている。彼女たちとは、いざ里子に出るまでの人間関係が出来るような交流をしていた。貰って頂けたから持ち上げるのではなく、猫の事を抜きにしても大きな魅力のある人達だから、自然と深い心の交流をしたくなる人達だったという事なのだ。

私は保護活動家ではない。私の本職はサラリーマンだ。しかし数は少なくとも、関わった猫たちには責任も愛情も感じて生涯見守っていく覚悟でいる。シングルとミケの里親さんとは、まだ電話で話しただけなのだが、正直にこれまでの経緯と現状をお話ししたところ、あと少し置いて頂ける事になった。あとは今週末にも直接お会いして、きちんと様子を見て来ようと思っている。とても若いカップルらしい。良い里親さんの条件は年齢や職業、住環境が全てではない事も知っている。だからフォローしてみて、実際に感触を確認して来ようと思う。猫の気持ちも大切だし、飼い主の心も大切なのだから。

ミュウの真似っこをして流水を飲みたがるジーコが、順番を待たずに遂にシンクに割り込んで来た。ミュウはあきれて譲ってしまう。本当にジーコって何でもミュウの真似っこばっかりだ。無邪気であると言う事は憎めないものだ。今更ではあるものの、私もそういう子供だったら良かったのだと思う。ひねくれていては、どうしたって可愛くないはずだ。今の自分があの頃の幼児だった自分に会ったとしら、果たして可愛いと思えるだろうか?ちょっと複雑。

宣言通り《お気に入り》には無農薬野菜を、《戴き物Gallery》には数々の頂き物を掲載した。既に胃袋に入ってしまった(胃袋にも残っていない)物は仕方ないとして、形の残ったものは出来るだけ写真を撮ってみた。そして、いかに戴きっ放しであるかを改めて痛感した。いたく反省。ごめんなさい、みなさん。

そして夜に、15匹の元親さんと電話で話す。彼女は今、とても頑張って働いている。ご主人の元に一旦戻って生活している中で、今までお互いが見失っていたものも再び見出そうと努力しているのが判る。ご主人とは深い話をした事はないのだが、最初にSOSのコーナーに掲載したあの4枚の写真を見て頂ければ判るように、非常に研ぎ澄まされた素晴らしい感性を持っているような気がする。15匹のネーミングにしても、あれだけバラエティに富んだものを考える男性というのは、やはりかなり優れた感覚を持っているのは確かだろうと思う。

それが社会に受け入れられない部分があるとしたら、それは大きな不幸ではある。どうか焦らず、自分の持つ素晴らしい才能を信じて、自分の女房と猫だけは大切にして欲しい。あとの事は、どうとでもなる。そうさ、どうとでもなるから、自身と心のバランスを失わずに、幸せになれるよう努めて欲しい。読んでくれる事があるだろうか?今夜のこのページを。頑張って欲しい。みんな孤独で、みんなきついのだ。だけど笑っていられるようにしよう。働き者の奥さんを持った幸せを、大事にしようよ。


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