ジャム

ヒツジ乗せの刑U

May.9,2001
おもちゃ大好き・・・
ん?何かヘン・・・
な・・・なにこれ?

孫が増えると孫の名前が混乱してくる年寄りのように、私も既に猫の名前を咄嗟の時に間違えたりしている。ジャムとゴマが一緒くたになって「ゴム」と言ってしまったり、「こうちゃん肩揉んで」と言おうとして「かあちゃん・・・」と言い間違えたりしている。こうちゃんは猫ではないが。仕事場では、アカのヨウコちゃんに向って「こうちゃん」と呼びかけてしまう事はしょっちゅうだし。ボケなのかなあ・・・?

ジャムは本当に大きくなった。ウチに来た時の1.5倍はある。みんなに可愛がられて、我が儘な末っ子ぶりを発揮している。アインも自分からしシャーしなくなって、舐めてやったりしているのだが、ジャムはあいんの寝込みを襲ったりしているので、そういう時にはシャーと一喝されてしまう。しかしそんな事にめげるジャムではない。ジーコだけは飛びかかられるとコソコソと押入に隠れてしまうのだが、他の猫たちは皆、この小さな悪魔にいいように遊ばれている。いつまでも寝ないでいると、こうちゃんに「子供は寝る時間だぞ!」と叱られるが、それでもキャーキャー騒いでいる。

ゴマはすっかり面倒見の好さを見せていて、母猫代わりをしているし、シャーしたアインの所にわざわざ行って、ポカリと殴っていたのには驚いた。保護者のつもりなのだろう。ゴマとのからみの写真も撮ったし、他の猫たちの可愛い表情も撮れているのだが、あと少しジャムをお披露目したら、また元通り順繰りと掲載して行こうと思う。

全盲でエイズキャリアのサバちゃん(仮名)のSOSページを更新した。保護している人が迷っている。普通よりもかなり世話の焼ける猫を、人に迷惑を掛けてまで助ける必要が本当にあるのかどうかというところに来ているのだ。それは理解出来る。私が引き取る事の出来ない猫を、誰か引き取ってくれませんか?という呼びかけをする事に、とても抵抗があるのは確かだ。

ある人からは、猫の宿命に逆らって生かしておく事は良くないという意味の批判も受けた。それも一理あるだろう。しかし、その人と違って私には猫の宿命は見えない。昨年の6月に一命を取り留めたちゃーちゃんの時も、もしかしたらあのまま死んでしまう事がちゃーちゃんの宿命だった可能性は高い。あそこまでの治療は普通の動物病院では出来ないし、長年共に暮らした家族でもある家猫でもないのに、あんな大金を投じて治療するケースは少ないかも知れない。

同じ晩に運び込まれた同じ位の大きさの同じような症状の仔猫は、飼い主のいないところで死んでいった。点滴も輸血も、私の手の中で温めながらして貰った。何度も「もう死んでいるかも知れない」と胸が押しつぶされそうになりながら、鼻水と涙を垂れ流しながら抱いていた。先生たちやスタッフの方々、そして輸血してくれた病院の猫たちのお陰で助かったのだけれど、私は私の執念がちゃーちゃんがあっちに行きかけていたのを呼び戻したとも思っている。ちゃーちゃんと何千回呼び続けた事だろう。付き添い出来る場所ではないにも拘わらず、強引に居させて貰った事も、今にして思うと赤面するが、運良く助かったちゃーちゃんは、今では天下無敵のちゃーちゃんとして、鎌倉のお坊ちゃんをしているのだ。

それはちゃーちゃんの運命がそうなるべくなっていたのだ・・と言うかも知れない。しかし運命に手を貸す人間の存在がなかったら、その宿命も正しく運ばれなかったのではないのか?私がいつもいつも全てに力を出せる訳でもなければ、みすみす見殺しにして来た(結果論ではあるが)猫もいる。ようやく保護して病院には入れる事が出来たものの、充分な治療も出来ないまま死んでしまった仔猫もいた。

そして交通事故で大怪我をして、これも奇跡的に元気に回復したものの、里親さんを探せないまま保護した人の家にそのまま預かって貰っているしおんちゃんもいる。しおんちゃんはこのまま貰い手がつかなければ、野良に戻そうかと考えている。酷い事だが、置ける場所がなければ仕方ない。保護してくれた人は、ペット不可のマンションで置いておけるのもそろそろ限界だと言う。私に決断を乞われたら、野良に戻しなさいと言うしかないのだ。

かくも矛盾に満ちた保護活動である。あら探しをしようとすれば、いくらでも出来る。サバちゃんのSOSにしたって、励ましとカンパの申し出をする程度しか出来ないのだ。なのに、最後まで何かしてあげたい。何が宿命であるかは私には永久に判らない。

サバちゃんを保護して里親募集した人は、今あたっている人に断られたら殺すと言っている。


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