ミュウ
留守番は寂しい

Aug.14,2001

更新が遅くなってしまった。が、お盆なので勘弁して頂けそうだ。みんなお出掛けしているでしょう。本当はきららちゃん・茶トラ君の保護主さんからの最新情報も報告したいし、里子に行けたというお知らせも届いているので全部済ませたいところなのだが、実は思いのほか疲れきってしまった。やっぱり遠出は苦手だ。

そう・・・宣言通り、今日は遂に実家に行った。別に大袈裟な事ではないはずなのだが、実に2年半振りである。行きたくない訳でもないし、むしろいつでも行きたいと思っているのに、常に後回しにしてしまって来た。兎に角今回は実行しようと思って、後には退けない状態を作る為にも「行くぞ」と公言し、しかも気合いを入れて前日の夜は早寝したら、夜中の12時に目が醒めてしまった。その時とても恐い夢を見ていたのだが、書き始めるとそれだけで長くなるので止めておこう。しかしとても象徴的で、しかもお盆にふさわしい恐い夢だった。

起きる予定は2時だったのに12時に起きてしまってはヤバイなあ・・・と思いながらも、もう寝直すのは却って危険だ。すっき目が醒めた時が起きる時・・・そう思って、しないはずのネットも少しして、シャワーを浴びたりご飯を作ったりして時間を過ごす。TVでは『サブリナ』(リメイク版)をやっていた。猫たちも全員が起きてしまった。そして、いつもと違う気配を感じて落ち着かないミュウに「呉々もお留守番をお願いね!」と何度も頼んで家を出たのが予定通りの午前4時。ガレージを開ける時に見上げた空には、まだ星が出ていたし、綺麗な下弦の三日月が光っていた。真っ暗な中を出発する。

ルートは色々と考えられたのだが、行きは246から環八に出て、関越道で行ってみる事にした。環八は渋滞と言う程ではないものの、充分にたくさんの車がびっしりと走っていた。夏は夜明けが早いので、高速に乗る前に明るくなってしまった。練馬で外灯が次々と消えて行く様子を見た。夜明けの関越道は、霧が出ている場所が多い。しかもずーっとカーブが続いて、山の中を走っている感覚だ。乗った時から下りる直前まで、ずっと追い越し車線を走る。平均時速160`・・・これが限界だと思った。だって、直ぐに前の車の集団に追いついてしまうから。しかしドマーニの時と違って、ステアリングにちょっとしたブレがないし、パワーの差が全く違う。従って身体も疲れにくい。ドマーニでは精一杯だった120〜130`あたりからの加速がもの凄い。車が苦しそうな音も出さず、グイグイと持って行かれる感覚がある。道が空いていれば、200`以上楽に出せる車だと実感した。やっと本領発揮させてやれたかな?「楽しいねえ。」と何度も話す。しかし燃費はすこぶる悪かったはずだ。そんな事を気にしていたら、こんな車にはとても乗れないね、とも言う。「道楽だと思わないといられないもんね」と。

前橋で高速を下りる時、料金所のおじさんが「おはようございます」と言ってくれたので、こっちは二人で返事してしまった。懐かしくて何だか浮かれていて「久々で群馬に戻って来たんです!」と言いたかったのを押さえた。50号パイパスも空いていて、みんな100`以上で走っていた。が、ご苦労な事に、朝の6時だと言うのにネズミ獲りをしていた。そのあたりはノロノロだったので(と言っても60`位)、スピード違反で捕まらなくて本当に良かった!二人とも今まで1度ずつ捕まっているからね。今度こそ無違反で更新したい。講習なんかもう真っ平だ。

朝が早過ぎては申し訳ないと思い、時間調整の為に道沿いのファミリーレストランでコーヒーだけ飲むつもりが、ついついクラブハウスサンドまで食べてしまった。朝ご飯を食べて出たのに。しかし両親は、朝の5時から起きていたらしい。朝食に飯を炊いてくれたのだが、流石の私も食べられなかった。お昼を楽しみにしいたし。ならば風呂に入れと母が言う。1年中、いつでも風呂に入れる家だ。こうちゃんが先に入り、私も断れずに入った。湯船に入るのは実に久し振りだ。懐かしい風呂だった。日吉の家の風呂より、かなりモダンな風呂場である。そもそも日吉の方が群馬の実家のあたりよりも田舎だという皮肉。

昼近くには妹も来て、いつものように要らない衣類を貧乏な姉にくれた。妹にサイズが大きすぎるものをお姉ちゃんに・・・という訳だ。「ゆる過ぎたらこのベルトで締めてね」「全然ゆるくないよ!」妹はガイコツのように痩せている。いや、スタイルが良いと言った方が良いのかも知れないが、つい妹だと痛々しく感じてしまうのだ。それにしても、妹は父親にそっくりだった。可愛いし女顔なのに、どうしてこんなに父親に似るのか?それを言うと妹は嫌がるのだが、みんな言う事だから仕方ないとも諦めているようでもある。

昼食は、父親はどこかに食事に出ようと提案していたのだが、母親は手づくりのものを食べさせたがった。手間を掛けなくても良いのに・・・と思いながらも、妹から道が既にどこも渋滞し始めていると聞いて、家で過ごす事にする。母親は料理が上手い。私も負けてはいないと自負していたのだが、やはり母には敵わないと感じた。勘所がちょっと違うのだ。もちろん、私の方が上手い品もあるだろう。だけど伝統的な家庭料理は、やはり母の作ったものを食べたいと思う。私だって手際は良いし、食べたい味のイメージはきちんと再現出来るし、愛情だってちゃんと込めているぞ。何が違うのだろう?改めて考えてしまった。母親が作るだけで、こんなに違うのか?と。別に大したご馳走はして貰っていない(笑)。いつもの昼ご飯であった。

食べたらもう目が開いていられず、かつて応接間だったところに据えられたベッドで小一時間寝てしまった。こうちゃんが「そろそろ帰るかい?」と起こしに来た時には、きっと口を開けて寝ていたと思う。直ぐには起きられず、足をマッサージして貰ってようやく起きる。「仕方ない・・・帰るね。」と言って、またいつ来られるか判らないな・・・と思いつつ実家を後にする。実家は広くて風通しが良く快適だった。ここに猫5匹連れて来たらどうだろう?などとぼんやり考えながら寝ていたのだが、きっと猫たちも快適だろうなあ。部屋もいっぱい、遊べそうな空間もいっぱい、だけど一戸建ての1階部分は外に出られるチャンスが多すぎて危険だ。

洗剤をたくさん、そしてバターなどのお中元のお裾分け、そして皮を剥いて小房から綺麗にはずしたピンクのグレープフルーツをタッパーウェア(プラスチック容器というのではなく、まさに我が母親の大好きなオリジナルのタッパーウェアそのものである)に入れて持たせてくれた。父親には、棒術の樫の棒を一本貰って来た。何に使うのかと問われたら答に困るのだが・・・。(実際、家に戻ると舅は見逃さず「なにそれ?」と尋いたのだが、答える事は難しかった。「棒です」としか言いようがない。)

帰りは渋滞が本当にひどかった。この時期まだUターンラッシュでもあるまいに、みんなどこに行って来たのよ〜!?と言いたくなる位に東北道も渋滞していたし、従って時間も往きの倍ほどかかってしまった。お陰で燃費は良かったのだが。80`位で走るのが一番燃費は良いようだ。ま、つまらないけどね。

渋滞のひどい首都高は避けて浦和で高速を下りてしまい、122から環七に出て、また246から帰って来た。帰りの運転は全てこうちゃんがしてくれていたのに、私もくたくた・・・。帰り着くと、猫達の世話だけして直ぐに寝てしまった。猫たちは、ご飯を殆ど食べておらず、ジャムもいたずらをしていなかった。ミュウは私が冷蔵庫に貰い物のバターなどをしまっていると直ぐに背中に飛び乗って、絶対に下りないぞ!という感じで頑張った。何となく苛々しているようで、アインを噛んだりして、アインが逃げ出すと、ゴマがすっ飛んで行って、ミュウを叩いた。ゴマちゃんて・・・ゴマちゃんて、本当に正義感が強いんだね。アインもジャムも自分より弱い小さい子だと思っているみたいだ。しかしミュウの機嫌はなかなか治らない。やっぱり長時間のお留守番は可哀想だと感じてしまう、何とも過保護な飼い主。

さっき起きてノドが乾いたので、母の持たせてくれたグレープフルーツを一気に食べた。しみじみと母の有り難さを感じたのは、この時だった。

しかし私はやはりちょっとヘンなのか、こんな大変な思いをしてまで半日程度行って来ても仕方ないなあ・・・と感じたのが正直な気持ちだ。実家は快適だし、両親が年老いて来たら手助けもしたい。だが、こんなに遠くては(私には充分遠いのだ)、手も足も出ない。もっと頻繁に気軽に行けるところに住まないと駄目だ。


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