ゴマ

神秘

Nov.21,2001

長い1日だった。朝、ショートステイ先から電話があり、舅が昨夜から39度の熱があるので緊急でどこかの病院に入院する事になると言う。そこからが大変だった。入院先が決まるまで、あちこちと連絡を取り、やっと決まったのが10時過ぎ。「これから救急車ですぐに出ますので、病院で待って下さい。」と言うので、慌てて駆けつけたのは忘れ難い去年の入院先の川崎市立井田病院である。勝手知ったる病院なのは幸いだ。それにしても、たった2泊だけで退所となってしまい、これで退院出来たとしても、また預かり先を見つけるのは一苦労だろうな・・・。

病院に到着して入退院受付で「先ずは内科の外来に着きますから」と言われて赴くが、待てど暮らせど救急車は来ない。大分道が混んでいたから時間がかかるのかな?と思いつつも、1時間も待つと苛々して来て施設に電話を入れてみる。すると「これから出ます。」と言うではないか。このヤロー!更に待つ事40分。やっと舅を乗せた救急車が到着。ストレッチャーの上の舅は意識があり、熱も今朝は37度まで下がっていると言う。施設は感染症を危惧して、早々と退所させたかったのかも知れない。

点滴と酸素吸入されながらも、私が手を握って話しかけるとニコッとする。肺炎が疑われるものの、もしも結核だったりしたら閉鎖病棟でないといけないので、検査してからでないと受け入れられないらしい。検査には私が付き添う。既に昼の時間に入っていたので、レントゲン撮影も大部待たされる。その間、血液を採取する事になったのだが、立派な血管が浮き出ているというのに、必要とされる12ccの血液が採れない。何度も針を刺しては、やっとの事で3ccが採れた。脱水状態で血液が濃くなっているらしい。ポンプを引いても、殆ど血が入って行かない。その間も、舅は殆ど眠っていた。時々目を開けるので、顔を覗き込んで話しかけると安心してまた眠ってしまう。

義姉が姑も連れて来てくれていたのだが、舅が安心して見ているのは誰でもなくてこの私なのだ。何という皮肉。しかし舅の言うハッキリしない言葉を聞き分けるのは、私が一番上手いのだ。そして多分、私は年寄りが見て安心出来る顔をしているのだろう。舅はずっと、私達夫婦を心当てに求めていたのだと思う。しかし元気な時は、支配する方向に進んでしまうのだろう。素直に甘えれば、あんな年月をお互い過ごさずに済んだものを。義姉と姑は施設に私物を取りに行き、そのまま義姉の家に戻って貰う事にして、先に帰らせる。

X線検査と血液検査、そして痰の検査がようやく終わり、結核菌は検出されず、一般病棟に病室が決まったら2時。オムツを替えて貰い、それでもまだ膀胱に尿が溜っているとの事でカテーテルで導尿して貰う。医者から一通りの説明を受け、さんざん待たされてから担当の看護婦さんに色々と話を聞かれ、その後で必要な物を指示されて町に買いに行く。若い病棟担当看の護婦さんは、とても可愛くて笑顔が優しい人だった。

紙オムツを買い足し、自分たちの食べるものを急いで買い込み、家に立ち寄ってそれをかっ込み、交代でトイレを済ませてから再び病院へ。舅は眠っていたが、肺炎の治療をするので何日か入院するだけですよ!お義父さまの好きなワンコの縫いぐるみを持って来ましたよ!こうちゃんも来てくれていますよ!と、いろんな事を話しかける。手を差し出してくるので、しばらく握っていてやると安心して眠った。肺炎はかなり広範囲に起きていて、酸欠がひどいと言う。しかし酸素吸入のチューブを、自分で引き抜こうとするのが困る。

殆ど立ちっぱなしの1日だったので、ほとほと足腰が疲れた。明後日にはアメリカに住むこの家の次女が、1泊で見舞いに来るという。その次女は義姉の家に泊まって貰う事になっているので、今夜も姑はそのまま義姉の家に泊まり続ける事になる。今夜は緊急の呼び出しがない限りは、二人だけでゆっくり出来る。ゆっくり?ま、言葉の文(アヤ)だな。ここ数日が峠なのか、兎に角予断は出来ない。私は・・・結局は嫁として、全て舅の為の日々になっている。し何かヘンだな・・・。しかし去年の入院の時のように、ずっと付き添う必要がないだけマシだ。家で布団の上で眠れるのは有り難い。病院の夜は騒々しいしなあ・・・(前回はナース・ステーションの真ん前、今回は隣である)。

部屋に戻ると、何があったの?という感じで、ゴマがニャンニャンと喋っている。大分長い時間こうちゃんに抱っこされて(勝手に乗ってくるのではあるが)、ようやく落ち着いたみたいだ。やっとベッドで眠り始めた。空気の変化に敏感なゴマ。不思議な子だ。あとの子たちは、のんびりしている様子だ。アインが少し徘徊(?)したものの、今は私の腕をしつこく舐めている。あと少ししたら、一緒に寝ようね。

が〜っ、疲れた!!


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