ジーコ

僕は眠いの

Aug.14,2002

ジーコは野良猫のように痩せている。アメショーだからアタマが大きいだけで、身体はお山の野良猫たちと比べても格段にガリガリだ。ミュウやジャムが太りすぎているのは事実だけれど、ジーコを見ると可哀想になってしまうのは、あながち気が弱いからというだけではないみたいだ。尻尾も足も細くて、背骨がゴリンゴリンに触れる。去年のアインのように、ジーコはいつも寝ている。身体がしんどいのかとも思う。名前を呼んだり撫でてやったりする以外には何もしてあげられないから、好きな場所で静かに寝させておこう。

マルコも、ぶつかり甲斐のあるミュウに稽古をつけて貰って自信をつけては、末っ子の座を争うジャムに挑んでいるかのようだ。手加減してくれないジャムとの立ち稽古(ミュウとは寝技の稽古ばかりである)では形勢不利で、ついつい仔猫らしく情けない声で鳴いてしまうのだが、それで油断させておいてその隙にポカリと殴っている。ジャムは今まで誰からもそんな事をされた事のない超過保護娘だから、びっくりして逃げる。「マルコはとんでもない嘘つきだな」とこうちゃんが笑う。猫の社会を見ていると楽しい。

昨日の朝パンを食べていたら、トレイ代わりに敷いていた求人広告のチラシのとある募集が目に入った。見ると、実験動物用の動物の飼育管理の仕事だという。大学や政府の研究機関や大手製薬会社の実験用動物の飼育管理をする為に、そこから派遣される仕事らしい。そして良く見ると、「日本実験動物協同組合組合員」とか「(社)日本実験動物協会会員」と書いてある。ちょっとした衝撃だった。組合や協会が出来る程に数が多いのかと。そこが実験用動物の供給までしているかどうかは判らないのだが(訊いても「しています」とは答えないだろうし)、どこかが供給している事は確かだろう。こんな組合や協会が成り立つ程に動物実験が数多く為されている位なのだから、自給自足で研究員や学生が調達しているだけでは成りたたないはずだ。

動物実験反対の活動に熱心なももちゃんに、電話してその会社の事を伝えておいた。動物実験に反対する団体も、こんな会社の存在する事は知っているのだろうなあ・・・。それにしても辛い仕事だと思った。実験で殺される動物を大切に飼育するなんて・・・。もちろん、人間の為、そして科学の発展の為にという大義名分のもとに犠牲になる尊い動物の命や魂に報いる為にも、大切にお世話をさせて戴く・・・というのも大切な償いかも知れないが、動物ならば苦しませて実験しても仕方ないという根本の考えが、いつかはどうにかならないものなのだろうか?

動物実験反対だと言うと、不治の病に苦しんでいる人たちが新薬や新しい治療法の開発・完成を待っているのだと言う人が必ずいる。病気は、解明出来ているかどうかは別としても、何らかの要因があってなるものだ。潔く受け入れて、少しでも悪化させないよう、そして自分の免疫力を正常に高められるよう努力したら、それでいいじゃないのか?と思う事がしばしばある。かく言う私もいわゆる難病患者だ。この病気そのものを治す治療薬はないとされている。しかしその薬が出来る為に動物が苦しんで死んでいく位だったら、この病気とはボチボチと付き合って行くから、薬なんか金輪際要らないと思っている。そもそも薬は嫌いなのだ。

別に命がどうなっても良という程に、私は自分の身体を粗末には考えてはいないしヤケクソになんかなっていない。しかし自分の命を僅かばかり生き長らえさせる為には、自分以外の犠牲をも必要悪だと言える程には恥知らずではない。癌で苦しんでいる方やそういうご家族を持つ方は、これを読んで怒るかも知れない。でも手術や理学療法で治る可能性が数パーセントでもある癌と違って、私の病気は手術しても治らない。しかも本格発症したら確実に死に至る。だから「患者の苦しみも知らないくせに」とは言わせない。病気は誰だって苦しいんだ。今だって少しだけは苦しいんだからな、私も。しかし持病との付き合い方が上手なだけだ。

しかし私の場合は病人とは言えない位に(いや、正確には健康な人を通り越して異常な位に)食欲もあり、体力もある。今夜だってこれから捕獲に出掛けるのだ。目標は2匹。新顔がメスと判っていて、ほったらかしには出来ない。明日の避妊手術の予約もとれた。捕獲出来なければキャンセルだが、何とか今夜いっぱい頑張ろう。ホタテを解凍しているので、あと少しで出発だ。今夜も成功を祈って下さい。然らば、GO!

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