このところ毎日怒っている。別に私が怒りっぽいせいではない。次々と怒りのネタが飛び込んでくるのだ。怒りも感じなくなったら私は終わりだと思うし、そういう風に世の中の事を「傍観者」になるような事はしたくないと思う。「傍観者」はともすれば「批評家」になりがちだから、そうありたくはない。敢えて命知らずの危険は冒さないまでも、かと言って自分を安全圏内に置くやり方はしない。だからせいぜい怒ろうと思う。そして怒りを内部に溜めないでおこう。
殺処分されてしまった山形のノラ吉君の保護主さんから、支援金の返還があった。手紙の写しと共に、トトさんが送ってくれた。それを《猫の手倶楽部》の口座に戻し、手紙の内容をじっくりと読んでいたら、また虚しくなった。 要点はこういう事だ。
これに対しても言いたい事はたくさんある。貴女が味わったのと同じ「何故助けを求めておきながら、問い合せても連絡もよこさないのか?」という思いを、貴女自身が我々にさせているのだという事。何故4日間留守にするのかは判らないが、その間の入院費に支援金をあてる事も出来たのではないかという事。日に日にやせ細っていったというのは何故なのか?という疑問。人に助けを求めた以上は、最後まで報告する責任があるのだという事。今回の事を通じて学ぶべきは、娘達より先に母親ではないか?と思う厳しい意見。娘が川口さんの厳しいメールを読むハメになったのも、そういう母親の無責任に逃げている姿勢が招いた事態であるという事。 しかし多分言うだけ無駄だと思うから、もう何も言うまい。こういう人は、常に「被害者側」の意識なのだ。しかしこの母親だけではない、世の中には大勢いるのだ。やる事をやらないで不満や不安や不幸を抱えている人、自分は巻き込まれただけの被害者だと思ってしまうネガティブな人、自分の生活は何一つ変えずにしか自分より弱いものを助けられない人、「何故自分が出来ないか」のエクスキューズのネタを次々と言い連ねる人・・・。 私は自分の生活や人生に、とりたてて何も不満も不安もない。人よりも健康にも財力にも恵まれた訳ではないが(むしろその反対で病気持ちで貧乏人に限りなく近いが)、幸せな人生だと思う。自分の事でストレスは無いと言い切っても差し支えないだろう。なのに毎日毎日、多くのストレスを抱え込む。それが嫌だったら色んな人と付き合わなければ良いのだろうが、猫がらみではそうも行かない。いや、別に行かなくはないのだろうが、敢えて選んだ道なのだから仕方ないと思っている。言いがかりを言われる事もあるが、今までは反論しなさ過ぎた。いい加減舐められているようだ。事実関係を明確にしておかなければならない事は、確かにあるのだと最近遅ればせながら思う。 折角嘘をつかない主義でいたのに、人の都合でやむなく黙っている事実がある為に、色々と誤解を生み育てて来たケースもある。近い将来、きちんと全てを報告したいと思う。「沈黙は金」とは限らないのだ。何も言わない事が美学だとも思っていたが、視点を変えれば人間関係の面倒を避けていただけだとも言える。時間の余裕を作り、全てあるがままに残しておこうと思っている。奥歯にモノがはさまったような言い方で申し訳ないけれど、その時には改めて報告しますので、まあ乞うご期待かな? 夜、Moelさんに電話を戴いて話していたら、やはり迷いはあってもひとつ勇気を出して行動に移した人は違うと感じた。視点が自分本位の悩みではなく、あくまでも小さな弱い命の為に悩んでいるのだ。今夜「今日のにゃんこ」にMoelさんの保護猫を予定していたけれど、訳あって繰り延べにした。少し経過を見守った上で、改めて掲載したいと思う。 それで、次の順番待ちだった門司の山下さんの保護猫たちを登場させる事にした。彼女の元には、また新たな保護猫が迎え入れられている。見てしまったら、どうしても見捨てられないものだ。ギリギリのところで決断している様子が解るから、私も止める事は出来ない。もうじき里子に行くポプちゃんの近況も是非お伝えしたいので、里子データ(No.331-1)に写真を追加した。ほのぼのと涙して下さい。辛い目に遭って来たというのに、誰よりも心優しいポプちゃん。こういう境遇の子を引き取って下さる「ポプの姑」さんに、本当に心から感謝します。
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