今日も涼しい。寝冷えしたみたいで、朝起きたら左の鼻が詰っていた。しかし起きたら治った。念の為、朝からプロポリスを飲んでおく。そろそろ秋ものに衣替えしないと駄目かな。いまだに下着代わりのTシャツとこうちゃんの半ズボンという、山下清みたいな恰好でPCに向かっているのだ。これではいかん。しかしいい加減な恰好で過ごせる夏が終ると、洗濯物は増えるし、着替えも大変に面倒になる。常夏の国にいたい。
今日はエサやり以外はどこへも出掛けない事に決め、仕事の仕上げとサイトの更新と読書、そして食事を代わる代わる繰り返す。空には雲が一日中重く垂れこめていて、猫たちを眠りに誘う。全員が動きを止めた中で、私達も言葉を殆ど発する事なく、それぞれの仕事を静かに進める。狭い部屋の中に2人と6匹が殆ど動かず音を立てず、時間だけが過ぎて行く。連休中のせいか昼間は電話も殆ど鳴らない。少なくとも私には、理想的な一日を過ごしている気分だ。 近畿圏の捕獲や保護のご相談に関しては、ご存知奈良の加納さんが何件か受け持ってくれているので、大王は少し負担が減っている。その分加納さんにとっては、今は保護猫をロイ(のんき)以外は全て里子に出せたとはいうものの、日々の忙しさは計り知れないものがあると思うし、疲れるだろうと思う。ご相談を受けるのは、本当に気合を必要とするから。しかし彼女もこの半年で一回りも二回りも大きく逞しくなった。元々、意志の強い聡明な人だ。自分で全て抱え込まずに、今後は出来るだけ指導的な役割を果たして行って欲しいと願っている。多分、いや間違いなくそれが出来る人だから。 今朝から断続的に読み始めた『海辺のカフカ』は、ジョニー・ウォーカーが猫を次々と「処理」していく場面で、一旦本を閉じる。フィクションと解っていてもそういう場面を読んでいると、お腹の中で熱せられた重油がゆっくり対流しているような感じになる。それは『ねじまきどりクロニクル』でロシア兵がモンゴル人を使って日本軍の間諜の全身の皮を剥いで行く場面や、『辺境・近境』の中「ノモンハンの鉄の墓場」でモンゴルの将校がメスのオオカミを追い回した揚句に射殺した場面を読んだ時の後味と似ている。正確に言えばそれぞれの示す意味や役割はかなり違うのだが、共通しているのは「執行人」にはとりわけ何の感情もなく、ただ淡々と「仕事」をやり遂げるという点だ。 「死」は全ての生き物に平等に訪れる自然現象だが、故意に苦痛を与え心を弄びつつ生を奪う事は鬼の所為だ。文化の差や価値観の差で片付けられない人間のエゴを感じて、口の中が泥で一杯になる思いがする。吐き出したい。しかし私の中にも、その泥のような澱のようなものは好むと好まざるとに拘らず生み出されているのだ。 いずれにしても読書を中断する直前に、ゴマちゃん(注)はナカタさんによって救出された。やれやれ・・・。 注:物語の事です・・・川口ゴマちゃんのことではありません。
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