ボンネットにウンコ事件
さっき、買い物に行こうとしてガレージから車を出そうとしているこうちゃんが「凄く臭い・・・」と眉をしかめている。車を出した後、今度は私がガレージに入って臭いを嗅いでみるとなるほど臭い。しかしどこから臭うのかがよく解らない。夜明け前にエサやりに行く時、ガレージのシャッターを開けて出掛けたので、もしかしたらどこかの猫が入り込んでウンコをしたのかと思い、隅々まで眺めるがそれらしきブツがない。
ガレージは、舅・姑が元気だった頃に2面にグルリと棚を2段に作らせ、要らない物が山のように積み上げてある。空のダンボール箱を畳まずにたくさん(ゴミを入れて捨てるのだと言って、決して捨てさせなかった)、何に使うつもりだったのかワインやビールの木箱も山ほど(木箱は通常のゴミ回収では持って行ってくれない)、プラスチックの黄色いビールケース、他にも不要品が詰め込まれた箱、焚き付けにでも使うしか利用方法が見当たらないような細かい廃材、そして使わなくなったガラスの嵌め込まれた建具・・・。 ダンボール箱を除いては、これから私達が有料で捨てなければならないゴミが2面にびっしり積み上げられている。その棚を作られてしまったが為に、ホイールベースの長い車は入らないのだ。比較的車体のこじんまりしたインプレッサは入るけれど、義姉のマークUや、私には買えないけれどジャギュアなんかも入ないだろう。 その箱やら何やらの陰に隠れて猫でもいるかと思ってしばらく探したが、ガソリンスタンドとスーパーの開いているうちに出掛けないといけないので、一旦諦めてシャッターを閉めた。 ガレージも道も暗い。近所の家からは1年前から一向に上達しないピアノを練習している音が聴こえてきている。向いの家のキンモクセイが辺りに強く香るので、臭かった事は忘れて走り出した。間もなくこうちゃんが「ボンネットに何かある」と呟いた。助手席の私は、伸び上がるようにして見る。ああ・・・確かにあった・・・ウンコだ。 そして明るい道まで出たら、フロントガラスには幾つもの梅の花が咲いている。所々滑っている。汚れた手で駆け上がろうとしたらしき痕跡だ。ティッシュで大きな塊だけは取り除く。あと少しで、ボンネットとワイパーの間の溝にされるところだった。ボンネットにも無数の梅の花が咲いている。とほほ・・・。先ずはスタンドに寄って、給油と共に洗車も貰う事にした。ウンコを包んだティッシュは、スタンドのゴミ箱に捨てさせて戴いた。 やはり猫が入り込んでいたのを、知らずに閉じ込めてしまったのだ。朝からずっとあのガレージの中で、出られずにいたかと思うと不憫だ。スーパーでは切れていた片栗粉やら卵やらを急いで買い込み、慌てて家に戻る。ガレージには車を入れずに玄関脇の車寄せに置き、ガレージのシャッターを開けて、ガレージから出た所にシーバをポロポロと撒いておいた。 玄関の方に戻ってそっと伺っていると、白っぽい猫が走り出ていくのが見えた。そのまま隣の山田さんの家の車の下にいる。近づいて見ると、シャムハーフのような綺麗な猫だ。人を恐れる様子はない。外飼いしているどこぞの飼い猫だろう。シャッターを閉めて、今後は出かける時にはやはり開けっ放しでは駄目だと肝に銘じた。 しかしこの私の車にウンコしてくれたとは・・・なかなか性格の良い猫だこと。確かにビックリした出来事ではあるけれど、大したことではないさ。こんな程度でも「猫のせいで大迷惑を被った」と声高にヒステリックに苦情を言う人間は多いのだろうなあ・・・。よりによって、野良猫のシンパである私にウンコしてくれるとは・・・やれやれ。 近所のピアノは、帰って来た時にもまだ同じ曲を奏でている。タッチがとても強いので、奥さんではなくて多分あの家のご主人だろうと思う。いつぞや、ニコニコしながらピアノの譜面らしきものを胸に抱えて帰って来たもんなあ・・・。 しかし弾こうとしている曲と、本人のレベルが合っていない。基礎がないまま、あまり動かない指で、名のある演奏会用の曲を弾こうとチャレンジし続けているように聞こえる。1年前と少しも変わらないまま弾きこなせないでいる。急がば回れ・・・だ。もう少し基礎を積んでから、再度挑戦してみればずっと楽なのに。 曲はヴェートーベンのピアノソナタ「月光」の第3楽章だ(>>ここで1楽章から、ちゃんとした演奏が聴けます。一番最後の曲が第3楽章です。)。1楽章はテンポも遅く、中級レベル程度の人でも弾けるだろうが、3楽章をまともなテンポで弾けるのはやはり上級者である。それを1年以上も「大きな古時計」のようなテンポで弾いて聴かせてくれているのには参る。そのテンポも一定しない。そして音だけはやけにデカい。力いっぱいハンマーを叩いている感じだ。 ブーニンの音 同じピアノを弾いても、人によって出す音質は全然違うものだ。その昔、スタニスラフ・ブーニンがショパンコンクールで1位になった時の演奏を、私は忘れない。 審査を受ける態度は小馬鹿にしたようにニヤニヤしていて悪かったけれど(「態度がよくないですねえ・・・」と言った解説者の言葉も良く覚えている)、他の演奏者が弾いたのと同じピアノでありながら、まったく異質な鋼を叩くような強靭な音を響かせてみせ、もちろんそのテクニックと共に聴衆に衝撃を与えた。 あまりショパン向きの人ではないとも感じたけれど、そうとなればショパン・コンクールというピアノコンクールの性質上(他の音楽家の名を冠したピアノコンクールと違い、課題曲をショパンの作品にのみ限定しているという性質の事である。つまりあらゆるジャンルの作品を弾かせて技量を競うというだけのものではなく、忠実にショパンの音楽を再現させる事の出来る演奏家を評価する傾向にあったコンクールだ。今は知らないが、当時は確実にそういう性質のコンクールであった)、この人の音はショパンではないし、そう思うと優勝はあまり相応しくないのではないかという疑問も残ったが、ともあれショパン・コンクールで上位入賞するのは名声を得る近道ではあろう。 では隣のオジサンがブーニンなのかと言えば、決してそういう意味でもない。単に力のままに大きな音が出せるという事だ。野外演奏に向いているかも知れないな。う〜ん、つまり「騒々しい」という事だ。ごめんなさい、オジサン。何とか努力して、もっと上手になって下さいね。ご近所の為にも。 大人になってから楽器を習うと、耳は既に多くの名曲を名演奏家の演奏によって肥えているものだから、きっと地味な基礎練習だけでは精神的に耐えられないのだろうと思う。欲のない子供のうちに基礎をみっちり叩き込まれていないと、普通の人間では一足飛びには上級者向けの曲を幾ら長期間練習しても無理だ。しつこいようだが、たとえこの1年でもいいから、きちんとレベルに合った練習を積んで少しずつレベルアップして来ていれば良かったのに・・・と他人事ながら悔やまれる。 そこでふと思った。演奏家を目指す人はおろか音大を目指す学生の指導ですら無理だろうけれど、こういう基礎のない大人のレッスンだったら指導してあげられるのに・・・と。親元を離れてアパート暮らしを始めた時に既に自分でピアノを弾く生活は諦めたけれど、良い先生に指導を受けた経験があるだけにきっとそれは伝えられると思う。 私だって努力して16年も習い続けていたのだ。どうすれば技能が上達するのかは身をもって知っている。隣のオジサン、いっそ私に教わりに来ないか?もっと練習の仕方を教えてあげるから。そんな時間がどこにあるんだ?という批難が聞こえるようだ。この家のピアノですら、二束三文で売ってしまおうかと思っていたくせに、確かに良く言うわな。 今日、ケージ(何となく置いてあるだけのケージ)の上で寝ていたジャムが、寝惚けて飛び起きた。重量級だけに、凄い音がする。一体どんな夢を見ていたのだろう?ビックリして飛んで起きたのだから・・・。 外の記憶はないはずのジャムだけに、どんなことがジャムには恐いのだろう?夢の中へ入ってみたい気がする。最近マルコを面倒見ている時以外はすっかり赤ちゃん帰りしているジャムだが、そのお腹は赤ちゃんが5匹くらい入っていそうな程に大きい。やれやれ・・・。 ジャイアンツはタイガースに延長戦の末に負けたのに、ヤクルトも中日に負けたものだから、そのまま優勝の胴上げ・・・カッコ悪い・・・。
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