アイン

退かないわよ

Dec.5,2002

朝9時半までにラボに着くよう、今日はいつもより遅く家を出た。と言っても起きる時間はさほど変わらないので、すっかり準備が整ってからぐだぐたしている事になる。何と勿体無い事だろう。しかし起きる時間というのは身体に染みついたリズムなので、これを変えていくのはなかなか難しい。この時間を利用して少しでも更新をするかと言えば、そんな事はしない。15分ほど猫を撫でて過ごすだけだ。

しかし案の定、まだ充分早く到着してしまった。時計を見ると、まだ8時40分だ。明日は更に遅く出よう。今日のところは、いつも9時には出勤して来ている所長に朝一番でプレゼンテーション用の資料をお見せする事が出来たので、決して無駄ではなかったと思おう。もちろん手直しを依頼されたが、穏やかな口調で言葉少なで、とても感じが良い。どうしても所長の中には、父の面影を見てしまう。父よりははるかに洗練されているけれど、余計な自己主張をする事はえげつない・・・という美学が後ろに見えるせいかも知れない。どこまでを人に期待するか、どこからは自分がリスクを負うか、黙ってそれをこなしている大人だ。

掲示板で、みょーこが(近頃、忙しくてなかなか会えないものだから、せめて呼び捨てにしてやろう)書いていた事が印象に残った。いわく『どっかの学校で自分たちで世話をしたニワトリをつぶし、調理したことにPTAがクレームをつけた記事が出ていた。この是非は結論などないだろう。ただ、子供達は自分より弱いもの、守ってやらなきゃならないモノがあることを知ることが大事だと思う。それから先の話は「世の中思い通りにならない」を山ほど体験し、考えていけばいい。』

幼稚園や小学校の意義とは、文字や算数を教わるより何より、自分とは違う価値観がこの世には存在して、全てが自分の思い通りにはならないけれど、それでも協調すべきところはするようにコミュニケーションを学ぶ実践の場であるべきだろうと思ってきた。ついでに言えば、もっと一人一人の性格や個性に合わせて、自己表現手段を身に付けさせるトレーニングをする場でもあって欲しい。

自分を解って欲しい、認められたい、愛されたい・・・と願うのは、たとえそれが無意識の願望ではあっても、人間の根源的な欲求だ。そこの部分が満たされないが故に、どんな形でも良いから人の関心を引きたいが為に、大学まで出て立派な役所に勤務しているような大人の人間が猫を虐待して殺したりする。

世の中に認められたり、人々の注目を集める事の出来るような立派な表現手段を身に付けた人というのは少ない。私にも無いだろう。しかし狭い世界で言えば、こうちゃんというパートナーであり理解者である夫を得る事は出来た。運も良かったが、かなりの努力をしたし、出会う為には相当無駄とも思える遠回りをしたと思う。仕事にしたって、この歳でまだ「これが私の専門です!」と胸を張れるものはない。一通り何でもやるが、どれかひとつで人より秀でたものと言うと、残念な事に・・・いや当然の事ながら思いつかない。

しかし世の中には、天賦の才能に恵まれた人達も存在している。歌が上手い人たち、運動神経が天才的に良い人たち、踊りが上手な人たち・・・エトセトラ。楽器の演奏を同じ年月だけ練習してもプロになれる人もいれば、なれない人もいる。もちろん「努力」というものの存在は大きい。が、かなり真面目に且つ意欲的に長い年月続けていたピアノで、自分はピアニストや作曲家にはなれない事を痛感していた。練習をして、譜面通りに弾けるというだけの事だった。これまた当然の事ながら、演奏家の演奏とはあまりにかけ離れているので、人に聴かせるなど考えられなかった。

やがて生意気なもので聴く耳だけが肥えてしまい、自分の演奏を(弾きながら)聴くのも自己嫌悪になっていった。今思えば何とも思い上がった事であり、馬鹿な理由で断念したものだと思う。プロになどなれなくとも、純粋に音楽を演奏する喜びを味わい続けていれば良かったのだ。しかしそれもまた、自分が壁を越えられない事へのエクスキューズだったのだろう。逃げ出す為の、理由付けが欲しかったのかも知れない。要は、他の新しい事に安直に方向転換出来ると思って色々とつまみ食いしているうちに、自分の目指す道に迷ってしまった結果が今の自分なのだ。

自分にこれといった才能がない事は解った。しかしそれはそれとして、自分の意見なり思いなりを、伝えたいと思う相手には正しく伝わるよう、自分を訓練する必要は常にある。自分の思い通りに伝わらない場合もある。相手がエキセントリックな場合もあるが、多くの場合が表現方法がまずい場合も実際は多い。照れや甘えが介在する場合もあるし、思い込みが悪さをする場合もあるだろう。しかし伝えたい相手に対して愛情があるならば、相手の心をマーケティングしなければ駄目だ。何を求めているのか、どう言えば伝わり易いのか・・・全てマーケティングは「愛」だと言い切っても差し支えないだろう。

私は幼稚園から小学校低学年の頃、他人と接するのがとても苦手で、むしろ内向的な幼児だった。同世代の子供とは遊べなくて、いつも一人でいた。それでもいつの頃か(確と覚えているが)脱皮した。それは自分がそう望んで努力した結果でもある。しかし今身に着けている皮の下には、幼稚園児だった頃のままの自分もちゃんと存在しているのだと感じる事がある。

そして美しい言葉でなくとも良いから、相手にどう伝わるかという事を考慮したコミュニケーションが如何に大切か・・・この事をどの局面でも思い知る事になる訳だ。進歩しているんだかいないんだか・・・そうこうしている間に、あっという間に一生なんて終わってしまう。今、自分の表現手段を大切にしないといけない。それは言葉という手段だけではなくて、自分の責任を果たす事でもあれば、思いやりを持って辛抱する事でもあるかも知れない。意思的にそうするのであれば、それもまた積極的な自己表現なのだから。先ずは自分を納得させる為の、自分から自分への表現だとしても、実はそれが一番必要だったりするのだ。

そんな事を考えながら、猫たちの自己表現を改めて見直してしまった。個体によって、何と見事に表現手段が異なる事か。そして表現をしていなさそうに見えても、必ず何かのサインが出ている事も見逃せない。人の顔を見れば鳴いて何かを訴える子たち(アインもジャムもゴマもマルコもそうだ)もいるが、じっと自分の中に抱え込むことの多い子(ミュウやジーコ)もいる。しかしミュウやマルコはちょっと複雑で、堰を切ったように要求・表現いる事もあるが、じっと一人で閉じ篭る事もあり、これまた人間同様にひとつの切り口では分類出来ないものなのだが。そしてそれぞれの間での駆け引きも多彩だ。何を考え、どう感じているのか・・・猫だからと言って侮ってはいけない。奴らは賢い。

早く帰ろうと思っていたのに、結局は所長の資料の手直しには意外と時間がかかり、13日に予定されている角本チームのキック・オフの準備(と言っても、私は招待状の宛て名を書いていただけだが、手書きでしかも長い組織名、画数の多い漢字ばかり・・・「慶應義塾大学」なんて手書きしたのは初めてかも知れないぞ・・・、そしてまた長い肩書き、字の大きい私は一行に書ききれなくて、何枚か封筒を無駄にした・・・こういう秘書的能力に著しく欠けるな)と重なり、結局は帰宅すると10時。今夜のN▲K番組『クローズアップ●■』に、うちのラボとロボットチームのロボットたちが特集されていたので、ラボのビデオで録画予約をしておいたが、命令された録画をしながらそのままラボで見てしまった。ロボットチームでもないのに、私や浦山さんがあたかもロボット研究関係者みたいに仕事中の横顔が映っていた。あれではロボットチームの研究員が気の毒だ。こちらは別機関だというのに・・・。

それにしても、レスキューロボットはとても面白かった。普段すぐ近くに置いてあるというのに、動いているところを見た事がなかったのだ。あんなのを作っているんだね、みんな。

他にもちょっと嬉しい事があったのだが、いい加減長くなってきたので、それはまた後日。ここまで一気に書いたら、とても暑くなった。これは痩せたかな?(でも昼の仕出し弁当・・・新規参入の業者が無料サービスで持って来たのがひとつ余ったものだから、私は1つ半食べたのだ・・・よせば良いのに・・・)

アインは自分のベッドを奪回し、ゴマは頭に小さなハゲを作っている。毎日が悲喜交々だ。

今日のにゃんこ

<ウラン通信ーその6>

アタシの名はウラン。10月21日の『今日のニャンコ』の続きのお話を聞いてくださいね。

「アタシ、可愛い写真が少ないから、ママが見つからないの?」って聞いてみたの。「そうかもよ・・」って言われた・・・。カメラ、怖いんだもん・・・グスン。

「だったら、今日は頑張るから・・」って写真を撮ってもらいました。ぼろぼろウランちゃんって、呼ばれないように・・・。

アタシって・・・可愛いくないの?すりすりニャンコでも、お口が痛いとダメ?抱っこが好きでも、子猫じゃないから?

そんなことないわ!アタシ、こんなに可愛くて元気だモン♪

神様・・・、アタシに『優しいママ』を下さい・・・。

(アタシの募集はNo.399で詳しく見てね♪)

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