カワムラさん

敬礼!

Feb.21,2003

いつもより少しだけ家を出るのも遅かったのだが、週末という事もあってか、道は物凄く渋滞していた。追い越せない狭い片側1車線の道を、目の前でトロトロと軽トラックが走っている。何しろ鈍いので先がずーっと空いているのに、しょっちゅうブレーキランプが点灯する。私がチンピラだったら、「テメ〜、くたばりぞこないのジジイだな。朝から公道に出て来るんじゃね〜よ!」と怒鳴っていたであろう。

しかし私は上品な人妻なので、ちょっとイライラした程度で、おとなしくピッタリお尻に付いていた。ふと見ると、トラックに書かれた社名が「●ルコ運輸」とある。そうか・・・マルコじゃ仕方ない。許してやろう。良い社名を付けたね。(今日、初めていきなりこのページから読んだ人には意味するところが解らないだろうが、マルコというのは、我が家の大事な愛しい3本足のこの世のものとは思えない程に可愛い猫の事です。)

カクモト先生がトルコから帰って来た。正確に言えば、トルコから帰国した足でそのまま京都へ行き、京都から帰って来たのだが。お土産はブランデー漬けのチェリーが入ったチョコレートだった。チョコレートは兎も角(トモカクとカクモト(笑)・・・可笑しくないか)、内容物は予想に反してとても美味しかった。

昨夜、豚肉の生姜焼きを作ろうとして根生姜をおろしていたら、プラスチックのおろし金(プラスチックだと言っているのに、「金」と書くのは抵抗があるなあ)の真ん中あたりに付いているスライサーで指を切りそうになった。これは使わないので、刃をはずしてしまった方が安全だ。実はその昔(13年程前になるかな)、実際に指を勢いよく切った経験がちゃんとあるのだから。

その頃、私はまだ独りだった。正確に言えば、2度目の離婚をして独り暮らしをしていた時の事だ。こうちゃんが営業部長を務める会社で、私は入社して数ヶ月のペーペーだった。この会社は兎に角人遣いが荒くて、帰宅すると夜中過ぎという毎日だった。徒歩15分の通勤時間だというのに・・・だぞ。その頃の私は食べ盛りで、兎に角おなかは空くし、いっぱい食べていた。今だって同世代の女性の1.5倍は食べるけど、これでもドラスティックに食事量が減ったのだ。あまりに食べるので、一人でもしっかり自炊しないと食費がかかって仕方ない。だから夜中でも、それから炊事が始まる。

その夜も、せっせと何品かこしらえていた。ポテトサラダ用にキュウリを薄切りしようとして、ふとスライサーでやってみようという気になった。やってみると速いし、まな板の上をキュウリの輪切りがコロコロ転がらなくて良い。こりゃ便利・・・とスイスイスライスしていたら、あっという間にキュウリは短くなり、キュウリをつまんでいた指までスライスしてしまった。いや、実際には指先の皮をスライスして剥ぎ取った程度なのだが、あれ?血が出ないよ・・・と見ていたらゆっくり点々と赤いものが浮かび上がり、次の瞬間にブワ〜ッとたくさんの血が出て来た。ちょっとした切り傷程度だったらそのまま放置するのだが、血が止まらないのでバンドエイドのようなモノを貼った。痛かった。

翌日会社に行くと、私の指のバンドエイドを見て、こうちゃん(当時はこんな風には呼べなかったけれど)が「指をどうしたの?」と訊く。私が昨夜の悲劇を得意げに話すと、当時とてもダンディーでスカしていたこうちゃんは、たった一言。「(お客様から)見える場所に怪我をしては駄目。」尊敬していた上司に叱られ、私は「申し訳ありません。」と謝ってしまった。何もコンパニオンレディだとかホステスさんだとか、美しい必要がある仕事じゃなかったのに。指くらい切る事だってあるよ。鼻の頭にメンチョウが出来る事だってあるかも知れないし、自慢のオデコにタンコブ作る事だって、ものもらいが出来てお岩さんになる事だってあり得る。

それを突然思い出したのだ。13年経った昨夜、根生姜をおろしながらね。畜生!今では部下じゃないぞ。お嫁さまであり、大王でもあるのだ。直ぐにこうちゃんにその思い出を話すと、「そうか。俺って酷いヤツだな。」と笑っている。「そうだよ、こうちゃんて酷いヤツだったよ。だから仕返ししなくちゃ。」と私。こうちゃん、まだ笑っている。くそ〜!どうやって復讐してやろうかな。キッチンで洗い物をしている時、後ろから指で「カンチョ〜!」がいいかな?「ア〜ンして!」と口を開けさせて、上顎を指で撫でてやろうかな?これって凄くくすぐったくて厭なんだ。嘘だと思うなら、今直ぐ試してみると良い。我慢出来ないから。まだ恋愛関係にある人だったら、キスしたついでに相手の上顎をベロリと素早く舐めてやると良い。これは一発で逃げ出すくらい、本当にくすぐったいよ。よし、久し振りでチュ〜してやるか。もちろん復讐の為に。わはは。見とれよ、冷血漢の川口部長。今じゃ私の僕だ。ザマミロ!

帰り道も物凄い渋滞。ラボを出たものの、車線変更がちっとも出来ない位混んでいる。左折で産業道路に出るのすらトラックに何とか譲って入れて貰えたのに、20メートル程先で迎える鋼管通りの交差点までの間に、3車線ある一番右の車線へと入らなければいけないのだ。頭を下げてまで、数珠繋ぎになっている車に割り込むのは嫌いだ。しかしそうなると、そのまま産業道路の一番左の車線を進んで行くしかないのだが、やがて真ん中の車線は首都高浅田の入り口になってしまい、そこで一番右の車線は右折専用となり、私の走る一番左は首都高のICを過ぎると一番右の車線になるという変な作りの道である。

そうして「ゴム通り」で右折して、鶴見市場方面へと出る。延々とローカルな面白くない話で申し訳ないけれど、これはあくまで日記でもあるので、諦めて欲しい。今日はこれを書きたい気分なのだ。ゴム通りだけは空いていたが、あとは車がびっしり。そして15号線をそのまま突き抜けて市場銀座方面に行くには、京浜急行の踏切も越えなければならないのだ。京急の踏切ときたら、通勤時間帯には全然開かない。次々と電車が駆け抜けてくれればまだしも、次の電車が来るらしいというだけで、いつまででも警報機が鳴っている。随分と待って、やっと次の電車が通り、久し振りに遮断機が上がる。

途中、充分に車の4〜5台は通せる時間の余裕があるのに、閉めたままでいる京急の踏切。JRに比べると、京急はそこが怠慢だと言いたい。JRの踏切(しかも東海道線と京浜東北線と貨物線などいっぱい線路の並ぶ幅広い踏切である)では、マメに遮断機を開けて、たとえ2台程度でも通すぞ。京急は駅の数が多いし、特急だ快特だ普通だと馬鹿に種類も多い。一度踏切で捉まると、なかなか抜けられない。しかしどこかで越えなければならないし、踏切を避けた道を通れば、それはそれで凄く渋滞しているのだ。あちらを立てれば、こちらが立たず。

そうして苦労して鶴見に辿り着き、エサやりをしてまた帰路につく。往きも帰りも、通勤は気骨が折れる。そしてガソリンも凄く使うのだ。資源のない日本で、こんな罰当たりをしていて良いのだろうか?ごめんなさい、原油さん。

山下家の猫たちの件では、たくさんの方々から里親さんや山下さんへの励ましを戴いているようで有り難い。まだ病気と闘っている子たちもいるので、この問題の総括はもう少し後で改めてさせて戴こうと思っている。今の時点でひとつだけ言える事は、里親さんたちの誰一人として山下さんを責めたり恨んだりしておらず、むしろ共に苦しみを乗り越えようと努力してくれているという事と、こんなことで山下さんへの信用は失墜するどころか、誠実で謙虚なその人柄はますます信頼を得るだろうという事だ。

山下さんへの具体的な支援方法は、また後日お願いをさせていただきます。《猫の手倶楽部》からは、治療費の一部に充てて戴けるように支援金を追加させて戴きたいと思います。ご了承くださいますよう、お願い申し上げます。
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