リマ

希望の光

Mar.15,2003
朝からずーっと忙しい。午前中に更新を粗方済ませ、午後は病院に付き添い、夕方からはご相談の対応が続く。いよいよ野良猫の避妊・保護のトップシーズンという感じだ。しっかりした内容のご相談もあれば、なんじゃこりゃ?というものもある。猫を救いたいという優しい気持ちは歓迎だが、自分が最後までリスクを負えない相談には最近はもう乗らない事にしている。自分では出来ないから誰からして欲しいという人を助けず、自分で出来る限りの事を計画的にしている人を応援いるのは一見すると矛盾しているのかも知れないと思うが、私の残された時間がどれだけあるのかは解からないけれど、残りの人生の目標は次世代にリーダーシップをとれる人達を育てられる肥やしになりたいと思うから、やはりこの路線で行くしかないだろう。

自分が幾ら頑張っても、やれる事には限界がある。そして破滅的な人生を送らなければやれない事など、自分もしたくないし人にも勧めたくない。出来る範囲で自分が手を汚してやり続ける・・・そして、かつて相談に乗って貰った人が次の世代のアドバイザーになれる・・・そういう循環を普通の人たちの中に定着させる事にこそ価値を感じる。自分が幾ら実績や経験を積んでも、若い人を育てられない大人は無責任だとすら思う。私には子供がいないが、自分の子供でなくてもみんなで寄って集って子供や若者は育てるものだと思う。無関心は人の心を荒ませるし、ひいては殺伐とした人にも動物にも冷たい世の中になるのだから。

しかし、それは何でも受け入れて相談に乗るという事ではない。私自身が、子供の頃から誰にも相談しないタチだった余計厳しいのかも知れないけれど、人に相談すべき事とそうでない事があると明確に思っている。もっと優しい親切な人は幾らでもいるから、私に敢えて近づこうとする人はある程度強い人たちなのだろうと思う。

昼に食べたミニ餃子が意外と不味かったので、とてもがっかりした。不味いものなど食べたくもない。だから夜は、春キャベツとカイワレとロースハムのサラダをたっぷりと、美味しい豚肉の生姜焼きと美味しい豚汁を食べる予定だった。そのつもりではいたのだが、兎に角相談のメールと電話が多くて、まだ何も食べていない。この私が!もう日付が変わってしまう。今から重たいものを食べると、明日の朝の胸焼けが怖い。若い頃には寝る直前にステーキだろうがカツ丼だろうが食べてもへっちゃらだったのに、こんなところにも老化を感じる。年老いるという事は、かくも悲しいものなのか。

ルスとリマは9月30日を誕生日と設定したのだが、どうももっと遅いような気がしている。シーズンなのに発情の兆しすらない。体の発育は悪くない。食欲も凄いが、最近の運動量ときたら日体大の体操選手のようだ。部屋に入って行くと、かつては私に会えた喜びで代わる代わる抱きついてきて、私の顔をじーっと見ながら舐めてくれていた。しかし最近では、先ずは電気の紐で遊ばせろ〜!と、視線は私の顔を素通りして電灯だけを見つめている。私はただの踏み台・ジャンプ台と化してしまった。寂しい。

リマに発情が来たら、避妊手術をする際に、もう一度血液検査をしてみようとは思っている。エイズが再度陽性と出るかどうか・・・出てもエイズに関しては他の猫にうつると思わないので一向に構わない。だから検査しなくとも良いのだが、今度が陰性であれば、仔猫の時に検査して陽性であっても希望を持って貰えるのではないかと思うから。

さて、えさやりに行くか。
inserted by FC2 system