マルコ

僕は良い子

Jul.20,2003
昨日から涙腺が弛んでいる。人が死んでもこんなに悲しくないのだが、猫の死や闘病の様子を聞くだに、我ながら情けないのだが涙が出てくる。手元にfティッシュがないので、鼻を啜りながらメールを打つ。ちょっと立ってキッチンに行けば、ティッシュボックスに納められ、その上に重石を載せたティッシュがあるのだが、そこまで行くのが面倒臭い。一度立ち上がって僅かでも歩くと、書こうとしていた事を忘れるのだ。私は酉年だからな。

何故ティッシュを使い易い状態にしておけないかと言えば、ジャムやマルコが幾らでもイタズラしてくれるからだ。そこに紙がある限り、奴らはそれは「敵」と見なして攻撃を繰り返す。全てが再生不能となるまで、それは続くのだ。我が家の紙好きはジャムだけだったのに、そのジャムがマルコをとても可愛がって育て、ついでに自分の技は全て伝授したようだ。

マルコが伝授されたのは、ジャムの得意技だけではなかった。ミュウやジーコから蛇口から水を飲むのだとも教えられたらしい。しかし水が出ていない蛇口を舐めているので、水を出してやろうとすると脱兎の如く逃げる。幾らそっと近づいても駄目だ。どうやらこれは水が飲みたいのではなくて、ヤツにとってその行為はイタズラの範疇であるらしい。その証拠に、本当に水が飲みたい場合は、猫専用の溜め水を飲んでいる。

ゴマからは、網戸の爪研ぎを伝授されたらしい。我が家の網戸は、間もなくその役割を終えて長い眠りにつく事だろう。横浜はゴミの分別が厳しくない。これはいい加減なのではなくて、何でもかんでもごた混ぜで燃やしてしまえる焼却炉があるせいらしい。都内から移転して来た時には、その事実にひどく驚いた。我が家の網戸の網は、今年のお盆には「送り火」を焚くが如く、横浜の焼却炉で灰になる事だろう。となると、網戸を張り替えなければならない。どうせこうちゃんがやってくれるだろうが、憂鬱な事だ。決して破れない網はないものか?

今日は、地元の遊歩道の古くからのエサやりのご婦人たちと、その遊歩道でエサやりを始め、先だって大捕獲作戦を終了したばかりの「ぴょんちゃん」及びその支援者たる我々とで会食があった。こちらからはぴょんちゃん、エサやりと言えばこの人「みょーこ」、ぴょんちゃんを毎回のように助けて捕獲に加わってくれたノグチ、そしてワシら夫婦の5名が参加した。先方は、50代から70代までの4人の女性だった。

私達が何故のこのこ付いて行ったかと言えば、年若いぴょんちゃんが、もしや年配のエサやりさん達に「何か」押し切られてしまったら可哀想だという老婆心があったのだが、会って話してみるとご婦人たち(こちらも殆どがご婦人だが)は前向きで気のよい、そしてある程度行動力の伴なった人達であった。それぞれ、ここまで苦労しながら近隣を説得したり、避妊や保護を進めて来ていたのだが、捨てられたり繁殖したりして増える数にはとても追いつかなかったというのが現実のようだ。

いずれも時間をかけて独自の「進化」を遂げてきたエサやりさん達ではあるのだ。如何せん年齢層が高いのと、人数も不十分というハンディに加え、一人ずつ点在する力では効果が上がりにくいのも事実だろう。それがあの遊歩道の野良猫たちの、夥しい数と状態の悪さとして表れているのだ。猫好きの婦人たちはそれを憂慮していたところに、年若い明るく前向きなぴょんちゃんが突然大量のエサと捕獲来を持って現れたのだ。それはあたかも聖母マリアの出現に立ち会い、言われたとおりに地面を掘り起こして「ルルドの泉」を湧き出させる手伝いをした少女ベルナデッタのようではないか(ちょっと違うか)。

ともあれ、我々も微力ではあるが、最近では先ずは目星をつけた野良猫をローラー作戦で大量に避妊してしまおう!という行動に出ているので、件の遊歩道はかなり目処がたって来ているのではないかと思う。ぴょんちゃんが淡々と明るく推進して来た成果であり、且つ私の呼びかけで支援の手足となって下さった皆さんのお陰だ。

同様のことが、その前にも松浦さんの捕獲作戦で既に実験的にプロジェクトチーム結成してやらせて戴いていたし、今は上福岡で進行中である。こういう感じで、その時々に手を貸せる人達の力をお借りして、各地の野良猫の地域猫化を進めて行きたい。

その上福岡の発起人たる酒井さんとメールしていて今朝気づいたのだが、実は酒井さんとは以前からやりとりがあった人だという事が判明。そもそもは里親募集に掲載していた「ぐーちゃん」の保護主だったのだ。ぐーちゃんは、腎臓の状態が悪くなったので募集を取り下げ、家猫として最後を迎えさせてあげたいという酒井さんの愛情に包まれ、そしてある日静かに逝ってしまったサビ猫だった。その経緯は、きちんと毎回報告して下さっていた。幾らメールの数やご相談の件数が多いとは言え、迂闊だった。酒井さんのメールの中から、ある情報を取り出そうとしてメールアドレスで検索をかけていたら、メールのタイトルに「ぐーちゃん」という名前を発見してハッとした。

人の名前はなかなか覚えられないのだが、「ぐーちゃん」という猫の名前は忘れられないでいた。酒井さんも、今回の掃討駆除問題のご相談の時、以前の関係(?)について一言も触れていなかったので、私はてっきり初めての人だとばかり思っていたのだ。電話してその事を詫びた。やはり誠実な優しい人だった事を実感した今朝であった。

ジャム

あたしだって良い子

Jul.20.2003

ところで今日の会食は、大変上品な量の精進料理に近いコースで、コースが全て終わっても尚「いつメインが来るんだろう?」と思っていた。トウモロコシの裏ごしで作った豆腐やら、茄子の冷製にコンソメのジュレだか煮こごりだかをかけたもの、湯葉の茶碗蒸、白身の魚で何やら巻いて揚げた小さな料理・・・出てくる傍からじゃんじゃん素早くやっつけて、常に私の前には空の器が置かれていた。流石に若いぴょんちゃんにはこれでは気の毒と思ったのか(あまり若くない私にも気の毒だ)、ご婦人の一人がその店の系列の中華店から中華料理を3種類ほど取り寄せて下さった。それも次々とやっつけて、全ての敵は眼前から消えた。

4人のご夫人は、それぞれに保護も里親探しもして来られた方たちであったのだが、やはり里親探しは難航するらしく、今後はお手伝いさせていただく事にした。捕獲も、必要な時には力を合わせてやりたいと思う。地元の足元を固めるには、やはり地元の人達との連携は大切だ。話してみると、横柄に見えた一番の年長者の女性も、全てに於いて経験も豊富で行動力も発言力もある事、そして意外と可愛いパキパキした性格の女性だと判る。今よりもっと大変な時代から行動して来た先輩たちには、素直に敬意を払いたい。そして次の世代への橋渡しもまた、地域猫活動に取り組むには欠かせないプロセスなのだと思う。

少しばかり構えて行ったのだが、会って話せて良かった。自分の済む地域が、少なくとも野良猫地獄とならない為には、それぞれが別々のエサ場を抱えているとは言え、必要な時には協力し合えないと、とてもではないが成し遂げられないどころか取り組めない大きな課題なのだ。

夜、久し振りでおプリ様と話す。様々な話をして、夏が終わる頃には会いたいねと言って電話を切る。さあ、エサやりに行こう!

前日の「猫雑記」へ 翌日の「猫雑記」へ


月別INDEXへ戻る

「猫雑記」INDEXへ戻る

inserted by FC2 system